| 2008年11月27日(木) | ||
| だってそれは星の形をしているもの | ||
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納・品・完・了! 夏からやっていた案件がようやく終わりました。今回の失敗は次回に生かすとして(イキナリ反省か)、明日のお休みをもぎとってきたのでさいたま乗り込んできます!休みが確定した瞬間にチケット探して昼夜確保したのは我ながらほんといいフットワークだったとほれぼれします。 という訳で星組モードに切り替える前に、雪組モードの残課題を(課題言うな)。 最後はもちろん、ネロ先輩の話です。 [マリポーサメモ:ネロの話] リナレス、セリア、エスコバルの話から引き続きまして「じゃあネロの主語はなんだろう?」と思ったんですが、結局最後まで答えが出ませんでした。ネロが余りにも自分を滅しすぎていて主語が見えない。サルディバルに向かって「俺は俺のやりたいように生きる」と言い放ちつつも、その実、ネロはどう見ても自分の為には(自分を主語として)生きていないなぁと思うのです。彼の行動は誰かの為、人の為。自分の為には決して生きていないなぁと思うのです。 そしてこれまたやっかいな事に、ネロはそのことに気づいていないんですよね。「俺は命を粗末にするつもりはないよ」というその命は本当に自分の命なのかと。彼が守りたいのは常に自分以外の命であり、いっそ自分の命を認識していないんじゃないかと。「俺の命はそういう命なんだ」ネロの命は自分だけのものじゃないというよりは、ネロの命は自分のものですらないような。だいたい「俺の掟」って、「掟」って自分に課すものなのかなぁと。その言葉にすら、ネロが自分の命を客観視しすぎて、認識していないように見えるんです。 戦場で多くの命を奪ってきたネロ。その過酷な状況で生き残る為に、自分の命を認識しないわけがない。けれどもその戦いが終わった後、ネロに「自分の命 < 他人の命」って思わせる何かがあったんじゃないか?(何かってなによ)(それがわかってたらSSにしてるって)あるいは「自分の命 < 殺してきた命」。そんな方程式が成り立って、ネロはあれほどまでに自分を滅してしまったんじゃないかと。 じゃあそんな「自分の命」をもたないネロがどうして生きていたのかというと、エスコバルが「寄生」していたからという考えです。エスコバルが絶望から立ち直るために必要だった「寄生」は同時にネロを生かしていたんじゃないかと。エスコバルの命がそのままネロの命になった。けれども二人ともそれに気づいていない。 けれども皮肉な事に「寄生」をやめて「今こそひとつの命に戻っ」たエスコバルは死んでしまった。そしてもうひとつ皮肉な事に「生きろ、俺の為に」とネロが言った時、それが唯一ネロが「自分の命」を認識した瞬間だったんじゃないかと。それまで「寄生」していたエスコバルが離れた事で、ネロにとって初めて「エスコバルの命」そして「自分の命」が見えて、そこだけが唯一「自分の為に」ネロが生きた瞬間だったんじゃないかなと。 もし、エスコバルがネロに「寄生」したままだったら、ネロの命はエスコバルの命だったわけですから、ネロも死んでいたんじゃないのかなぁ。それが「寄生」を離れてそれぞれの命となったがゆえに「自分の命 < エスコバルの命(死)」となって。ますますネロにとって「俺の命はそういう命」となっていく。 で、ネロを生かしていたエスコバルの「寄生」が離れても、ネロが生きていたのはセリアがその命を守っていたから、だと思っています。セリアにはそんな「自分の命」を持たないネロが見えていて、だから一生懸命手をさしのべて、守ろうとした。自分の命を持たないネロがまるで無防備に自分を晒して「おそろしいほど傷ついて叫んでいる」そしてその叫びに気付いたのはセリアだけだった(そこにはセリアの母性も繋がるなぁと思うのです。「子守唄を歌うのは私の役目だった」というセリアの母性)。 そしてネロはこれからもその事に気づかない。気付いていないと思いました。 「エスコバルの為にも俺は生きよう」の「為にも」には「自分の為に生きる」は入っていないし、「いつの日か必ず君に会いに行く」も自分の為ではなくセリアの為。 けれども結局、そうやって誰かの為に生きることが、ネロにとっての「生」であり、「命」なのだと思うんです。エスコバルの「死」が、セリアの「生」が、これからのネロを生かしていくのだなと思ったんです。 ナツキさんがお茶会で、「悲しみは耐えられる、痛みにも慣れていく」がネロを一番表している言葉だ、って言っていたんですが、私はその前の「また生き残ってしまった、俺でなくてもよかったのに」だと思うんですよね。 俺でなくてもよかった、だから俺以外の為に生きよう。 ところでマイ楽に観劇していて、冒頭にネロ、セリア、エスコバル、リナレスで踊るところ。 あそこが単に主要人物の登場じゃなくて 「ネロの命を生かしたエスコバル」 「ネロの命を守ろうとしたセリア」 そして、 「ネロの命を継いだリナレス」 に見えてぐわっと泣けてきました(リナレスのくだりはリナレスの話を参照してください)(不親切な)。 そうやってネロの命をめぐる人たちがあそこにいた訳です。 ネロ自身が認識していない「自分の命」をめぐる人たちが。 そんなネロは「白」い衣装をまとっている。 それは死の象徴であり、そして生きる証(マリポーサの花)と同じ色であり。 もうそんな風に最後にどんどん重なっていってぐわーっとなったんです。 余談ながらネロは絶対に天寿をまっとうすると思っています(笑)。 ネロ自身が言う「絶対に死なない」は「絶対に死ねない」なんじゃないかなと。そうして「自分の命」を認識していないにも関わらず「俺の命はそんな命」である以上、彼の命は生き残れば生き残るほど重くなっていく。 うっとおしい解説ですみません。「そんな事わざわざ解説しなくてもみんなわかってるよ!」だったらどうしよう……(笑)。でもやっぱりこう読み解かないといけないほどに、今回の作品は難解だったと、私は思うんですけれどね。 でもそんな風に読み解けば読み解くほど、ネロの生き方が、せつなくてしょうがなかった。わかりやすく今回のナツキさんはカッコよかったのですが(反論不要)、けれどもそれ以上に、どうしようもなくやさしかった。自分以外の命に注ぐまなざしがあまりにもやさしくて。 力では世界は変わらない。 世界を変えるのはそんな「やさしさ」だった。 やっぱり、そう思いました。 はい!(切り替えて切り替えて!) 公演ベースの話はこれで終了です。あとはSSかな(まだやるのか)。 |
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