| 2005年12月03日(土) | ||
| 安藤平三郎 | ||
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[昨日の六実さん] 時間丁度に家を出たら上司から電話「勤務表の電子データは?」ひーっとなって家まで戻ってPC立ち上げてUSBメモリを差し込んだところで会社のPCにあった事に気付く。そんな事をしていたので結局時間ギリギリでまたしても千駄ヶ谷から青年館までタクシーで。そんなこんなでダイナマイトハスラー(違)観劇。運良く捌いてもらえたので千秋楽で光る棒を振ってその後プロジェクトの打ち上げに参加。そのまま歌舞伎町で始発まで過ごして帰宅。つうか君今日午後から仕事なのに。さて問題、この中で一番ダメな大人な部分はどこしょう(どうでもいい)。 というわけで、ダイナマイトハスラー(違)ダブルヘッダーしてきました。 感想は追々話しますが、とりあえず書き残しておきたい千秋楽メモ。 [千秋楽メモ] ホストクラブの悠なお輝お兄様が、本気でレイザーラモンになってきた。レイザーラモン風ではなくて完璧にコスプレ(ぴちぴち短パン)。ひー! [供養テキスト] キャロルの家をでたら雨だった。傘を貸すというキャロルの言葉を断って雨の中歩いていく。だって傘を借りたら返さなくちゃいけないじゃないか。大人のつきあいだ。次の約束はしないものだ。 夜の雨は冷たくて、俺の体をしっとりと濡らす…ばかな、だめだ、その言葉を反芻するな。けれども雨はあのときと同じ音で降るから、俺はもう何万回も繰り返した言葉を繰り返してしまう。 あのとき、雨が降らなければ あのとき、傘があったなら 今俺が濡れる雨はあのときとは違うのに同じな気がした。 あのとき、二人は濡れていた。あのとき俺も濡れていれば、濡れていたらまた戻れるんじゃないか。 この雨はメアリーアンを濡らした雨。 この雨はローリーを濡らした雨。 だからきっと同じ雨だ。 違うことは、わかっている。 後ろから足音が近づく。振り返ればメアリーアン。まさか、ありえない。まさかこんなにもはっきりと幻覚作用がかと思ったら、街灯の下にキャロルの姿が浮かび上がった。 「…なんだよ」 「忘れ物」 キャロルが差し出したのはライターだった。迂闊だ。次に繋がるものは俺たちの間には不要なのに。 「おまえ、傘は?」 キャロルがこの雨に濡れていた。 「そっちだって」 俺がこの雨に濡れていた。 それはきっと同じ雨だ。 俺はキャロルの肩を抱いて来た道を戻り始めた。 「どこいくの?」 「おまえの家に戻るんだよ」 「ほらやっぱり。だから最初から傘持っていけばよかったでしょ?」 傘を取りに戻るんじゃない。 「傘はいらない」 あの時なかったからもういらない。 「え、じゃあ…?」 「今夜は、帰らない」 キャロルが長い沈黙の後に小さく「うれしい」と言った。 同じ雨に濡れながら、二人歩いていく。きっと俺は一生あの言葉をくりかえすのだ。 あのとき、雨が降らなければ あのとき、傘があったなら けれども今は雨が降っていて、今は傘はない。ただ、それだけの今なのだから。 ++++++++++ ただいまー。 [ハスラーメモ:壮一帆さんがやっていた役の話] 一番の感想が「平さん(※)がかわいそうでかわいそうでしかたない」という私は相当フィルターというか極所的な見かたをしてきたんだと思います。平さんに痛いぐらい感情移入(えー)。SS書かなきゃやってられないぐらい感情移入(えーえー)。 平さんの何がかわいそうかと言うと、メアリー・アンに「先に帰ってて」(何気にひどい)と振られた事でもなく、シルビアに「俺よりあいつがいいのか」で割と即答されてしまったことでもなく、ドラッグに溺れてしまったことでもなく、ブルースに脅されてしまったことでもなく、ましてや死んでしまったことでもなく、ただただ「やりなおせなかった」事なんだと思います。やりなおせたのに、やりなおせなかった。 物事をすべて「他人から」「他人より」という視点でしか見られなかった平さん。他人に対しても自分自身に対しても。自分自身に対して他者との比較でしかモノが計れなかった、判断できなかった平さんは自分自身を手に入れていなかったとも言えると思います。相対評価でしか見られない、自分自身を自分自身によりどころとすることができない人。まさに偏差値教育の弊害です(違)。でも私はその平さんの相対的にしか物事がみられない、というのにものすごく感情移入してしまいました。感情移入するってことは自分自身がそうだからなんですが(うわ)。正直な話、絶対的に物事を見れることの方が少ないと思うんです。人はおのずと何かと比較するところで自分自身にですらあやうい自分自身の居場所を確かにしているのだと思うのですが。その平さんとは反対に絶対的な「愛」を手に入れたローリーとシルビア。相手を「他人から」「他人より」という相対的な視点ではなく、ただ相手自身をまっすぐに絶対的に捉えていたローリーとシルビア。それはとても強い力でとても正論だと思うのですが、けれども相対的な視点でしかみられない平さんを決して私は悪いとは思えないんです。 最後ぐらい少しは役に立っただろう、で死んでしまった平さん。違う、平さんがすべきことは「少しは役に立つ」だなんて捨て駒(私はそう思う)発想ではなく、石にしがみついてでも今度は自分自身(絶対的な)を手に入れる事だったと思うんです。俺は負け犬だと絶望する平さんを「人として正しい事をするようやりなおせ」と言うローリー。違う、確かに平さんは結果として人として正しくない事をしてきたけれどその行動を質す前に平さんが平さん自身(絶対的な)を手に入れる事を見守ってあげるべきだったんだと思うのです。間接的には絶対的な自分自身を手に入れた結果、「少しは役に立つ」事を選ぶ訳であり「人として正しく」やりなおすに繋がっていくのだと思うのですが、微妙に斜め30度ぐらいずれてしまったような気がします。平さんの死に際(というか死んでしまったこと)とローリーがコートをかけながらかけた言葉がどうしてもひっかかってしまって、それゆえにとてつもなくやりきれなくなってしまったのです。 目を見開いたまま死んでいった平さん。何かを残したようで何かに縋ったようで。あれはどう考えても「少しは役に立って」満足して死んでいったように見えないんです。だって、やりなおせなかったんだもの。やりなおせたのに、やりなおせなかったんだもの。 小池作品の二番手男役の役どころっていっつも同じ(ある意味かわいそうな人)で、今回もわかりやすーな役柄だったのですが、今回はあまりにもその役に救いがなかったように思えます。私が見た中ではイコンの稔さんの役は最後は妻と一緒にやり直すという救いがあったし、カスミラの樹里さん(東宝版)の役は自ら手を引くという意思があったという意味で、当人が選んだ道だからという救いがあった。救い、とは違いますが薔薇の封印のミハイルもある意味かわいそうな人なのですが、あれはあれで悪として散っていった美学(は?)というか物語りの中でのあるべき帰結があったと思うし。でもヘイワードの場合はそういう救いも帰結もなかった。なんというか途中でバッサリぶった切られた感すらあるのです。 割と予備知識なく観たので、平さんが死んでしまうのは知らなかったんです。で、それを踏まえて二回目を観ると、ローリーとメアリー・アンとの場面が最高に切なくなってしまいました。 本当は平さんもちゃんと絶対的な愛を早い時期に手に入れることが出来たんじゃないかしら?メアリー・アンともローリーとも相対的な感情(損得勘定とも言える)で付き合っていた平さん。こいつは俺よりダメだ、俺より馬鹿だ、そうやって自分が「他人より」優れているという優越感と、「他人から」評価されている羨ましがられているメアリー・アンを手に入れたという優越感と、そうした相対評価の上にあった高校時代の平さん。でもきっとその中にそうした「他人から」「他人より」という物差しだけは計れない感情を抱いていたと思うんです。優越感を感じられるから彼らとつきあっていたのではなく、ちゃんとローリーを、メアリー・アンを絶対的に愛している気持ちが生まれていたと思うんです。でなければ、あの思い出の場面であんな表情はできないし、ローリーと再会して昔話をする時に、あんな優しい顔をしないと思う。けれどもそんな絶対的な気持ちを平さんは「愛」と名づける事ができなかった、ちゃんと自分の感情として認識する事ができなかった。シルビアに「メアリー・アンを愛したのは人気者だったから、わたしがアドラーの娘だったから愛した」と言われるその瞬間まで。 ※平さん。六実さんから見たアンソニー・ヘイワード氏の事。このテキストに「意味がわからない」と思った時には、これはヘイワードじゃなくて平さんだからと思ってください。六実さんが見てきたのはデイタイムハスラーじゃなくてダイナマイトハスラーだったんだなぁと思ってください。 こういうノリで話をするのはウチの特長だとは思うのですが、でもそれにしたってあんまりだ。でもあんまりすぎて割と伝わりがたくなっているからいいか、という気もしてきました(えー)(開き直るな)。 本当はこのテキストとバランスを取れるようにバカ話もするつもりだったんですが、どう考えてもこれが重すぎてバランスとることすらできません。重いなら重いなりにこのまま沈むように更に重石をのっけて今日は寝ます。 バカ話とその他のキャストの話は明日以降。結構話したいことがあるので、しばらくハスラー話を続けます。 それでは、おやすみなさいませ。 「うーん、うーん、平さんがかわいそう……」(寝言)(まだ言うか)(でも一番かわいそうなのはキャロルなんだけどね)。 |
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