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2024年03月18日(月) 何もかも憂鬱な夜に

中村文則さんの「何もかも憂鬱な夜に」を読みました。熊谷へ向かう電車の中とホテルでと帰りの電車の中でと昨日の入浴中と今日の入浴中に読み、最後まで読み終えました。この作品を読むのは3回目なのですが、読むたびにいろんな事を感じ、いろんな事を考えさせられます。今回、この作品を読んで心に残り深く考えさせられた文章を載せておきたいと思います。その1は、「お前は…アメーバみたいだったんだ。わかりやすく言えば」「温度と水と、光とか…他にも色々なものが合わさって、何か、妙なものができた。生き物だ。でもこれは、途方もない確率で成り立っている。奇跡といっていい。何億年も前の」「その命が分裂して、何かを生むようになって、魚、動物…わかるか?そして人間になった。何々時代、何々時代、を経て、今のお前に繋がったんた。お前とそのアメーバは、一本の長い長い線で繋がってるんだ」「これは凄まじい奇跡だ。アメーバとお前を繋ぐ何億年の線、その間には、無数の生き物と人間がいる。どこかでその線が途切れていたら、何かでその連続が切れていたら、今のお前はいない。いいか、よく聞け」「現在というのは、どんな過去にも勝る。そのアメーバとお前を繋ぐ無数の生き物の連続は、何億年の線という、奇跡の連続は、いいか?全て今のお前のためだけにあった、と考えていい」と言う施設長の言葉です。その2は、「お前は、何もわからん」「ベートーヴェンも、バッハも知らない。シェークスピアを読んだこともなければ、カフカや安部公房の天才も知らない。ビル・エヴァンスのピアノも」「黒澤明の映画も、フェリーニも観たことがない。京都の寺院も、ゴッホもピカソだってまだだろう」「お前は、まだ何も知らない。この世界に、どれだけ素晴らしいものがあるのかを。俺が言うものは、全部見ろ」「お前は、本当にわかってない」と言う施設長の言葉です。最後は「自分以外の人間が考えたことを味わって、自分でも考えろ」「考えることで、人間はどのようにでもなることができる。…世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる」この3つの言葉が今回は心に響きました。私も十代の頃、どうにも出来ない自分に悩み腹が立ち、でもどうしていいか分からない苛立ちと、自分の未来と自分がどうなるのかという不安にどうしようもなくなく、1人でいるのが辛く憂鬱に過ごした夜がありました。その時にこの言葉を言ってくれる大人がいたら、またこの作品を読んで、この言葉に出会えたら、どんなに自分は楽になっただろうと思います。でも私はこの作品を読んで自分の今までの人生がこれで良かったと言う事を言葉にする事が出来るようになりました。それを明日の日記で書いて見ようかな?と思います。


kanno

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