| 2007年08月19日(日) | ||
| あの人の白い手の上に、ぱたりとおちた、涙? | ||
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スカステつけたら大真くんの「名作の旅・厳流」がやってました。うわ、なんてタイムリー!おかーさん、わたしこのあいだここ行ってきたの! はい、じゃあ博多の話をしたいと思います。 [星組メモ:博多座シークレットハンター] まず最初に。今回の博多座版の役替わりがどれも違和感なかったです。これには心底感心。まったく未知数だったかあさんのアナ・マリアもすごくアリでした。カッコよかった。多分ダグへの恋心はまだ未知数な、仕事に生きる女。カッコイイ(素)。そしてその逆の意味で、しぃちゃんの男爵を動かさなかったのも、ホント正解だったなぁと思いました。博多版の方が役の比重的にはしっくりくるような気がしました(というかそもそも役の比重が本公演フルメンバーでやるには、もったいない芝居という事なんですが)。 でも新しく加わった場面のせいもあって、作品の軽重のバランスは本公演版より悪くなったかな?という気がします。もともとこの話って実は重い話だよなぁと思っています。重い部分を主演二人が全力でやっているのと、こだまっちが無駄に設定詰め込んでいるのも相まって(笑)。それに対して軽い部分でバランスをとっているというのが全体像。物語の重い部分と軽い部分がくっきり分かれているというか。今回追加のダグが倒れた場面以降のあの新場面でやたら重くなっているなぁと感じました。 で、その物語の軽重をコントロールしているのが「セルジオ」なんだなぁと。 という訳でそこから涼さんの話を始めてみたいと思います。 [星組メモ:涼紫央さんの話] 涼さんのセルジオは「いい男」でした。 カッコいいとか、萌えとかそういうんじゃなくて、なんともいえない「いい男」でした。あかるくて、ちょっとずるくて、ちょっと甘えていて、それでいて、すきなものはすきと言える人、すきなものに対して感情をおさえない人、すきなものに対しての愛情を惜しまない人。 ダゴベールの事がほんとうに好きなんだぁと、ちょっとほのぼのしんみりした。病院の場面での「会いたいのか」がすごく印象的でした。ダゴベールの「プリンセス・ジェニファ」への想いを確かめつつ、でもダグが傷つくようなことはしたくない(ダグを守りたい)とでも思っているような。多分、あそこでダグが否と言えば、セルジオはずっとネタばらしはしなかったんじゃないかなぁと。忘れられるならそれでいい、と。まあそもそもこうなる事の原因をつくったのはセルジオなんですが(笑)それも、涼セルジオの明るさだったらなんとなくありかな、と。むしろそれをずっと後ろめたく思って更にダグを甘やかすと思います(むっさんむっさん、違う話になっている)。 で、先に言った「作品の軽重」の話なんですが、あきらかに涼セルジオは「重い」なぁと。いや重いというか、丁寧というか、深いというか。と、言うとじゃあ本公演の柚希セルジオが丁寧じゃないのかとか、深くないのかとか言われそうなのですが、そういう意味じゃなくて。明らかに柚希セルジオと涼セルジオの作品の中の立ち位置が違うんですよね。で、「軽重をコントロールするのがセルジオ」ということに繋がりまして、柚希セルジオは作品の軽重の「軽」の部分をになっていて、その明るさと華で作品のバランスをとっている。例えるならば天秤ばかりの左右の「軽」と「重」の「軽」に柚希セルジオがのっかっている感じ。それに対して涼セルジオは作品の「軽」と「重」の境目を埋めに行っているような感じでした。だから涼セルジオには「軽」も「重」も備わっている、そんな風に見えました。 別にどちらが正解か、とかそういう話をするつもりはありません。作品の軽重のバランスが悪くなったのは、涼セルジオのせいじゃないし(むしろそのバランスをコントロールするのは演出家の仕事だと思うし)。涼セルジオを見て、ああ、そういうアプローチ(軽重の境目を埋めにきた)できたか、とむしろものすごく感心というか納得。ちゃんとセルジオを自分の役にしてきたな、と心底感心しました。いい役替わりでした。 [星組メモ:続・涼紫央さんの話] で、更に続けてショーでの涼さんの話なんですが ……いやあ、何がびっくりしたかって「涼紫央なのに娘役を甘やかしている」って事なんですが! (くわしくせつめいします) 冒頭の中世風ヅラとマントで出てくる場面、ここの涼さんはかっちゃんと組んでいるんですが、もんのすごい甘いかけざんでびっくりしました。ちゃんと娘役ちゃんを甘やかしている、ちゃんと娘役ちゃんを見つめている……っ! いやね、ぶっちゃけ今までの涼さんて娘役と組む時って「娘役ちゃんを甘やかしたりやさしくしたりするのは、自分が男役としてかっこよく見える為のツール」だったんですよね……ごめん少なくとも私にはそう見えていた。だから寄り添い系の娘役ちゃんより某百花沙里さんみたいなのが似合うんだ、と。私は涼さんが好きなので、いつも見ているんですが、この「相手役をメロメロにする」っていうスキルだけはどうも物足りなかったんです。そういえば本公演の同じ場面でアヲノを相手にしていた時、ムラで「涼さんなのに娘役ちゃんを甘やかしていた!」と驚き東宝で「ごめんやっぱり勘違いだった!」となったので、更に感慨深かったです。 これはかっちゃんの力も大きいと思うのですが、涼さんの男役のスタンスが明らかに変わってきたんだなぁと思っています。キザってナンボの男役道を突き進んできた涼さんに、ようやく自分プロデュース(別名自分大好きナルシスト)(笑)以外の余裕が出てきたというか、あるいはここ最近の涼さんの配役的に三の線が多かったことも影響しているのかなぁと。カッコ悪い自分を出していけるようになったというか。 いい意味で、涼紫央の金メッキがはがれて地金が出てきたなぁと思っています。 金メッキは涼紫央の作り上げる理想の男役像(ヅカファン上がり故のむちゃくちゃ完璧で完全な像)、地金は涼紫央さんの本質。で、その涼紫央さんの本質っていうのは、実はものすごく「やさしい」ものだよな、と思いました。本当はやわらかくて、やさしくて、あいらしい(ごめん最後のはちょっとドリームだ)。でもそれは涼紫央の金メッキ(理想の男役像)には不要のものと本人は思って排除してきたんじゃないかなぁと。それがここにきて、そういう地金(やさしい)が出てきた、と。だからセルジオがああいう人になったんじゃないかなぁと、かっちゃんをあんなにやさしくいとおしく見つめていたんじゃないかなぁと……。 今の涼さん、すごくいいなぁと思います。好きだなぁ。 だらだら長話ですみません。まだまだ一杯話したいことがあるんですが、それはまた後日に。 明日からまた仕事です。一週間さんざん遊んだのでがんばる。がんばる。がんば(フェードアウト) |
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