| 2008年06月22日(日) | ||
| 「そして1930年、ダラス」 | ||
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行ってきました、帰ってきました。 [恒例旅行程メモ] 土日とムラ遠征で、土曜日の午前中が微妙にあいていたので、華琳さんにすすめてもらったぬこカフェ行こうかと思ったんですが、微妙に時間が合わなくて断念。あと一回ぐらいポポラーレ行ってみたいと思っていたんですが(笑)、天気が悪そうだったのでこれも断念。つうかそもそも先週も忙しくてほぼ午前様生活だったので、そんな無駄なエネルギー使っている暇ないと判断して素直に空港から直ムラ入りしました。ちなみにムラ行って最初にしたことはクイーンズウェイでマッサージです(笑)。なんかね、昔は気力でなんとかなったけれど、今は休みに入ったら気持ちもカラダも真剣にメンテしてやんないともたないんだよ(三十路女子の叫び)。でもムラでゆっくりするのって久しぶりだったので、色々新鮮でした。時間余ったので、宝塚ホテル行って近代建築萌えしてました。いや、茶会とかで行ったり泊まったこともあるんですが、じっくり見たことないし、タカホに出入りしてた頃(笑)ってまだ近代建築に今ほど目覚めていなかったのね。ようやくタカホの全体構造がわかりました。あそこ軽く迷路だよね(笑)。 雪バウ午後を観劇した後は、オトモダチとお食事。某沙綾さんに「日曜日に見るなら前日入りして一緒に泊まりましょうよー」と無理やり誘って(笑)そこから発展して某一条さんとセッティングして(笑)もらいました。で、連れて行ってもらったのが本町にある近代建築萌えなイタリアンレストラン。いやあ、すごくよかったです。近代建築もさることながら、お料理もすごくおいしかったし、お店のひともすごく対応良かった。楽しい夜を過ごさせてもらいました。 で、翌日は星大劇場→雪バウ千秋楽とダブル。重い(作品も私の思いいれも)(笑)雪作品と挟んで、星組観劇感想が消えたらどうしようかと思っていたんですが、全然そんなことなかったです。むしろ星組楽しすぎて、雪バウに切り替えるのがすごく難しかった(笑)。 そんな感じでめちゃくちゃ充実して帰ってきました。 しかし最近考えるのは「年齢にあった遠征手段」です(素)。どうすれば一番身体に負担なくいけるかなぁと……ダブルとかしなければいいのか、そもそも遠征しなければいいのか……今年はあと2回遠征予定です(えー)。 以上、自分用メモ終了。 とりあえず書けるところまで観劇感想書いていきます。 [雪組メモ:凍てついた明日と私との邂逅] 10年前の初演を観ているので、すごく思い入れがあります。 なので、最初にあのブルースレクイエムの前奏の最初の音が入った瞬間に「うわあ」って思わず声出してました(迷惑だ)。そして舞台上のマシンガンで穴が開けられた、ガラスが割れた車のドア。ボニーとクライドの終焉の車。実在のボニーとクライドが最後に襲撃を受けたときの車って、今でもどこかで保存されているんですよね(っていうのを、初演の頃たまたまテレビでやっていたドキュメンタリー番組で見た)。……うわあもうオギー憎いなぁ。 再演ものだから、どうしても比較はしてしまうのですが、ただ初演を引きずる事はなかったです。役者はやっぱり初演は初演だし、再演は再演だなぁと。オギーがかなり細かく手を入れていたのがすごく興味深かったです。かなり台詞が重ねられたり強調されたりしていたんですよね。補足というか、ちょっと蛇足とも言うか。それが効果的だったかは、ちょっと判定できないんですが、そこにオギーの思い入れと、初演の出演者への敬意、再演の出演者への愛情をすごく感じました。 一番最初に思ったのは、タータンのクライドは明日を探して、明日が見つからなくてもがいていたクライドだったけれど、輝クライドは明日が見えない、見えてない、見ることができないクライドだったなぁと。今回の再演でものすごくはっとさせられたのが「普通の人はそんなこと(明日が来ないことを)を考えない!」。明日は当たり前に来るもので、私だって毎日生きていてそれを疑ったことはない。明日が来ないことなんて考えたこともない。明日は希望を持って待ち構えるものであり、時には不安を持って怯えるものであり、けれどもクライドの母親が言うように「明日が来たらまた今日の続きをはじめるだけ」というように日々続いていくもの。けれどもそれがクライドには見えていなかったんだと、気づいたときは衝撃でした。それをクライドは諦めているようでもあり、明日が見えている「普通の人」に憧れているようでもあり、けれども「明日が見えている普通の人」と自分は違うという孤独感に苛んでいて、だから今日しか生きられなくて、今日を生きた証しは明日に繋がるのじゃなくて、ただ戻りたくない昨日が積み重なっていくだけで、明日も見えない昨日にも戻れない、ただ今現在の快楽にすがることしかできなくて。それなのに、最後に残された今日ですら 「今日が間違っていることはわかっているんだ」 凰稀かなめという役者は、ほんと怖い。こういう崖っぷちの役やらせたら、全身全霊かけて演じてくるよ。それが技術的にはつたなくても、むき出しの自分をぶつけてくる……はからずも思い出したのはルドルフでした。 そんな風に明日が見えないクライドは甘ったれでもあり、弱虫でもあり。けれどもその崖っぷちに立っているからこそ「つよい」と思いました。金庫破りの場面で、テッドと対峙したときのあの凄み、「俺はがんばろうなんて思った事はない」。あの場面を私は初演の時は、テッドのやさしさとかためらいがクライドを逃がしてしまったのだと思っていたけれど、そうじゃないな、と。こんな風に「つよい」クライドが完全にテッドを打ち負かしていた。そういう狂気が輝クライドにはあって、それがもう本当にいたたまれなくて痛々しかった。 そんなクライドが最後にたどり着いたのは、「最初からなかった」ということ。それは「明日は、最初からなかった」って事なんじゃないかな、と。クライドは明日を求めながら明日が見えない自分をずっと追い詰めているように感じました。明日が見えないことに追われて逃げ続けて、 けれども「明日は、最初からなかった」と気づいたその瞬間に、「凍てついた明日」は溶けた。そして初めてただ真っ直ぐに向かっていくだけの明日を手に入れた。「死にに行くことないじゃないか!」と叫ぶジェレミー、けれどもそこからクライドは明日に向かって生き始めたんじゃないかなぁと。 で、このクライド最初から失われていた「明日」を「愛」に置き換えるとそのままボニーの物語になるのかなと思っています。「愛は大事な事?」と繰り返すボニーが一番愛が失われた事に囚われて追い詰められて、逃げて、でも逃げられなくて。 けれども「愛は、最初からなかった」と気づいたときに、初めてクライドの事を「愛している」と言えたんじゃないかなぁと。 で、私初演の時はこの物語のラストを「ボニーとクライドは最後に愛し合ってめでたしめでたし」かと思っていたんですよ。それが救いだったと。けれども今回はそうじゃなかった。初演では二人が最後に白い衣装を着てきて、確かお互いに「愛している」と言っていたはず。愛したいのに愛せない二人、逃げていた二人が、ようやく何かの境地にたどりついて、いっそ解脱すらしたんじゃないかという真っ白な衣装で、そして「愛している」。 けれども再演版は、抱き合うこともなく、微笑み佇むクライドに、ボニーが後ろからそっと近づいて、「愛している」で終わる。その違いが私の感じ方の違いなのか、あるいはオギーが意図的に入れたものかはわからないのですが、けれども再演版を見て「凍てついた明日が溶けた」物語なんだと気づいた時にはものすごく衝撃でした。終わることない夜だけが知っていた、明日がくることを。 なんて言っていいのかわからないんですね。あんなに好きだったこの作品の違う面に気づいたことに衝撃なのか、それが前からあったものなのか、今回の再演だからこそ生まれたものなのか、もう何がなんだかわからなくて、幕が下りてからしばらく立ち上がれなかったんですよね……。一言で言えば「感動した」とか「よかった」でいいんですが、そんな言葉じゃ多分これは表現できない。ただただ、この物語に、こうした形で、「邂逅」できたことが、ものすごく幸せでした。行ってよかった……。 なんか感傷的ですまん、そういう仕様だ(またその言い訳か)。 ふと思い出して、PCの中のテキストをあさっていたら、凍てついた明日の歌詞を耳コピーしたものが出てきました(初期の六実さんもやっぱりオタクだからこういうことよくやっていたのですよ)。改めて今回との差異を見比べつつ、歌詞のひとつひとつにも邂逅した気分になりました。こんなにも夜と朝と明日を歌った歌詞ばっかりだったのかと。はからずもそれは今回気づいた「凍てついた明日が溶けた」とガンガン繋がって、ちょっとじわっときそうになりました。 なんかしんみりしちゃったので、星組の話は明日しようと思います。 |
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