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私は、はじめは自分で自分の事を根性がないと思っていました。でも極真空手で先輩方に揉まれたお陰で、たぶん選手として根性はあった方ではないかと思います。その根拠は延長戦で負けた事がほとんど無い事や自分より格上の相手に粘って相手を諦めさせた事が何度もあるからです。苦しい合宿でも誰よりも平均して頑張れていたと言う自負もあります。私は試合に勝つ負けるは要因が何個かあって、先ずは相手より持っている武器が足りない、それは突き蹴りコンビネーションなどの自分が出す技、受け技、間合いの操作、カウンター、スピード、パワー、身体のスタミナ(持久力)心のスタミナ(根性)。打たれ強さ、全て含まれます。試合の日まで自分の足りない物を1つでも多く身に付けておく事が大切になります。2つ目は応用力や適応力です。これは試合経験を沢山しないと身に付きません。相手を見て自分の持っている技で何が必要かをしっかり見定めて行く、相手の攻撃を見てその場で考えて対処する力です。その中で相手の受けられない技、相手の苦手な距離、相手の出せない技などを見て、自分の持っている物を適切な場面で最大限に有効利用して相手に出す事が大切です。3つ目はこれも試合の中でしか身に付かない物です。それは嗅覚、閃き、ようは感です。ここだと言う場面を見逃さない嗅覚、閃き、感です。それは技を決める時もそうですが、相手が弱気になったとか、少し気持が引いたとか、効いたとか、疲れたとかを、感覚で察知する能力です。そんな物が試合では必要となります。出せる技がルール上制限されていて、やれる事が少ない格闘技ほど今言った事が大切となります。その中の何かが戦う相手より足りないと試合で負ける事になります。これは1年2年で身に付く事ではありませんし、1度身に付けてもサボれば無くなってしまう物もありますし、年齢による身体の変化で出来なくなってしまったり、微調整しなければならない物もたくさんありす。そして最初に言った根性の話に戻ります。自分は根性があると前提して書かせて頂きますが、根性はだんだん付いて行くものではありません。ウエイトトレーニングもそうなのですが、これが楽に上がるようになったら次にでは筋肉も力も付いて行きません。自分が上げた事の無い重さや回数を無理やり上げて自分の筋肉に今まで経験をした事が無い負荷をかけ、自分の筋肉に緊急事態の状態を作るから、筋肉が次の緊急事態に対処出来るように発達するのです。根性もそうです。この稽古が楽になったら少し負荷を上げようと自分のペースで自主トレしていても強くなりません。例えば長距離のランニングや坂道ダッシュです。1人で走って見て下さい。最後まで誰でも出来ます。それは自分のペースで走っているからです。誰かと一緒に同じメニューを走って見て下さい。とても苦しいです。人と競う事で人に引っ張られ、自分以上の力を発揮し、自分の限界まで追い込むからです。根性はだんだん付いていきません。そして速くなれば速くなるだけ苦しいし、重い物が上がれば重い物が上がっただけ苦しいです。楽には絶対になりません。ただ例えば120キロを10回上がるようになってから、3年前に上げていた70キロを10回上げて見たら、楽に感じたと言うだけです。稽古も試合も引退するまでずっと苦しいです。でもその時その時でそれに耐えられる心と身体を持っているから耐えられる感じです。そして根性の付け方に戻ります。自分の出来ない事を無理やりやらなければならない環境に自分の身を置く事です。それは例えば合宿などです。その中で自分の限界以上の事を経験して、自分の限界を上げて行くのです。人間は本当に自分に甘い生き物です。自分の出来る事を少しずつやって行こうなどと思っていたら、1年でたどり着ける所に3年も4年もかかってしまいます。そのうち情熱を無くしてやめるか?頑張ったとしても時間は限られているので、気付いた時には歳を取り自分の肉体のピークを逸してしまい終わってしまいます。なので自分に無理な負荷をかける事が出来ない人は根性も筋肉も付きません。ここまでこんな事を書いていて何ですが、書きながら自分の現役時代を思い出せば、私もいっぱい反省点が思い浮かびます。その反省点をもとに生徒に指導しています。「苦も当たり前にやれば楽にもなり、当たり前も楽をしようと思えば苦になる」です。
kanno
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