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極真空手は自分の身を護るために身に付けるには最高の武道だと私は思っています。理由はたくさんあるのですが、大きな物をあげるならば、直接相手と打撃を交換する事と顔面攻撃がない事です。一見顔面攻撃がなければ護身には使えないのでは?と思う人もいるかもしれません。喧嘩では顔面だけを殴り合う事になるのですからそう思うのも仕方がないと思います。ですがそれは間違いです。プロを目指しているならいざ知らず、体格や筋力や様々な条件が違う人間がお互いにそれなりの力を持って技を交換するのならば、顔面を殴って稽古する事は出来ません。もしそれをやれば脳や目に大きな障害を負ってしまいます。それに一般の社会人なら顔を腫らして次の日に会社に行く訳にはいかないと思います。なので顔面を攻撃して日常的に稽古しようとすれば、お互いに技を当てないように、特に条件の強い人が気を使って組手をする事となるので、それこそ実際の戦いとは程遠い状態となります。もっと悪くなると接待のような組手になってしまいます。そんな組手では心のぶつけ合いや魂のぶつけ合いは出来ません。本当の戦いの中では生半可なテクニックなど通用しませんし、心のぶつけ合いをするような組手をした事が無い人は人と対峙した時に遅れをとります。また綺麗な技の交換ではなく、体力勝負になり、スタミナが切れるようなグチャグチャな殴り合いをした人は心も身体も強くなり、自分に自信が付くと思います。そして魂をぶつけ合うようなグチャグチャな殴り合いを経験した人は殴り合った痛みやどのぐらいの力で殴り合えばどのぐらいのダメージが身体に残るのか?が分かり、相手の痛みやダメージを理解出来るからこそ、簡単に人と戦うような人にはならないと思います。そして空手道では理念や道徳を学ぶ事が出来ます。そして空手道は武器を持ちません。武器を捨てる為に武術を身に付けて、身体を鍛え心を磨くのです。己の弱さや怖れに負けない人間になれば武器を捨てる事が出来ます。お互いが武器を捨てれば戦わずに事を終わらせる事が出来ます。自分が相手より強ければ、戦うか?戦わないか?を自分が選択する事が出来ます。そして戦わない事を選択すれば自分も相手も傷つかずにすみ、自分も相手も護ったという事になるのだと思います。武術は自分を守るため戦わないためにあるものだと私は思っています。だからこそ稽古では最低限、お互いの安全を守る為にお互いがルールを守りその上で思い切り魂や心や身体や技をぶつけ合わなければならないのです。戦いの無い世界を人間は何千年も前から望んでいるはずです。その為にも自分と大切な人を護れる力を身に付けておかなければならないと思います。
kanno
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