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2020年06月03日(水) 腐っても鯛

前にもこの菅野日記で書いたと思いますが「腐っても鯛」という言葉が私は好きです。「優れているものは、状態が落ちたとしてもその価値を失わない」という意味ですが、私はこの言葉を「自分が、どんな敗北を味わおうと、どんな失敗をしようと、どんな挫折をしようと、最後まで鯛としての誇りを失わず、最後まで鯛として格好付けて、鯛らしく振舞おう」と言う感じです捉えていました。この言葉のように振る舞った武将がいます。それは関ヶ原の戦いで西軍の将として、東軍の徳川家康に戦いを挑み、敗北をした石田三成です。石田三成は関ヶ原の戦いで敗れたあと、生き延びて機会を伺い、もう一度家康討滅の再起を図るため落ちのびます。石田三成は自分をかくまってくれた人の義に応えようと自分を訴えさせました。徳川家康は石田三成の捜索に手をつくしていました。捜索隊は、もし一村がかりで捕らえた場合、その村の年貢を永久に免ずる、捕らえられず打ち果たした場合は、その者に黄金百枚、逆にかくまった場合、その物だけでなく、家族親族および一村を処刑するというとても厳しいものでした。石田三成は自分をかくまってくれた者の義に、義で応えるため、そして自分の起こした関ヶ原の戦いは、利のためではなく、義によって起こしたことを最後まで証明しようとしたのだと思います。最後まで自分の意義を失わない行動をしたのだと思います。そして石田三成は、処刑の前も喉が渇き「湯はないか」と護送役に言ったところ「湯はない、干柿ならある、かわりにこれを食されよ」とぞんざいに檻の中に投げられると「柿は誕の毒だ」と食べませんでした。今から処刑されて死ぬ人間が痰の養生をしても詮がないではないかと大声であざ笑われると、石田三成は「大丈夫たる者が、義のため老賊を討とうとした。しかし事志とちがい、檻輿のなかにある。が、一世の事は小智ではわからぬ。いまのいま、どのような事態がおこるか、天のみが知るであろう。さればこそ眼前に刑死をひかえているとはいえ、生を養い、毒を厭うのである」と言いました。これには獄使も沈黙し、群衆も一時息をひそめるように押し黙ったそうです。私はまさしく石田三成は自ら起こした義による行動や、自分の誇りを最後まで失わず、腐っても鯛であろうとしたのだと思います。私は負けた時や失敗した時や挫折した時に、自分の誇りを失わず、鯛であろうと最後まで格好つけられる人間でいたいと思っています。


kanno

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