2005年04月09日(土)
体質改善


 そっか……今年の狸には(ファンシーゲームの)瀬戸内美八さんは出ないのか(しょんぼり)(今更気付いたらしいよ?)


 エリザベートを観てきました。
 とりあえずざくっと2点だけ。


[瀬奈君というかエリザベートの話]

 瀬奈君のエリザだからどうこうではなくて(ここ強調)、エリザベートはやはり娘役ちゃんのものだと思いました。
 タカラヅカでのエリザベートという役は、娘役ちゃんの殻を破らせている役なんだなぁと思いました。普段蝶よ花よと男役に寄り添う可憐な娘役に対して、その娘役の殻を破らせる。娘役という虚構の中には実に色々なものがぎゅぎゅっと押し込められていると思うんです。それをぱんっ!と弾けさせている役、それがエリザベートなんじゃないかなぁと。この押し込められているものの中には、タカラヅカという舞台を成り立たせる上で娘役ちゃんに押し込められている娘役ちゃんの「自我」であったり、娘役というカテゴリーに押し込められている「やくしゃ」というカテゴリーであったり。平たく言うと、エリザベートって「娘役が」すごい発散している役だよね!ということです(先生!わかりません!)。とにかくタカラヅカの娘役としては規定外というか、型外れというかそういう感じです。だけどその娘役という殻を破る点で、そのエネルギーを伴う点で、タカラヅカのエリザベート(という役)は素晴らしいんじゃないかと思った訳です。
 ところが今回の瀬奈君の場合、彼にはまず男役という殻があります、そしてその殻の上に娘役という殻を見事に被せました。でもタカラヅカの娘役がエリザベートを演じるためには、その娘役という殻を破らなくちゃいけないんです。でもでも、瀬奈君の場合は、この殻を破るとその下から男役の殻がでてきてしまうんです。だから娘役の殻を破れない、あるいは破ろうとしてもどこかで押さえてしまう。瀬奈君のエリザベートにそんな事を感じたんです。男役が演じる上での生命感溢れるエリザベート、を制作サイドは狙っていたのだと思うのですが、むしろその二重の殻にしばられて、瀬奈君のエリザベートは物足りなかった。これは正直意外な感想でした。
 誤解なきように言っておきますけれど、瀬奈君の娘役芸はびっくりするぐらい出来上がってました。素晴らしかったです。娘役としては合格、けれどもエリザベートとしては違和感を感じたんです。
 と、思ったのが一幕目。ところが二幕目になってから瀬奈君のエリザベートにぐいぐい引き込まれました。もっというとエリザベートが自分の外界に対して閉じていった辺りから(自分の内に内に向かっていた辺りから)。なんというか↑で言ったように「男役」「娘役」二重の殻を持つ瀬奈君だからこそ、一度内に閉じこもると、ものすごい閉塞感を生み出すんじゃないかと。外界との遮断壁が厚いんじゃないかと。その二重の殻のうちにガーッと向かっていった感じです。それに観ているほうが引きずられていく、そんな感じでした。侍女を引き連れて銀橋を渡っていくところの、ぴたっと閉めきった感がたまらなくリアルでした。これはこれでまた意外な印象だったのです。
 そんな感じで、瀬奈君のエリザだからどうこうではなくて(ここ強調)、エリザベートはやはり娘役ちゃんのものだと思いました。あるいは、演出サイドが「男役にエリザベートをやらせる」事を理解しきっていなかったんじゃないかなぁと。タカラヅカの虚構を重ねる形で、男役にオスカルを振るのはいい。男性的な力強さを表現させる為に、そして植田歌舞伎であるという前提で、男役にスカーレットを振るのも正解だったと思います。でもエリザベートには男役をふっちゃいけないと思いました。


[五代目トート、彩輝直]

 演じる人が変われば、その役柄も変わる。当たり前の話なのですが、エリザベートに関してはその思いを強くしています。脚本が外部というせいもあるのかもしれません。ちなみにベルサイユのばらに関しては、演じる人が変わっても役柄が変わるという感じはありません。あれは古典だからな……そしてあまり解釈を必要としないからな……すみません、話がそれました。
 という訳で、アヤキさんのトートは新しかったです。何が新しかったって「エリザベートを愛していない」という点で。ごめんなさい、私にはそう見えました。批判ではありません。なんというか今までで一番死神らしかったなぁと思ったんです。物言わずに舞台に存在する時の、あの暗闇をまとわせている雰囲気とか、とにかく人ではない、人にはあらざるもの感がすごかった。「死が人を愛する訳が無い」の言葉通りに。
 アヤキトートの「愛」は死神の「愛」でした。そしてそれはわたしたち人間にはわからない「愛」。というか「人じゃないんだから、トートが言う「愛」は私達の「愛」とは違うんじゃね?」という感じです。最終答弁で、トートとフランツが言い争う「エリザベートへの愛」は、全く次元の違う話、イコールで結ばれない、そんな風に思えたんです。じゃあ、死神の「愛」ってなんだったんだろう?グランドアモーレってなんだったんだろう?……答えが出ないままに幕が下りてしまいました(驚)。でもそれが違和感にはならなかったんです。だってあいつ死神だし(あいつ言うな)、死神の愛なんて俺たち死神じゃないからわからないし(そりゃそうだ)。うまく伝わるかなぁ、それぐらいアヤキさんのトートは死神だった。人ならざるものだった、徹底して死神だったと思ったんです。私たちとは違うんだと思えたんです。
 それじゃあエリザベートのトートへの愛はなんだっだろう?タナトス?……これまでタカラヅカのエリザベートが築き上げてきた「愛の物語」ではなくなっているように思えたんです。うまくいえないんですが、次の観劇でなんらかの結論がだせると言いなぁ。
 そんな感じで、新しいと思いました。でも答えはまだ出ていないと思いました。でも、面白いと思いました。アヤキさんのこのトートはかなり好きです。


 と、色々いつものごとく解釈しまくって楽しんだ反面、やはりこの役がアヤキさんの最後になるのは寂しいと思いました。何度も言っているように、私アヤキさんの娘役扱いが大好きなので、それを観れないのが残念です。固定の相手役がいないのも悲しいです。トートはトートで、優秀の美を飾るに相応しく、またアヤキさんの持ち味を生かした役だと思うし、最後にひと化けしてくれたなぁと思います(特に歌の面で)。でも寂しいなぁ……あと一作やって欲しかった(言うな)、シニョール・ドン・ファンの時みたいなのが観たかった(言うな)。


 非常にわかりにくくてすみません。
 今日、うっかり観劇中に思っていたんですが、こうやって舞台を観てあれこれどうこう考えているのって、実はものすごく一人で暴走した妄想にすぎないんじゃないかって、自分でそれに気付いていないだけなんじゃないかって、こんな話人前ですることじゃないんじゃないかって、そしてこれに対して「え?むっさん今更それに気付いたの?」って言われるんじゃないかって(蒼白)。
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[今回のMVP]

 城咲!城咲!あいつやべえ!あいつプロだよ!(何の?)。



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