| 2005年08月07日(日) | ||
| 「かっこよすぎて困る」「ええ?(ドン引き)」 | ||
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今日の晩御飯。 ピーマンをいためたもの(帰省前の冷蔵庫かたづけそのいち) ゆでたとうもろこし(帰省前の冷蔵庫かたづけそのに) ギネスビール(昨日の残り。帰省前の冷蔵庫かたづけその……いやそれは全然片付ける必要ないべ?) [ソウルオブナガサキメモ:雑感] ・なんだかんだで手持ちチケットがあと2枚となりました(まだいくの?)。でつくづく思ったのですが、この芝居でなんだかんだでガツガツ通えてしまったのは、お芝居のミエコ先生ショーの部分で充分元取れたと思っているからなんだと思います(ええ?)。冒頭の檀ちゃんの芸者姿に沸騰し、蛇踊りをハンディカムでおっかけて(……)、長崎シャンソンでもんのすごい高揚して(大好きなんですここ)、更に長崎同心の皆様まで出てくるなんてなんて楽しい公演なんだろう!(真顔)とこの時点ですんごい満足した上に、精霊流しでじーんと感動もしている……なんていい星組メイトなんだ私(笑)。 ・で、お芝居本体(ミエコ先生ショーじゃないところ)については、大劇場でほぼ考察が済んでいたのですが、やっぱり通ううちに色々自分の中で変更点がありました。 一番の変更点は主役三人の年齢設定(相対的な意味として)です。神田明神の幼馴染で同世代のはずの三人が、まったくちがう年齢に見えます。伊佐次が「こども」、おしまちゃんが「年相応」、卯之助が「おとな」。……卯之助の中にむちゃくちゃ「父性」を見てしまったんですね、そして唐人屋敷を出たい、江戸に帰りたいという伊佐次を、まるでだだをこねている子供のように思えてしまったんです。そう思ったら全てがすとんと落ちました。あいつらホモじゃない(ホモ言うな)、親子なんだ(素)。おそらくは江戸で「凶状持ち」となった伊佐次と再会した卯之助は「あの優しかった伊佐次が悪人に」と思うと同時に、「いつも自分を守ってくれた伊佐兄が、自分よりも幼く弱いものに見えた」んじゃないかなぁと。その瞬間、卯之助にとって伊佐次は「まもるべきもの」「保護対象」になったというか。もうね、とにかくワタさんの卯之助が回を重ねるごとに大きくなっていったんですよ。すごい老成して見えた、父性が見えた。見た目で単純にワタさんが大きいというのもあるんですが、物理的な面以上にワタさんが大きく見える。卯之助が言う「兄弟分でも子分でも」は「追うもの追われるもの」という関係ではなくなりたい、と同時に「守るもの、守られるもの」という関係ではなく昔のように甘えたい、守られたいというのがあったんじゃないかなあと深読みする訳です。 ワタさんの卯之助に父性を感じて唸ると同時に、轟御大の伊佐次にそうした「こども」な部分を感じてしまい、こちらも回を重ねるごとにかわいくてなってしまって仕方ありませんでした。いや自分でも驚きです。 ところで、大劇場の時に「伊佐次とおしまちゃんは恋愛関係ではない、ただ同じ帰りたいところを持っていた同士」と言ったのですが訂正します。おしまちゃんの伊佐次への感情は恋愛感情(含む郷愁)ですが、伊佐次のおしまちゃんへの感情は恋愛感情ではないと思います。郷愁とか、昔馴染みというか。この差におしまちゃんは年相応(恋をして、自ら伊佐次との別れを選ぶことのできる年相応の女性)であり、伊佐次は「こども」(おしまちゃんを恋愛対象としてみていない)である、と思った訳です。 ふと、大人の男性に対して「少年のような面をもったひと(そこがかわいい)」って言うと思うのですが、女の女性に対して「少女のような面をもったひと(そこがかわいい)」ってあまり言わないですよね?(それはちょっと主観すぎるんじゃね?)。この二人を見ていると、正に伊佐次は大人の男性なのに「少年のような面を持った人」であるなぁと。かたや同じように幼い頃を回想するおしまちゃんには「少女のような面をもったひと」とは感じないんですね。おしまちゃんは年相応の立場からの回想であり、伊佐次は少年の頃に戻ってしまっている。やっぱり出産して子供を産むというサイクルを持つ女性は「もどれないもの」であって、それがない男性は「もどれるもの」なんじゃないかなぁと、思うわけです。 で、恋愛感情の有無ということで再考すると、おしまちゃん←卯之助は成立しないなぁと思うのです。いや、かつてはあったかもしれない。けれどもこの時点でのおしまちゃんへの卯之助の感情はやっぱり「父性」なんじゃないかなぁと。あいつとあのこ、そしておいら。あいつとあのこを守るのはおいら。おしまちゃんの「恋の逆恨み」はそこまで理解しえないおしまちゃんの勘違い、でも卯之助の父性ははそれをあえて受け入れている、んじゃないかと。 ・御大の特出は賛否両論喧喧諤諤だとは思います。私もムラで見たときには肯定はしていませんでした。でも結果としてワタさんに「父性」というカテゴリが生まれたこと(私の中では今までそれはなかったです)、それがさらにワタさんを大きくしたこと、こういう成長を組の頂点である「主演男役」に見出すことは稀なんじゃないかと思うんですよ。それだけでも肯定していいような気がしました。 公演終盤になって、ワタさんの芝居がすごくよくなったと思いました。檀ちゃんもすごい盛り上がってきています。その水準まで上げたのはやっぱり御大なんじゃないのかなぁと。御大のレベルに皆が追いついてきたと言うか、事実として公演のレベルがあがったというか……ちょっと(かなり?)過大評価すぎるかもしれませんが、ぼんやりとそんな事を思いました。 ここ最近の轟さんの舞台には「記号化が進んでしまってつまらない」と思っていたんですね。ぶっちゃけいつも同じいつも一緒、引越しの時に昔の轟パーソナルカレンダー×2が出てきてしまう私ですから(笑)、やっぱり轟さんは好きなんです。だからいちファンとして、専科轟悠はつまらない、と思っていました。でも今回星組で回数重ねてみるうちに、その記号化した轟悠が組内に果たす働き、というのはあなどれないと思いました。自分の贔屓組で見たからかもしれないし、ワタさんと轟さんの相性というのもあるかもしれません、でも今回の特出は結果として「アリ」だったと思いました。 とはいえ、やっぱりトップスターがいる組に主演として光臨するのは宝塚のシステムとしておかしい、とは思っているんですけれどね(だから「結果として」の感想な訳です)。 メモ書きどころかすごいながくなっちゃったよ(素)。でもずっと感じていた事をようやく明文化できたのでちょっとすっきりしました。 というわけで、残りの公演は無責任にひゃあひゃあ楽しもうと思います。 残りの公演メモはぼちぼちあげていきます。 [大真当番日誌] ・内通辞オカマバージョンが見たい!と思う余りこんなネタができました。 真汐薪君(ノーマル)に麻雀部屋(密室でふたりきり)で迫る内通辞。「俺は男だ!」「気にしましぇん」 ↓ それを目撃した百花さん「プーハオラー!!」と唐人屋敷に一気に広まる(光ファイバー並みの伝送能力)(笑)。 ↓ 動揺する唐人屋敷の人々に「そういう世界もある」と諭す水牛先生(唐人は度量が広か)。 ↓ そんな水牛先生を「うちの旦那、物知りじゃろ?」と自慢するきんさん(いや自慢されても)。 ↓ (そして内通辞×真汐で薄い本を作るエレナ様) (むりやり手伝わされるかつき(泣き顔)) (そこに風紀取締りの為に乗り込んでくる館岡さん(薄い本を読んでしまい真っ赤)) すみません、ふざけすぎました。 明日から夏休みなので帰省します。 メールは見れませんが、サーバーにアップロードできる環境は確保していますので通常稼動していると思います。つうかぶっちゃけ空蝉業務メインです(笑)。らぶらぶ節はごはんができるまで待ちたいと思います。ふりかけだけじゃご飯にならないもんねー(ねー)。 |
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