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逢坂冬馬の「同志少女よ、敵を撃て」を読み終わりました。この作品を今この時期に読む事が出来て本当に良かったと思っています。この作品は、第二次世界大戦の独ソ戦が舞台となっています。お勧めしたい作品なので、あまりストーリーには触れたくはありませんが、とても心に残る言葉があったので書いておきたいと思います。その言葉は「戦争は女の顔をしていない」でした。そして「セラフィマが戦争から学び取ったことは、八百メートル向こうの敵を撃つ技術でも、戦場であらわになる究極の心理でも、拷問の耐え方でも、敵との駆け引きでもない。命の意味だった。失った命は元に戻ることはなく、代わりになる命もまた存在しない。学んだことがあるならば、ただこの率直な事実、それだけを学んだ。もしそれ以外を得たと言いたがる者がいるならば、その者を信頼できないとも思えた。」でした。この日記に以前書いたと思いますが、この作品を読みたいと決定的に思ったのは本の帯に書いてあった「戦争は女の顔はもちろんのこと、男を含めたあらゆる性別の顔もしておらず、つまり人間の顔をしていないのだという、事実を物語ろうとする、その志の高さに感服した」と言う三浦しおんさんの言葉でした。だからこの言葉を書いた、三浦しおんさんに感謝です。そしてこの作品を読み終えて心に残った言葉は「戦争は女の顔をしていない」でした。戦争を起こすのも戦争をするのも人間です。何故戦争は起こるのだろう?戦争って何なのだろう?何故戦わなくてはならないのだろう?敵っていったい誰なんだろう?そう考えさせられました。戦争を語れる人も少なくなって来た事が今現代が良いのか?悪いのか?分かりません。でも戦争を語れる人が少なくなって来た今、また戦争が起きています。戦争と言う物を戦争に勝利した物を英雄視する歴史が残る世界があるようでは、また戦争が起こるのではないかと思います。もし世界が起こったのであれば、その事をその時代の人達がいろんな立場でそこに関わったり、それを検証した人達がそれを正確に歴史として残さなくてはならないのではないのかなと思います。そして何も出来ない私に出来ることは、何故戦争は起こるのだろう?敵っていったい誰なんだろう?こんな考えても答えの出ないことを考え続けていかなくてはならないのではないかと思います。何はともあれ自分が考えるということを与えてくれたこの作品を読めた事をとても幸運に思っています。
kanno
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