| 2009年09月13日(日) | ||
| ロマンチック・エンジン | ||
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三十分余計にかかって三十分始業が早い職場へなんとか通っています。朝起きるのは今のところ平気なのですが(早く寝ればちゃん起きられる)、まだ職場の環境に慣れなくて猫かぶったまま大人しくしています。その分ついったでぼやいていますが(笑)。 早く仕事にも職場にも慣れたいとこです。 で、この週末はアイーダと逆裁行ってきました。 アイーダもガツガツ語りたいのですが、とりあえずラストインファーストアウトで、逆裁の話。 [宙組メモ:逆裁2メモ] まずは前作の感想から引用 <マシンガン引用> でも、同じことはもう一度はできないと思います。もしやるなら今度こそ「再現」じゃなくて、「舞台化」まで持っていって欲しい。原作の再現を繰り返せば繰り返すほど、原作の表現方法と舞台の表現方法のギャップが明らかになってしまうと思うので。 </マシンガン引用> これを書いた時点では再演は決まっていなかったので、青年館楽日に再演が発表された時には「書いた傍から……(わなわな)」と思ったものです。 で、今回の「逆裁2」を見て、↑の危惧がまんまと当たってしまったという感想です。「再現」であって「舞台化」ではない。「1」の時はもうちょっと「舞台」として成り立っていた気がしたのだけれど、ど、ど。 以下思うままメモ。 ・一番アレだなぁと思ったのはルーチェ(ヒロイン)の書き方があんまりにもぞんざいだったなぁと。っていうかひどいよね。「私は恋人を失ったのよ!」え?だって犯罪者だし悪いの君の恋人じゃん、「レオナさんになりたい」え?っていうか恋人は?ああもう失ったからいいの?……なんだその一貫性の無さは無理矢理入れた恋愛モードは。 ・法廷劇って、事件の解明そのものがドラマだから、舞台には上がりにくいと思うんですよね。事件、裁判、判決、って形で大枠は変わらないじゃないですか?中身がちょっとずつ違うだけで、舞台にあげるとその流れは絶対に変わらないというか。だからどうバリエーション作るのかな、と思っていたら「有罪を無罪にしなくてはならないニックの苦悩」とか、「犯人が犯罪を犯すための理由(行動は犯罪だけど理由は正当的)」とか、お、今回はそうきたか、とその枠組みに結構盛り上がったんですが、そこ(法廷)で盛り上がっただけで、法廷劇以外に繋がっていないのですよね?七海ひろき君のローランドにあれだけのドラマがあるのだから、そこにルーチェをちゃんと絡めれば、もうちょっと↑で言ったアレな感じが解消されたかな、と。単純に「真犯人は恋人だった」「それに悩むルーチェ」「そこで人を信じる事の大切さを諭すニック」「裁判で、ローランドの犯罪に理由があった事を知る、でも彼を信じ待つことにしたルーチェ。弁護士への目標を新たにする」「そんなルーチェにかつての自分を重ねるニック」……でいけなかったのかなぁ(よっぽどすっきりすると思うんだが)。……とにかく、ルーチェの描かれかたが解せない。 ・でもそんなルーチェがニックを好きと言ってしまったのも無理ないのかな……だって「僕が連れて行くよ」ってあれ誤解されるて!(笑)。しかしニックとルーチェの場面はほとんど会話劇になっていたのがしんどかった(全部台詞で説明してしまっているがな)。一緒に見ていたクマコさんが「なんかあそこのニックおっさんくさい」と言っていたのですが、多分、ニックがルーチェに諭すアレコレが説教臭かったからだと思う(笑)。ちなみに私は説法だと思いました。なんの宗教勧誘?みたいな(笑)ルーチェに対するニックが「先輩愛」「おにいちゃん愛」を越えてなんかアガペー的なものを発していたような(素)。 ・しかし一幕の終わりにはびっくりしました。え?これで終わりー?って本気で思いました。言いにくいのですが、私、一幕の法廷劇のところでちょっと寝ちゃって、気付いたら判決が出てたんですよね(ごめん)。で、その後コーラス歌い上げで幕になった時「え?これもしかして二幕終了?私寝ている間に一幕終わって休憩入って二幕始まってた?」と本気で焦る(笑)。でもここも作劇が悪いというか、私だったら一幕の最後に誘拐事件、有罪を無罪にしなくてはならないさあどうするニック!で幕にするなぁ。盛り上がるし、二幕への「引き」にもなるし。 ・それで二幕に増えた時間で、マヤちゃんの救出劇のところ、もうちょっとなんとかするとか(唐突にご都合すぎる) ・悠未さんのエッジワースはいい仕事していたと思うのですが、これも脚本の書かれ方がな……上手く本筋に絡んでこないなぁと思っていたら、そう来たか、的な(笑)。 ・結局のところヒロイン不在の作品だと思いました。なんだかなぁと思って見てたら、エッジワースの「お前に惹かれている」で、「そっかー!蘭寿先輩が主人公兼ヒロインだからいいのか」と納得(するな)(でもあながち間違いじゃない)。最終的にはヒロインはニックの中のレオナただ一人だったのだなぁと。それだったら変にルーチェを絡ませないでそう直球で書けばいいのに、だからルーチェの書かれ方が(以下略)。 ・法廷劇で寝てしまった私に、クマコさんに「あんなおもしろいところで寝るなんて」と怒られまちた(笑)。でも私、法廷劇のところをあんまり面白いと思ってないんですよね。「1」の時も法廷劇のテンポが舞台に合っていないと思ったし。ちなみにクマコさんは「1」の時も法廷劇が面白い、盛り上がるってゆってて。 結局のところ、それってゲームやってるかやってないかの差な気がします。クマコさんに聞くとやっぱり「再現されているから面白い」ってゆってたし。 ・それでクマコさんが、ゲームで実際にキャラクターがやっているしぐさ(エッジワースの「ぐっ」とか)に笑いが起こるのが解せない、という話をしていて、ついったでもそんな話題になったのですが、そこから思ったのは、ヅカファンの許容範囲というか敷居って高い(色んなものを受け入れがたい)のかなぁと。タカラヅカ自体は今回のゲームに始まって、小説から漫画まで色んなメディア原作を受け入れてしまうし、もっと言うと世界各国のありとあらゆる時代の設定をも受け入れてしまう幅広さを持っているじゃないですか?受け入れる、というかありとあらゆるものをタカラヅカ化してしまうというか。それに対してヅカファンはその「タカラヅカ化したもの」しか見ていない訳ですよね?(タカラヅカがオブラートとなる、みたいな)。だから、その「タカラヅカ化」の不文律にハマらないものは、受け入れられなかったり、本来とは違う受け取られ方をするのかなぁと。オグリの時に「これ、普通の演劇としてアリなのになんで皆笑うの」と思った事を思い出しました。 ・そう思うと他のメディアのものを「タカラヅカ化」するっていうのは、本当はすごく難しいことで安易にやってはいけないような。あるいは今「タカラヅカ」をちゃんと書ける演出がいないって事なのかもしれません。オリジナルで「タカラヅカ」書けないのに、他のメディアを「タカラヅカ化」するなんてできないんだよ……。もっと言うと脚本力と脚色力は別なんだよ……去年の年間まとめの時に確か「安易に再演するなよ」と言ったのですが、それよりも先に「安易に原作ものに手を出すなよ」と言いたいです。そりゃ話題にはなるかもしれないけれど、本当に力があれば「タカラヅカってなんでもできるんだね」と「タカラヅカ」の真価をアピールする事になると思うんだけれど。「タカラヅカ」じゃないものを取り入れて、「タカラヅカ」じゃなくなっちゃうのじゃ本末転倒なんじゃないかな……。 ……逆裁の感想じゃなくなってますが、まあ、なんかそんな不安で一杯になったという話です。 タイムリミット。伝書鳩返しとかSSSレスとかのちほど。 |
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