2008年12月03日(水)
やけどしたんやけど


 全ツ話、最終回の巻(にんにん)。



[星組メモ:涼さんの、というかオスカルの話]

 今回の涼さんのオスカルが秀逸だったのは、原作通りのオスカルだったのと、それを涼さんがちゃんと「今回はタカラヅカのベルばらじゃない」って理解して演じていたからじゃないかなぁと思っています。いやほんとよかった素敵だった。
 原作通り、というとちょっと違う点もあるかもしれませんが、原作の台詞・エピソードをうまく凝縮して、ちゃんとオスカルという人物像が立っていた。今宵一夜がなくてもペガサスにまたがらなくても(笑)、ちゃんとオスカルだったなぁと思うんです。ベルナールに出会った事で、フランスの現状を知って、人々の為に何かしたいと思って、それで衛兵隊に転属して、革命に散るという流れが一貫していたし。今回の舞台で、衛兵隊転属以降のオスカルの出番はないわけですが、バスティーユでロザリーがオスカルの剣を差し出しただけで、舞台で描かれていない空白が埋まる。変に説明台詞で解説しなくても。「外伝」だし今回はオスカルがメインではないからそういう描き方が正解なんじゃないかなと思うし、そもそも漫画を舞台化するにあたって、漫画の通りにはできないわけですから、まさに舞台だからこそできる処理の仕方だなぁと思ったのです。
 もう一つうまい処理だなぁと思ったのが、オスカルのアンドレへの愛情の示し方なんですが、今回はオスカルとアンドレの恋愛物語にはあまり重きを置かれてないですよね?でも男女の愛情以前の二人の間の感情がすごくよく描かれていたなぁと。オスカルはアンドレが片目を奪われて、そして初めてアンドレの存在の重さを知って、それで「おまえがいなくては何もできない」と感謝をする。そう、この「感謝」という姿がものすごく印象的だったんですよね。こういうオスカルは原作だと時系列的にはもう少し後半かなぁと思うのですが、感謝のオスカルとフランスの現状を見て思い悩むオスカルがうまくシンクロしていたなぁと。小石につまづかなくたって(笑)、こんな風にオスカルの愛情の示し方があるのだなぁと。この時点ではオスカルはまだそれ(感謝)をアンドレへの「愛」として自覚はしてないわけですが、それでもこの後の舞台で描かれなかった、でも私たちが原作を読んで知っているオスカル像に自然と繋がっていくんですよね。
 2005年の全ツの時に吉野さんが「ベルばらが観客の脳内アーカイブに頼らないと上演できない作品になっている!」と言っていたのにものすごく納得していたのですが、今回のこうやって舞台に描かれない部分を埋めていく作業は、これまでの脳内アーカイブに頼る(矛盾点を補完していく)とは全く異なる作業だったなと思うのです。
 確かにタカラヅカのベルばらは「ベルばらの舞台化」ということで舞台でしかできない、タカラヅカでしかできないスタイルは確立しているんですけれど、脚本の処理としては全く「舞台化」の意味をなしていない。原作をそのまま上演はできない訳で、だからこその脚本であり演出であるんですが、どうもそのエピソードの切り取り方とか、クローズアップするところとか、省略の仕方とか「漫画の舞台化」としてはほんと間違った道を歩み続けて、「タカラヅカのベルばら」のスピンオフを繰り返し続けてもうどうしようもない形にゆがんでしまったんだなぁと思わざるを得ないのです。
 もちろん、今回の舞台にだっていろいろ矛盾点はあるんですが、ただそのスタンスがちゃんと「漫画の舞台化」になっていた。それだけはもうものすごく私は評価したいな、と。

 なんかオスカルの話じゃなくて作品論になっていますが(笑)。今回の「いいベルばら」が今後のタカラヅカのベルばらが変わるためのトリガーになるのか、あるいは単なる放送事故(笑)になるのか気になるところです。


 ところでオスカルの言う「これで幸せになれる」「私の分も幸せに」が妙にひっかかっています。「幸せになれる」は原作ではオスカルの台詞じゃなくて、コマのト書き(?)的な書かれ方だったので、てっきりあれはベルナールかロザリーの台詞だとずっと思っていたのですが…実家に帰った時にちょっと再読して再考してみます。


[星組メモ:しぃちゃんの、というかアンドレの話]

 初見の時は、しぃちゃん的にはアランの方がおいしくて、アンドレとしては弱いかなと思っていたのですが、むしろ今回のしぃちゃんの真骨頂としてはアンドレだったんじゃないかなというのがマイ日程終了後の感想です。2005年の全ツ、そして2006年の本公演との大きな違いが「しぃちゃんのアンドレなのにちゃんと影になっていた!」なんですが!(力説)あえてアランという対局の役があるからこそ、しぃちゃんがようやく(ようやく、て)アンドレとして影になった。で、それによってしぃちゃんの持つ太陽的問答無用な力(笑)が封印されたおかげで、しぃちゃんの持つやさしさとか繊細さとかがものすごく際立ったと思うんです。すごく、よかったです。
 で、アンドレが影になったのは、脚本の力も大きかったかな、と。今回ほどアンドレの身分をちゃんと書いた「ベルばら」はないと思います。近衛兵とのやりとりがほんと「平民」「オスカルの従卒」で身分が低い者として描かれていて、ようやくすっきりしました。だってずっとアンドレなのにスターブーツ履いて先頭きって訓練しているのが違和感だったんだもん(笑)。
 その方が原作的にも作劇的にも正しいわけですよね?アンドレの低さ、いっそ卑しさを書き出さないと、アンドレの苦悩も毒殺も効果が半減するというか。けれどもアンドレを低く書くことは「タカラヅカ的には正しくない」ってことになるのがどうもね……。
 見分けをつける為?(笑)のアンドレの眼帯も効果的だったと思っています。アンドレにとって、身分の違いだけじゃなく「目が見えない」もまたものすごく重く、大きな苦悩だったのだな、と。なんかそんなアンドレの苦悩が原作以上に響いてきました。それによって、今回のアンドレの影が色濃くなったなぁと。
 アンドレもオスカル同様、描かれた場面は少ないのですが、それがちゃんと出ていない・描かれていない場面にもつながっていたなあと。
 惜しむらくは、あのアンドレに「愛の墓標」はおかしいよね……なんかほかに適当な歌がなかったのか、あるいは新しく書き下ろしてやれなかったのかと、思います。



 ほ、ほめちぎれたかなぁ?
 足りない部分はSSで補完させていただきたいと思います(またか)。うわー、書きたいSSが多すぎる!さすが師匠も走る師走です(いや別に師匠はSS書かないし)。


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