2005年02月19日(土)
王家に捧ぐマシンガン4


 王家に捧ぐマシンガン最終日(ようやくか)。連日のウザトークにお客さんがウンザリしている隙に世界の中心で愛を叫ぶ、いや舞台の中心でピンスポ浴びつつ愛を叫びたいと思います。せーの!

 (・・・・・・)


 (オペミスでマイクが入らなかった模様ですよ?)


 小芝居終了。


 さくさく始めます、大真に捧ぐマシンガン(おかっちもあるよ!)(間違ってはいないよな……)。
 激 痛 上 等。



[君の外見が好きだ(えええええ!)]

 私は基本的には大真くんのビジュアルとかどうでもいい方で(非面食い)、つうか本当はこんな顔好みじゃないのよ!(お前が言うな)と普段から主張しているんですが……いやぁ、今回はまずビジュアルに喰らいつきます。
 思いがけずにあのエジプト兵の衣装が似合っていたと思います(盲目)。正直男役バンド(凱旋のところでつけているでこバンド)(局所的呼称)をつけるとどうしても小宇宙が燃えている人みたいだったんですが(そして舞台映像見た時はナシだったんですが)、それを差し置いてもちょっとステキだったなぁと思うんです。なんだろう?本公演の立樹柚希がガタイで着ていたのに対して(誉め言葉)、嶺大真はスタイルで着ている感じ?。……いやぁ、おかっちさんステキだったなぁ(そっちか)。
 もうひとつ。今回のメイクなんですが、私ああいう方が好きです(どこがどのようにああいうなのかは本人にセンスがないため説明不可)(伝わんないよ!)。1914の東宝新公をちょっと彷彿とさせた(えー?)あのメイク。変にツリ目にとか、男役顔らしくとか気合入れずに、本体のままに書いたほうがきれいだよねぇ?あの目を丸く描いている感じが好きなんです。多分、子供っぽく見えちゃうからこういうメイクってあまりしないんだと思っているんですが(童顔だし)、本人が思っているよりメイクは年齢を意識させないかと思いました。おおまみらんくんが子供っぽく見えるのは、あの上唇をみゅっと前に突き出すあの表情なんだと思います(伝わらない)。見当違いな事言っててすみません、だって私自分の顔もわかってないしな!(逃)


[エジプト人だったらお付き合いしたい大真メレルカの話]

 幕が開いて驚いたのは、私が想像していたのとは全然違う方向に大真メレルカが(そして嶺ケペルが)行っていたことです。そもそも私がケペメレをどういう役ととらえていたかと言うと、とっても太陽なケペルとその影でちょっと腹黒いメレルカだったんですね(本公演参照)。というか本公演のれおんのメレルカのキャラは最後までつかめなかったんですが(でもちょっと黒っぽくしようとしていたのは見えた)、まあ、そんな感じかなぁと。色々含んでくれそうだなぁと思っていたんです。
 けれども蓋を開けたら大人のメレルカでびっくりしました(少数意見)。なんだかすごく物わかりのいいというか、物をわかっている大人に見えたんです。35歳ぐらい(えー?)(なんでまたそんな具体的な年齢が)。正直、ラダメスよりも上に見えた、少なくともおかっちよりは上だったなぁ。ラダメスやおかっちに対する視線に「父性」すら感じられ(極少数意見)。観劇を重ねるうちに少しずつ年齢が下がっていったんですが(笑)、でもなんというかその「老成感」には変わらなかったです。若いのにモノを知っている感じで。悟っているというかわりきっている感じで。そんな大真メレルカの対極にいた嶺ケペルがすごく若く見えたんです。太陽の恒常的な熱さではなく、若ゆえの熱さ。その熱さを冷静に、時には暖かく見守る大真メレルカ。そんな感じに嶺ケペル・大真メレルカのバランスがすとんと私の中に落ちたんです。
 本当に年齢をあげてくるとは思っていなかったんで、びっくりしました。やっぱりこの人の振り幅は年齢の幅だよなーとひとり客席で唸る六実さんだったそうな(やられたらしい)。


[エチオピア人だったら避けて通りたい大真メレルカの話]

 大真メレルカですごく印象に残ったのが、エチオピアに対する姿勢なんですが、彼、ものすごく徹底的にエチオピアに対して線を引いていましたな。というか奴は本気でエチオピア人を人間とも思っていないんだと心底震えました。
 一番象徴的だったのが冒頭で、ウバルドが舞台中央で押さえつけられている辺りで大真メレルカの周囲でも同じようにエジプト兵に押さえ虐げられるエチオピア人がいます。大真メレルカはそれに逐一目線をやっているんですが、ものすごい無表情、いっそ何も写っていないぐらいな感じで、ただそれを傍観しているんです。自分に立ち向かってきた時はもちろんかわすのですが(ここの後ろ足を回すかわしかたがツボ)、それだって虫でもはらうような感じで、向ってきているのは人なのににまるでそれ以外の邪魔な障害物が飛んできたかのように、かわす。ちなみにここ、隣のおかっちを見ると、嶺ケペルは完全にエチオピア兵アウトオブ眼中で、兵士然として立っています(私が観た範囲では)。どちらも同じようにエチオピア人を人とは思っていない。けれども見ないで無視している事より、見ているのに、見えているのに無視している方がどれだけ怖いか!震えるか!(ひとりで震えていなさい)。決して大真メレルカが冷酷な人、というのではないのです。さらに象徴的な場面として、この後に伝令1が駆け込んで来て、ちょうど大真メレルカの前に倒れこみ死んでいきます。その涼麻君の伝令に対して、なんともいえない表情をかける大真メレルカ。悲しみでも哀れみでもなく、この伝令は死んでしまったのだから、もはや何もしてやれることはない、自分は兵士なのだから、何よりも今、エチオピアに攻め込まれたというその事実に目を向けるべきだ。それでも同じエジプト人の伝令に、何か憐憫とも言える思いがあって、それが少しだけ溢れてしまったかのように、何もしてやれないけれど、せめて、とその伝令の乱れた服を直してやる。いや、何もしない時もあったんですが、とにかく感情的になるのではなく、ただ想いをそこに向けてやる、向けてしまうという隠し切れない優しさってむっさんSSするなら余所でー!あの微妙な感情の出し具合がすごいと思ったんです。ビバ同期愛(話をそらすな)。
 でもそれの前には、ちょうど同じ立ち位置(上手)でエチオピア人を冷たく見やる姿を見ているわけです。その二つがすごく象徴的でした。本当に大真メレルカの中にはエジプト・エチオピアの線引きがくっきりと引かれてました。いっそエジプト・エジプト以外という線引き、あるいは世界はエジプトだけという線引き。
 私が「大地の国エチオピア」「神の国エジプト」そしてその二つの国には埋めがたい溝と相違があると、私が思っていたより、この二つの国は違うものだ。と思ったのは実はそうした大真くんのくっきりとした線引きの芝居を見せてくれたからです。あのギャップ、いっそ落差を観て心底震えて「実はエジプトとエチオピアってものすごく相容れないものなんじゃないか」と思ったんです。……ごめんなさい、私メイトなんで誉めますけれど、大真くんのこういう背景を(少なくとも私には)(笑)感じさせる芝居は、本当に秀逸だなぁと思うんです(あいたたた)。花舞う長安の新公でも、大真安禄山が「私が思っている以上にこの時代背景では『賤』」なのだと気付かされて、そこから本公演の楊国忠立ち位置が見えてきた時と同じような。そういう背景込みで芝居をするなぁと、本気ですごいなぁと思っています。
 安禄山といえば、新公で本役のトウコさんに「女をモノのように扱え」と言われた大真くん。その大真くんが本当に「女をモノとして」扱っていたよ!そう言ったトウコさんのアイーダをモノとして扱っていたよ!(転がりまわり)。一幕最後の場面で、アイーダが大真メレルカに縋るように「父親を助けて」と懇願するんですが、大真メレルカ、そんなアイーダを一瞬引き寄せて、そしてすごい半笑いを浮かべながらまた突き放すんですよ。……マジでモノ扱いだよ!怖え!敗者のエチオピア人に、自分と同じ人間とすら認めない無いエチオピア人の叫びを「馬鹿め」と哄笑するような感じで。どうとでもできるのにどうにもしない怖さ……。徹底している、徹底しすぎて怖い。けれども、当時のエジプトはそうだったんだ。当時のエチオピアに対してはそうだったんだ、そういう世界だったんだ……。
 ちなみに立ち向かってきたウバルドをケペルと一緒に押さえ込んだ後(だったかな?)、自分のマントの埃を払うような仕草をするのですが、そこもまた徹底的に小芝居でいいなぁと思っています(そこは小芝居カウントなんだ)(うん)。


[メレルカとラダメスの話]

 そんな風にエチオピアを認めない大真メレルカにとって、ラダメスのエチオピア開放宣言はまったくもって理解しがたい事だったと思うんです。エジプトの戦士としてのメレルカ。ラダメスがエチオピア開放を訴えた時、神官ネセルが「戦士たちの尊い犠牲によって……」という所でうやうやしく当然だと言うように受け答えをしているメレルカ。メレルカにとってそれが真実。それ以外は何もないし、当時のエジプトとはそんな国だった。だから本気でラダメスに対して「何故だ?」と……いや、多分「何故だ?」というのはケペルの方だな。ここでの嶺ケペルは、信じられないというように呆然としてたので(私が観た限りは)。大真メレルカはラダメスの言葉を受け止めつつも、ラダメスへの反論が今にも飛び出しそうな顔、「はぁ?つうか何言ってんのお前?」ぐらいなイキオイで。けれどもラダメスが諭すように歌いながら、皆の間を回り、メレルカの側にきたときにぽんとメレルカの肩を叩くんです。そこでメレルカははっとした顔をして、その叩かれた場所をじっと見つめます(ゆっくりっと手をそこに重ねようとしていた事もありました)。そう、一緒に戦場を駆け抜けた友の温もりがそこにある。大真メレルカはどう考えても、ラダメスの言う「平和」を絶対に理解しえない人だったと思うんです、「エチオピア開放」にも同調はできない。けれども、ラダメスに力強く肩を叩かれた大真メレルカがふっと考える、その「平和」という意味を。その主張を理解できない。けれども一緒に戦場を駆け抜けた友の言う事をならばと、理解してやろうとする。その主張は理解できない、でもそれを言ったのは紛れも無い「友」なのだ……そんな一瞬のゆらめきが見えたんです。
 エチオピア開放が成り立ってしまった時、大真メレルカは愕然と肩を落します。やはり彼は徹底的にエジプトの戦士なので、エチオピア開放宣言は自分のそれまでを否定されたに等しく、何よりも自分がまったく人として扱っていないエチオピアの開放に、それこそ何の意味があるのか全く理解ができない、ありえない、信じられない。がくりと膝を落として、首を左右にふるメレルカ。ええ私も当然のように「意味がわからない」とアテレコしてました(笑)。
 「意味がわからない」。それでもラダメスに向き合おうとしたメレルカは、やはりどこか暖かいというかハートフルというか……やっぱりこう、「慈愛」って単語が浮かんでしまったんですな(目を覚まして)。それでも彼の一番根底にあるのは戦士としての徹底的な線引きというか、問答言わせず確立している「エジプトの戦士としての自分」なんです。それに徹していながらどうしても隠し切れない優しさ(もう一回、目を覚まして)があったなぁと(もういいずっと寝言言っていてください)。ちゃんとラダメスとの間に「戦場で培った友情」があるんだなぁと思ってみました。


[メレルカとケペルの話]

 そんな大真メレルカの佇まいが、隣の嶺ケペルといい感じに対照的でした。
 嶺ケペル。大真メレルカ(私の中では大人の男)との対比を置いておいても「幼くて」びっくりしました。感情過多。「武人とはいかなる時も感情を面に出さないものだ」とベルばらでアンドレがオスカルに言った台詞をまんまかけてやりたくなったんですが!(伝わらない)(実際伝わらなかったよ)(笑)。残念ならがおかっちを通して追えたわけじゃないので、嶺ケペルの感情の流れがつかめなかったのが悔しいのですが、私の中では若くてエリートで自信満々だった戦士が友の行動をきっかけとして惑い悩み崩れていった、という印象です。自滅のケペル(はぁ?)。このひと、この後大丈夫だろうかと思いました。でもそれを超えてこのひとは成長するんだろうなぁと、このひとは最後まできっとラダメスの事を引きずって、ずっと苦しみながら考えていくんだろうなぁ。いつか答えがでるかもしれない、でないかもしれない、でもきっと答えを出すと思う。そんな感じのケペルでした(そしてラダメスの死を表面上はきっちり断ち切った大真メレルカにはある時突然ラダメスの言葉がぐわっとよみがえり、愕然とうちのめされる日が来ると思うの)(むっさんSSするなら余所で)。
 そんな感じで私の中では好対照な二人。
 谷間の戦闘で「友よ」を歌う二人。遠い目をしながら、どこか不安げな、でもラダメスを信じる気持ちが溢れていた嶺ケペル。対照的にものすごく冷静な眼差しで、谷間の戦闘に逐次目をやる大真メレルカ(ここの視線のやり方がすごいステキだった)(ついでに片足かけたときには「ひぃ!」と思った)(更に背筋をまっすぐ伸ばして凛としている嶺ケペルに対して、少し前かがみに何かを穿つような視線で谷間の戦闘をみやる様と言ったらー!)(落ち着け)。
 「そうとも時代は変わった」でラダメスを問い質すケペメレ。ここは本公演よりも「二人で仕掛けている」という感じで面白かったです。ラダメスを責め立てていくケペル、それをやや引いた位置で眺めるメレルカ。ケペルがガーッと向っていくのを「お、やっているな」と見守り、「そらそら、ラダメス。ケペルにそこまで言われているぞ、お前、なんて答えるつもりだ?」と揶揄するように半笑いで、でも時折すっと真顔になるメレルカ。本当は二人ともラダメスに思いっきり詰問したいんだろう、どうして「エチオピア開放」だったのか、これが「平和」というものなのか、自分達の苛立ちや不安をラダメスにぶつけたかった。けれども二人でそれを隠しつつどこかおどけた調子で、ラダメスの「戦士たちの名誉は永遠だ」の言質を取ろうとする二人。それでも若さ故にラダメスを責める気持ちが先立つケペルと、大人故にそれを一歩引いて眺めつつ、実は心の中にケペルと同じくらいの苛立ちや不安を抱えているメレルカ。そういえば稽古場映像を観た時「陽気に笑い踊り〜」の下りはもっと「小学3年生」テイストになると思っていたんですが、「ああーそうきたか」と思いました(伝わりにくい)。
 ラダメスを地下牢に追いやる場面。登場の時から、すでにラダメスの事はきっちり線を引いて裏切り者を処刑する為に出てくるメレルカと、動揺しまくりのケペル。恒に揺れ動くケペルの感情、そして時折どうしても揺らいでしまうメレルカの感情。「何故だ!」という言葉どおりの疑問と友を失う悲しさのケペル、「何故だ……」というやるせなさと友を失う悲しさのメレルカ。最後の「二度と人が死に赴くことがないように」の宣言に万感の想いを抑えつつ、手を胸に当ててすっと控えるメレルカ。その後ろでラダメスの死に耐え切れないように、がっと背を向けるケペル、けれどもそこから這い上がり、アムネリス様の言葉に従う決意のように、上を見上げて胸に手を当てるケペル。ここのおかっちの演技が好きなんですが、残念ながらおかっちさん、そこ照明あたってないですからー!(でもそういうところがすごくらしくて好きだ)。舞台としての見せかたとしては、大真くんの方が綺麗にまとまっているんですけれどね、そういう比較もすごく面白かった。
 ついでにこの二人は手の使い方がものすごく対照的だなぁと思いました。何度も出てくる手を胸に当てる仕草。おかっちのまっすぐな力強い手、大真くんのちょっと色を含ませた綺麗なかたちの手。凱旋で、剣を上にあげて、左手を剣の背に添えるところも、まっすぐに伸びるおかっちの手と、微妙な角度に曲げた指でみせる大真くんの手(でもマイ楽の時には大真くんの手もおかっちみたいにちゃんとまっすぐなっていた)(振り付けの先生に怒られたのかしら?)。つうかむっさん細かすぎ。


 全然まとまんないや(愕然)。こんなんだったら脚本片手に舞台全場面レビュー「ここがいいのぉ!(じたばた)」ってやった方が早かったような(でも嫌なんだよそういうの)(まとめきれなかった人がそういうな)。
 全肯定で痛くてすみません、でも今回は全肯定です、私(真顔)。色々収穫はあったんですが、↑でうだうだいっているように、お芝居している大真くんがガッツリ観られた(そしてそれがすごく満足のいくものだった)っていうのが私にとっての一番の収穫です。なのでフィナーレの話とか頑張っていた歌の話とか手フェチにはたまらん話とかは他で読んでいただくとして、これにて大真に捧ぐマシンガン、〆。
 あ、でも一つだけ追記。
 今回の舞台は本当に目が効いていたなぁと思いました。けれども同じ事を博多でも思って「ああ、これが今度は大劇場で観られるのね(震)」と思っていたら、あ、あれ?(無言)。で、その気持ちを中日でも抱いた訳ですが、今度こそこういうのが大劇場でも生かされるといいなぁと心底願いつつも、心の中でぼそりと呟いた言葉「大真みらんさん(いよいよタレント契約です)は中劇場役者なんじゃ?」……色々な意味で。多くは語りません。
 今度こそ〆。






 それにしても、大真くんのメレルカは良かった……(じんわり)(締まってないから!)。
 本当に今思い返してもスゴイ楽しかったり幸せだったり美味しかったりした記憶しかないんですよね。
 さて、これにて王家に捧ぐマシンガンも〆。長々と、本当に長々とだらだらとつらつらとお目汚し失礼しました。なんだか文章になっていないところが多数なんですが、局所的思い込み解釈満載なんですが、私的には久しぶりにマシンガン魂が揺さぶられました。いやー、良かったなぁ。
 本当に中日楽しかった、でら楽しかった、そして心身共に(爆笑)「ごちそうさまでした!(ありえないぐらいイイ笑顔)」




BACK  INDEX   NEXT