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最近私がハマっている事は、空手道が日本の本土に入ってくる前、言って見れば空手道となる前の沖縄が沖縄ではなく琉球と言われた頃、空手ではなく手と言われた頃の事を調べる事です。 言って見れば空手道の起源を調べると言っても良いかもしれません。 これは本当に楽しいです。 私が調べた結果、琉球で手と呼ばれた拳法は、大きく分けて、首里手、那覇手、泊手、上地流、があり、首里手は佐久川寛賀、松村宗混、その系譜を継ぐ知花朝信が作った小林流、喜屋武朝徳の系譜を継ぐ島袋善良の作った少林流、喜屋武朝徳の系譜を注ぐ長嶺将真が松村宗混と泊手の松茂良興作の松の字を取り作った松林流、 首里手には糸洲安恒、安里安恒、本部朝基、船越義珍など優れた武術家がたくさんいます。 日本の本土に初めて空手を伝えたのは船越義珍でその雅号の松濤から松濤館となりました。
那覇手は東恩納寛量から宮城長順に継ぎ宮城長順が剛柔流としました。
糸東流は首里手の糸洲安恒と那覇手の東恩納完量に学んだ摩文仁賢和が二人の師の名を取り糸東流としました。
泊手は松茂良興作から仲宗根正侑から渡嘉敷唯賢と継がれました。 上地流は、中国人の周子和から学んだ上地完文が上地流としました。 と言うのが主な流派なようです。 ただ琉球では手の稽古はいろいろな事情があり隠れるようにして夜中に行われた事や人前で手の技を見せる事を禁じていた事や、あまり誰がどのようにして手を伝えたか?などの文献が残っていない為、諸説たくさんあるので何が正確かは分かりません。 そして、まだまだ私も知らない事がたくさんあります。
いつになるかは分かりませんが、いつか必ず沖縄に行き、いろいろな先生を訪ね歩いて見たいと思います。
kanno
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