2005年10月04日(火)
『子供はこんなことはしてくれないでしょう?』


 あんまり長かったんで、こちらでしきりなおし。
 ひっさしぶりに早く帰れたもので、マシンガンが暴走しております。


[新しいアンドレ]

 星組全ツのアンドレはアンドレではないと思いました。
 どう見ても立樹アンドレは「身分の差」では悩んでいないように見えたんです。もうただひたすらに「オスカルが振り向いてくれない」ことに耳としっぽをたらして悩んでいるような?(問い掛けるな)
 正道にて王道な太陽のしぃちゃんのアンドレには全く後ろ暗いことなんかなくて、ストーカーも毒殺もなくて、ただただオスカルがだいすきでだいすきでだいすきでだいすきでかわいくてかわいくてかわいくてでもふりむいてもらえないないからかなしくてかなしくてかなしくて仕方の無いアンドレなのでした(今日のわんこ風)。本当はあの明るさと大きさが、そういう身分の差に悩んで苦しんでそれを乗り越えた故の明るさと大きさ、なら良かったのですが残念ながら現時点ではそこまで到達しておりません(あら手厳しい)。でも今の役作り(の「とっかかり」)は間違っていないと思います(後述)。それに今回の全ツ版ベルばらで、アンドレとオスカルの身分差という要素はいらないと思うしね。本当はフェルゼン伯爵がアンドレを励ます場面が、同じく身分の差の恋に悩むフェルゼン自身の投影という事になるんでしょうが、宝塚のベルばらにおけるフェルゼンとアントワネットの障害は「身分差」という社会的障害ではなく、「不倫」という倫理的障害に重きが置かれているので、フェルゼンの投影としての「身分差の恋に悩む」アンドレはいらないんですな。平たく言うと今回の宝塚版アンドレは原作どおりでなくていいという事なんですが(でも今回に限らず、つうかアンドレに限らず宝塚版は原作通りじゃないんじゃね?)(そうだった!)
 ついイジってしまうのですが、そのフェルゼンに「身分がなんだ!」と励まされて「心の人オスカル」を歌うくだりのしぃアンドレはどう見ても「そっか!身分なんて関係ないんだ!フェルゼン伯爵が言ってたし!よーし明日からガンガンアタックするぞ★身分差なんてちいせえちいせえ!」にしか見えなかったんですが……(あー、また敵を作るような事を)。でも後半戦に俄然芝居の質をあげてくるしぃちゃんなので、その辺は報告を待とうと思います(秘技・他力本願)。いずれにせよ、あの明るさと大きさは本当に得難いなぁと思っています。


[新しいオスカル]

 星組全ツのオスカルはオスカルではないと思いました。
 何が違うかって、涼オスカルは自分が女であることよりも、世の中が正しくない事悩んでいるオスカルなんですよ!正しい事、あるべきことがおさまるべきところにおさまっていない事に悩んでいる、正義のオスカル。そんなの初めて見ましたよ。実際、原作では自分が男であり女であること、そして身分差とそれにまつわるフランスの民衆の現状とフランスの行く末と人が人として生きるべき姿を憂えているのが微妙に交錯しあいながら、最期にバスティーユに倒れるのですが、星組全ツ版のオスカルはまっすぐに正義正当を貫いております。なんかフェルゼンとの恋に悩んでいるのは「自分は男として生きていかなくてはならないから」でも「フェルゼンは王妃様を、王妃さまはフェルゼンを愛しているから」でもなくて、「自分は軍人だから(戦場に恋は不要)」に見えるんですよ(曲解しすぎ)。例の「君は僕のことを……?」とフェルゼンに恋心を暴かれる(笑)場面も「違います、つうか今勤務中なんでそんな話しないでください!」って言う風に見える(かなり曲解)。前日のテキストで、「フェルゼン達が子供に(幼く)見える」と言ったのですが、オスカルに関しては加えて恋の仕方も幼いなぁと思ったのです。フェルゼンが言う「あこがれ」がまさにぴったりな。身を焦がす恋情ではなく、淡い、本当に淡いはつこひ(旧かなづかい)。原作通りである必要はない、と前述しましたがこちらも同様です。むしろ正義正当を貫いている分だけ、キャラ立てが際立ったと思うし。今回の星組全ツ版では正解ではないかと。あの「少しも早くお戻りください」の場面がすごく良かったです。正しい事を正しく通そうとするオスカル。情よりも正をとるオスカル。良かったです。
 涼さんのオスカルは非常にかわいかったです。オスカルという役を被せたらいつものキザな部分とか見栄っ張りな部分とかあざとい部分とかがすっぽりかくれてかわいいとよこちゃんが残ったみたいな。すごく面白かったのがとある回で「まてアンドレ!」と叫びながら去っていく涼オスカルに「カワイイ!」と後ろから声が聞こえてきた事です(通路を挟んでたのに)(笑)。でもそのきもちはよくわかる。うん。


[新しいアンドレとオスカル]

 というわけでアンドレでもオスカルでもない二人だったんですが、かけざんとして素晴らしかったと思います。正しい事にきちきちきりきりしているオスカル(痛々しい)を大らかに包むどころかまるめこんでしまう(笑)アンドレ。つうか一歩間違えばあの人たちやっている事ラブコメですよ!(爆笑)
 という訳で観劇しながら「料理をしていたら塩と砂糖を間違えてしまいキーッ!となるオスカル」「それを『そんな事気にするな!胃袋に入ってしまえば同じだ!』というアンドレ」「『何よ!いつもそんな風に思いながらアタシの料理食べていたのね!』とキレるオスカル」という構図が浮かびました(どこの新婚さんだ)。なんというか、しあわせな組み合わせでした。涼オスカルにはしぃアンドレみたいな適材適所感がたまりません。色々な意味で原作とも、これまでの宝塚版とも違ったアンドレとオスカルなんですが、それぞれの役者としての性質と、今回の脚本にはすごく合っていたんじゃないかなあと思います。だからしぃちゃんのアンドレの役作りも正解だと思うのです。


 無理だとわかっていてもこの二人でもっと見たいと(平たく言うと大劇場版として見たいと)思いました。
 でもそれは叶わない事なので、せめて脳内でしぃアンドレ涼オスカルにやらせたい原作場面ベスト10選出作業に勤しんでおります(笑)。ちなみにベストワンは単行本版の7巻で、司令官部屋で勝手に着替えていたアンドレを見てしまい「ばか者ー!司令官部屋をなんと心得るー!」と怒鳴り「あの胸に私は今まで平気で顔をうずめていたのかわたしは……」とモノローグする場面です(細かすぎる)。
 あと6巻の婚約者選出の舞踏会に軍服で現れて、その場の女性陣をなで斬りしていく涼オスカルが見たいです「さくらんぼのような唇をしてわらっていた、ではこのさくらんぼを盗んでも罪はならないだろうか」




 なんでベルばらでこんなに語れるかというと、単に原作ベルばらが大好きだからなんだよね(笑)。良くも悪くも楽々脳内変換とか妄想劇場とか配役ができる辺りが(笑)。という訳でドイちゃんはサンジュストをやるといいよ(最初は紫君かと思っていましたがベルナールが思いの他良かったので)。ロベスピエールに七風宇海君、ナポレオンにれおん(俺今いいこと言った!)(そうか?)……というか番外編の黒衣の伯爵夫人のリオネルを紫君で。でもル・ルーは大真くんです、これは譲れません。


 すみません、もう少しベルばら語りが続きます。


BACK  INDEX   NEXT