2007年10月29日(月)
胃疲れ


 お昼を食べにいったまぐろ屋さんでバナナを一本もらいました(つうか席にすでに置いてあった)(……)。なんか久しぶりにバナナをまるまる一本食べたなぁ。


[今日の通勤中メモ]

 オウキカナメさんの今の最大の魅力は「あんな美人なのにヘタレ」って事だと思っています少なくとも私は(予防線)(ちなみにこのヘタレにはキャラ立てとしての意味も舞台人としての意味もあるのですがちょっとそれは別の話なのでおいておきます)。
 けれども「美人」って言うのはその人が先天的に与えられた外部要因であるから、「舞台人としてのプラス要素」ではないと思うんです。最初からあるからそれはプラスではない(もちろんマイナスでもないけれど)。本当は美人とかそういう先天的なものじゃなくて、その人が舞台人として後天的に身につけたもので評価したい。たとえば私は昔は全く同じようなことをあやかれさいさんに思っていました。「あんな美人なのに男、いっそ漢」という形容詞をつけていたのですが、最近その「美人」という要素が前に立たなくなったような気がする。彼が舞台で身につけた(後天的に身につけた)ものの魅力(男役としての魅力とか)の方が形容詞として先に来る「漢前、そして美人」。というわけで輝彦さんは是非その後天的な魅力をいっぱい開花させていって欲しいのですよ。その魅力が何であるか、何になるかはまだわからないんですが、いつか美人であることがあとづけになるような、美人であることを吹き飛ばすような、そんな男役に。
 とはいえタカラヅカですから、美人であることに、かわいくあることにこしたことはないんです。そもそも受験で「容姿」が問われるのだから、私みたいなこの考え方は極端(むしろ異端)かもしれないですが、でも舞台のいいところは「美人の役を美人がやらなくてもいい」って事だと思うんですよね。舞台は虚構だから、美人の役は美人でなくてもいい、美人だと納得させてくれればいい。あくまで私個人の考えですが、そういう人に私は魅力を感じます。

 と考えていたら、なんで私がタカラヅカを好きなのかわかってきた。多分、タカラヅカは私が舞台を見る上で重視したいその「後天的」な魅力とか技術とかをものすごく要求されているんじゃないかと。「男を演じるのに本物の男である必要はない男役」「その男役と並び立つために、本物の女以上のものを演じなくてはならない娘役」は先天的なものを否定してまでも、作りこんだ虚構(後天的なもので構成されている)なわけですから。

 何が言いたかったかというと、上記のようなことを通勤時間に考えるぐらいには、輝彦さんに好意を持ってきているんだなぁということです。いや輝彦さんの話半分もないよ?(笑)


++++++++++

 星組稽古場見ました。……柚涼?(素)

 タンゴ→男女の踊り、という事でかけざんがたくさん収穫できそうな気がしました。ムラには行かないので、よくよく釜を大掃除しておこうとおもいます。




BACK  INDEX   NEXT