2005年10月29日(土)
唇は切れたまま


 ご飯食べながらスカステでベルばら3(ツレ先輩がやったフェルゼン編元祖)を見てました。ああ、この台詞には本当はこういう背景があってこういう流れがあったのか、この台詞は本当はこのひとが言っていたのかとかいろいろ発見がありました……あー、これ新旧比較で研究対象になるよ誰か卒論書くといいよつうかわかぎえふさんはこういうところにツッコむといいと思うよ?そうやって研究対象になってしまうあたりも、まさに歌舞伎になったんだなぁと。
 ベルばら3は結構面白かったです。ちゃんとひとつひとつの台詞がちゃんと収束されていた(最後のロザリーのだましうちには驚きましたが)。そう言えば私、タカラヅカでベルばらをみてからずっとアントワネットのいう「持参金が目当てと知ってみじめになった」が納得できなかったんですよ。だってそれ原作では匂わせていないところじゃないですか?で、今日見ていたら「だから私は浪費したのです(あてこすりとして)」と繋がっていて、あ、それならこの台詞そんなにおかしくないかも(2001年宙版にもこの台詞ありましたっけ?)。それがどうしてああやって切り張りしちゃうんだろうなぁと。というかどうして同じ台詞を人を替えてまでも残すんだろう、前後を入れ替えてまでも残すんだろうと。それが心底不思議でなりません。

 そういえば、冒頭の仮面舞踏会が何故かアラビア風の踊り子の場面がえんえんと繰り広げられていました。おもしれー、今度の星組でもこれやればいいのに(きっとおもしろいぞー)。あと「アンドレ私を抱け!抱かぬのか!」が宮廷の中庭で繰り広げらていて「いやさすがにそこじゃ出来ないだろう」と思いっきりツッコみました。それからルイ16世を全部大真みらんさんに脳内置換してしまいました。だって見たいじゃないですか!「フェルゼンはいい男だ」って敢えて言うあの人とか!初めて夫婦の会話ができたとチュイルリー宮ではにかむあの人とか!(もういいから)




 というわけで、全ツベルばらの話をします。
 脳内で相当こねくりまわしてました。何度も書いては消し書いては消し。
 ということは大層ウザい話になります。


[全ツベルばらの限界1]

 千秋楽会場だった北海道厚生年金会館には銀橋がありました。歌劇事業部仕様ではなく、用途に応じて設置可能で他の興行でも使われているそうです(と、隣の親切な地元の人に教えてもらいました)。会場に入った時には全く気付かず、ベルばらが始まってワタさんが銀橋を渡り始めた時に「銀橋だ!」と大喜びしたんですが…… 全ツに銀橋はいらないよね。
 北海道厚生年金会館は結構大きな会場、というか割と空間が広いという印象をうけました。傾斜はゆるくて視野角はひろい。なんというかだだっぴろい印象なんです。それが全然埋めきれていない。で、銀橋があるせいで余計に舞台と客席の間に壁が出来ていた。更に演目はベルばら、一人の長ゼリで持たせる場面ばっかりで、なんだかすごい違和感を覚えました。入れ物はほぼ本公演に近い、けれども中味は全ツ仕様だから人も少ないセットも簡易版、ダメだ。逆を言うと、全ツ仕様で舞台が埋められるのは銀橋がないからとすら思えました。ダメだ、あの会場であの演目では誰も舞台を埋められないよ……。宝塚としてどうこうより舞台としてこれってどうなんだろうとしばし頭を抱えました。音響も照明も悪かったしね……。
 とはいえ会場を責める気はありません。なんというか、全ツベルばらの限界というか平たく言うと「やっぱダメじゃん」みたいな?(素)いやー、ベルばらに関しては市川で打ち止めにしておけば良かった。逆にそういうものを全ツに持っていっちゃダメなんじゃないか?
 確かに厚生年金会館は古いし、音響も悪いし、正直他の舞台にも向いている会場とは思えない。でもそれを補おうとする意気込みは感じたんですね。一番私が「グッジョブ!」と思ったのは、ショーの中詰で、涼さんが銀橋で最後にキメるところ。あそこのラストのリズムに合わせてスポットに色入れてシャッフルかけていたんですよ(わかるかなぁ)(すごく面白かった)。それで涼さんが雄叫び(笑)あげるとそのままスポットをすっと上手方向に流して、シバの妻達用のスポットにしていた(いい仕事だ)。照明が古くたって少なくたって、そこに心意気を感じるじゃないですか。

 ってそういうところを見るもんじゃないよねタカラヅカはね(激しく自分の頭を叩いております)。


[全ツベルばらの限界2]

 もうひとつ感じた全ツベルばらの限界は脚本の限界なんですが……いや、だって私、市川それなりに楽しんでツッコんで割と肯定的に見ていたひとだからさあ!
 多くの人に何を今更と思われそうですが。

 ここでしぃちゃんのアンドレの話をしたいと思います(イキナリ)。
 「後半の人」の異名(極所的)に相応しく、しぃアンドレ変っていましたね。ちゃんと苦悩する(のを根底に隠している)アンドレになっていたというか。オスカルときゃんきゃん言い合うところも「そんな事気にするな!ちいせえちいせえ!」っていう力技なしくずしアンドレじゃなくて、ちゃんとオスカルの言う事を受け止めて、それでも敢えてああいう事を言ってオスカルの苦悩を軽くしてあげているようなアンドレに見えました。例え話をすると(恒例)、市川で見たアンドレは、オスカルちゃんが緻密に積み上げた積み木でできたお城の一部が崩れてしまって「キー!」ってなっているところに「細かいところは気にするな!」と全部崩してしまうアンドレ君(悪気まったくなし)なんですが、北海道で見たアンドレは、その崩れた一部をそっと隠してくれるような、「ほら、もう崩れたところは見えないよ、なくなったよ」というアンドレ君でした。ですが、そうやって役として深まっていった分、脚本的にはおかしくなってしまっていました。身分差に苦悩するアンドレがフェルゼンに諭されて「俺はお前を守るぞ!」で退場するんですが、その苦悩する姿があっただけに「え?それだけ?つうかこれから何かしに行くんじゃないの?それだけでいいの?」と無駄にその真意を探ってしまいました(真顔)。あれ、台詞もおかしいですよね「お前の傍にいるだけで幸せだったんだ」の「だったんだ」の後には本来なら「だから自分のものにしちゃえー」というネガティブというか負の感情がついてくるんだと思うんですが、それなのに「俺はお前を守るぞー!(おー!)」で。なんか係り結びが一致していなくないか?市川ではそこに違和感はなかった、苦悩するアンドレじゃなかったから、アンドレの青年の主張大会で話にはおさまっていた。それが北海道で見た苦悩(していることを隠している)アンドレだと「あ、あのアンドレさんそれ本音ですか?本当はもっと違う事しようとしていませんか?」と。なんというか真意が見えなくなってしまったという。
 役者が役についてつきつめて、深まっていったのに脚本から外れるってどういうことなのよ!と愕然としたわけです。ちなみにまったく同じ現象が大真ルイ16世にもおきていました(陛下、その暗転前の表情はなんのダイイングメッセージなんですかー!)。
 (フェルゼンも含めて)真意の見えない男たちがたくさんいる物語になっていました。それは全ツ版だからダイジェスト版だからと言ってしまえばそれまでなんだけれど、それにしたってねぇ?


 なんというか北海道まで行って全ツベルばらの限界というか崩壊っぷりをまざまざと見てしまいました(……そしてそれは「全ツ」に限らないような気もする)(今更って言うな、本人が一番凹んでいるんだから)。いやもちろん所詮は星組メイトなんで、あちこちでミーハーにいろいろ見たりして星組メイトとしては楽しんできたんですが、タカラヅカファンとしてはものすごく脱力してしまいました。ごらんの通りいつもそれなりにタカラヅカを見て、ああだこうだ考えてしゃべって基本的に「タカラヅカって楽しいよね!」のスタンスでいるんですが、それ故に愕然としてしまったかというか。いや体調悪かったせいもあるのかもしれませんがでもあれはあんまりだと思ったんですよ。


 あの会場でそんなこと考えていたの私だけだよね(激しく自分の頭を叩いております)。


 すみませんバカ話に戻します。

[ベルばらにおける萌えキャラの話]

 市川→北海道と全ツベルばらを見て、最終的に涼さんのオスカルが一番私的にはしっくりおさまったなぁという印象です。お芝居自体は千秋楽に相応しい出来だったんですが、だからといって脚本から外れたという印象は受けなかった。結局原作から離れていた方がタカラヅカのベルばらにははまるのかもしれない(素)。
 涼さんのオスカルをオスカルじゃないとか子供だとか色々言ってきたんですが、もうひとつ「恋をしていないオスカル」なんだなぁと思いました。フェルゼンの潔さに対するときめきも恋と言うより、人としての敬意とか好意。フェルゼンを追おうとするアントワネットを見つめるところも、諌めるところも、自分自身の感情というよりフェルゼンの想いにアントワネットの想いにシンクロしているのに、取らねばならぬ行動があるという揺らぎ(そこにオスカル自身の想いはない)。「私だって伝えられない思いに苦しんでいる(うろおぼえ)」もフェルゼンへの恋心をうっかり言ってしまったというより、「今私が言った”思い”とは何だろう?」と言語化されたこと自体にとまどっているような。とまどい、ゆらぎ、なんかいちいち細かくふるふるうるうるしているオスカルで、それが大層新鮮でした。宝塚スタァ涼紫央の今までのカテゴリにはなかったもんだと思います。平たく言うと萌えます(ええ?)。普通に考えればベルばらにおけるオスカル萌えって「男の身でありながら」とか「下僕攻め」とかいう萌えなんだと思いますが(お前今何言った?)、涼オスカルの場合は「まだ恋を知らない、自覚をしていない」萌えなんですなぁ(いやそう言われても)。家に帰ってきて反芻すれば反芻するほど身悶えております(じたばた)。SS漏らしたいんですが、ちょっとコネタ的に半端なものしかないので、ひとり遊びにいそしみます。
 あとかけざん大好き管理人として、そろそろ涼さんの「お金持ち敬語遣い」キャラ以外も開拓したいなぁという思いがあったのと時期的にぴったりはまりました(超私的理由)(笑)。

[ベルばら千秋楽日メモ]

 とはいえ前述したように会場自体に負けている!と思っちゃったんで、千秋楽もそんなに盛り上がらなかったなぁという主観をもっています。あくまでも主観。

・昼夜で客層が違ったのが面白かったです、夜はやっぱりヘビーユーザー寄りというか(笑)。昼公演幕開きで「うわーかわいいー」の声が聞こえてました。一番面白かったのは、やっぱり昼公演でフェルゼン退場で客席が幕と勘違いしてざわついた事です。まって!ここで終りじゃないから!つうかもうとにゃみが板ついているから!(笑)
・市川感想でも言おう言おうと思っていたんですが、涼オスカルに喰らいつきつつもスウェーデン貴族の涼さんがべらぼうに素敵で最高にときめきます。でも上手寄りだとセットに隠れて見えないんですよね(笑)。つうかあのひとさっきまでふるふるうるうるしていたの人なのになんて素敵なの!(盲目)。
・スウェーデン貴族の皆様の、フェルゼンの主張に対する反応が面白いんです。市川では「フェルゼン同情派」なももかさんに対して「はぁ?こいつ何言ってんの?スウェーデン貴族の恥め!」な顔をしていたマリーノ。そのマリーノが北海道では態度が軟化してました(笑)。なんというかフェルゼンの話を聞きながら完全に自分の事に置き換えて考えている顔していました。「愛?ではわたくしにとっての愛はなんなんだろう……」いやそんな風に見ているの君だけだから!(まりのゆい部活動)。あとここでいつもふありがすごい一言一句聞き漏らすまいな顔しているのが印象的でした。
・スウェーデン士官で真顔で踊るみらゆか。でも昼公演でちらっと、どこかに客席に色目をちらりと使った大真くんに「真顔で踊りつつも気に入った貴婦人にはジャストミートで狙い撃ち」という設定を付け加えておきました(笑)。すげーなミラン先輩!と真似をした一輝慎君は失敗してやっぱり貴婦人にもみくちゃにされるんだと思います。


 ああ、ちょっと記憶が抜け落ちている……。
 あと一回、全ツ話をしようかと思います。


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