2007年02月03日(土)
夢のエレメント


 これに行きたい。プチ近代萌え。つうかかわいくね?
 誰か一緒にいってくれるかなぁ……(ひとりでも行くくせに)(つか佐倉って時点で誰もついてこないと思う)(だよな)。


[スカステメモ]

・カッさんのサヨナラ番組を見ました……。
 あの、私も一度だけ言ってもいいですか?

 なんでカッさん辞めるかな!

(基本的には決まったことだしそれがタカラヅカだし「なんで」とは言わないようにしているんですけれどね……)

 カッさんの愛はおっきいなぁ……るいるいへの愛情もそうなんだけれど、宙組への愛情がものすごくおっきいなぁと。
 とりあえずカッさんのメモリアル写真集の目隠し乗馬ムチプレイと稽古場最終日の右京さんが持っていたはばたんの顔が右京さんになっていた奴にツッコミを入れておきます(つうかこのリンク先にこそツッコミたい……)(むっさん話またそれているよ!)

・で、↑でちょっぴりヘコんでいたら「初風緑ののびのびストレッチ」が始まったので慌てて椅子ひっぱり出してきてガイチさんと一緒にストレッチしてました。あー、これはいいかも(素)。身体をうごかすのはきもちいいね!(普段動かさなさすぎ)

・初めて「TAKARAZUKA MUSE」を見ました。今回は花組編……スーツ袖まくりでピアノをがしがし弾く彩城レア君がすごい破壊力だったんですが!つうか萌えたんですが!オフのしゃべりはほわんほわんなのに、なにアレ……っ。芽吹幸奈ちゃんと連弾するところはさながら「鬼才の若きピアニスト(鬼才ゆえに変人)がひょんなことから恩師の愛娘を教えることとなり、最初は気が進まず自分とさほど歳の変わらない恩師の娘にいらだちを感じ、娘もまた鬼才変人な若きピアニストにおびえを感じていたのだけれど、鍵盤を通して触れ合ううちに互いに……」っていう裏設定が見えたんですが!が!(金平糖釜が久しぶりにまわったどー!)(何それ)


 スカステってすごいや、私が舞台ではまだ認識してない若手ちゃんからこんな萌えを提供してくれるなんて(つーかそこから萌えをひろう君がひどいや)。



 今日はかんそうぶんをふたつ。



[王の男感想文]

(このままじゃわたしがゆなひこ君が泣いていたのを笑っただけになってしまいそうなので(笑)ちゃんと感想書いておきます)


 わかりやすくゆなひこ君ちのSSを読んで興味を持ったので、どんだけすごい韓王朝801曼荼羅が繰り広げられるのかと思ってものすごく期待して行ったのですが、あ、あれ?ぜんぜん801じゃないよ!(びっくり)(するな)。普通におもしろかったです。つうか私は割とヨンサングン(王様)の視点で見ていたので、歴史劇としてすごい切ないなぁと思って見ていたんですね。でも見終わって帰ってきてから反芻していたら、コンギル、チャンセン、ヨンサングンのこの三人の関係性がものすごく面白いなぁと思ったんです。コンギルから見たヨンサングンとチャンセンから見たヨンサングンは全く違うものだろうし、そういう互いが互いを見ている関係性というか。平たく言うと私がSS書くなら、絶対三者三様の一人称SSをそれぞれ書くよな、と(全然ひらたくない)。それぞれが「王」であった、というのはゆなひこ君同様、私も思いました。チャンセンは最終的には芸人という世界で、王になったという事だと思うのだけれど、その前にあの宮廷での劇で「王」を演じて「王=ヨンサングン」を従えていたのがすごく興味深い。朝貢ごっこをするヨンサングンを見るチャンセンを見る目(困惑とも哀れみともつかない)が印象的でした。
 とはいえ、そういう三者三様の心理劇、みたいなものは大掛かりな歴史劇(映画としてのスペクタル)に埋没しちゃっているなぁというのも思いました。でも実際、映画としてはコレが正しい姿なのだなぁと思ったり。要は向こうが提示しているものと、こっちが感じたものが微妙にかけはなれているなぁと。映画のキャッチコピーとか、プログラムの解説とか読むと「史上最大のスキャンダル!」「(コンギルを指して)宮廷を翻弄した美貌」みたいな扱いなんだけれど(私が観た範囲では)、そういうのじゃないよねぇ……(違和感)。一番しっくりきたのがプログラム(立ち読み)でチャンセン役の人(調べろよ)が言っていた「三人は単なる同性愛的つながりではなく、もっと精神的なつながりだ」みたいな奴。あ、とそれがすとんときました。なんか本編の感想じゃなくなっているんですが、ゆなひこ君がSS書きたくなる気持ちはすごくわかる(笑)って事です。
 ラストシーンがベタなんだけれど、すごくヤラれました。うわーって、思わず声を出してしまったのですが、でも隣のゆなひこ君はゆなひこ君でそれどころじゃなかった(終盤から泣きまくり)ので、バレずに良かったです(笑)。
 (つうかコンギル=イ・ジュンギ君の話は?)(いや、後から「好みの顔」と気付いて気まずくなったんで)(何がなんだか)。


[みらゆかブックマーク]

 年末からちまちま読んでいた『播磨灘物語』を今日ようやく読み終わりました。
 なんていいみらゆかなんだ、というか黒田くわんぴょうえ(正式名称)殿に「あ、あなたどこまで大真みらんなのよう!」とワナワナと萌え震えながら読みました。
 が、前回「ネバーランド」を読んだときも思ったのですが、この「どこまで大真みらんなのよう!」なこの感覚は大真担(つうかちゃらさん)にしか通じないんじゃないかと。そういえば、先日、オトモダチが「夜のピクニック」を読んだというので(みらゆか的な)感想を聞いたのですが「言われればみらゆかに見えるけど……」と(笑)。あ、そうか、でも我々にはどんぴしゃにみらゆかで大真みらんなのですよ!(おちつけ)





 (※以下大真担の『意味がわからない』トーク)

 この「どこまで大真みらんなのよう!」な感覚はどこからくるのかなぁと考えたんですね。
 当然大真みらんさんは、黒田官兵衛も西脇融も演じてはいない訳です。要はそれは、大真みらんさんのキャラクターに既成の物語がはまっただけでしょ?といわれればそれまでなんですが。確かにおじさまとか御館様とかとしした君とか実に多彩なキャラクターが(主に我々のドリームから)生まれた訳ですが、そういうキャラクターがはまる、とはまた違うような……と更に考えてたどりついた先に、「大真みらん」がいたんですね。タカラジェンヌでもなくももこちゃんでもなく、おじさまでも御館様でもとしした君でもない「大真みらん」という存在。「大真みらん」という一個の人生、人間、なんだかその「大真みらん」というものが私の中ににんげんとして存在していた。だからこそ、こんなにもどんぴしゃにストレートにハマってしまうんじゃないかなぁと。もちろんその「大真みらん」という存在(あるいは実感)を生み出したのは(そう思わせるのは)、役者・大真みらんが残したものであると思うし、我々が無駄に構築してきたドリームの慣れの果てとも言えるんですが、つうかそれは「大真みらんというキャラクター」という一言で片付く気もするんですが、キャラクターというよりか、もっとしっかりとした実感で存在で、確かにそこに「大真みらん」がいるなぁと思ったんです。あの人、生きているんです(その前に死んでない)(お約束)。
 退団お見送りイベント時は、割に「タカラジェンヌ大真みらん」を見ていた気がします。そのタカラジェンヌ大真みらん」の中にそれまでの色々なキャラクターが内包された、と思ったのですが、ここにきて、その「タカラジェンヌ大真みらん」すら内包する、あるいは全く別次元の「大真みらん」がいるのだなぁと、感じたのです。
 という事に実家のコタツで横になりながら読んでいて気付いてひとりで「うきゃー」となっていたんですが(どういうシチュエーションだ)、そのことに気付いたことがちょっと嬉しくもありました。
 あ、そうか、「大真みらん」はいなくなっていない、ちゃんとそこにいるのだなぁと。






 ごっ、ごめん!ほんとに意味わかんないよね!
 じゃ、いつもネタで〆ます。

 ごめん今まで黙(以下略)。





 気を取り直して。
 しかし戦国はいい(じんわり)。六実さんには幕末萌えカテゴリと同様に戦国萌えカテゴリ(かつて戦国モノOAV(マイナー)にハマり薄い本まで作っていた)もあるのでね(おじさま口調)。そろそろ戦国再開したいねえおごりん!



BACK  INDEX   NEXT