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空手道の原型を作り日本に普及させたのは船越義珍先生です。「唐手」を「空手道」という名称として一般的にしたのは船越義珍先生が1935年に刊行した著作の「空手道教範」のタイトルからとの事です。ちなみに私はこの「空手道教範」を昨年、古本屋で手に入れました。沖縄で発展した唐手は形の習得が鍛錬の主眼でした。形に始まり、形に終わる。その形を学ぶ中で鍛錬方法や実践哲学や精神性などの全てを学んで行ったようです。船越義珍先生の指導は、沖縄古来の技術を形稽古の中で忠実に指導されていたようですですが、船越義珍先生は形の名称を日本の言葉にしたり、立ち方の一つ一つに名称を付けたりと、とても画期的な指導の仕方をしていたようです。船越義珍先生の子息である船越義豪先生は横蹴りを実戦的に改良するなど、従来の稽古をなぞるにとどまらない探究心を持っていた事もあり、若い人達と試行錯誤して稽古方法を考えて行ったようです。船越義珍先生は試合を断固として禁じていましたが、学生達の中で約束組手や自由組手が盛んになって行き、大学同士の交歓稽古の中で試合と言うものを確立して行ったようです。そして船越義珍先生の弟子で日本空手協会の創設者である中山正敏先生が形を分解し、主要な突き方、蹴り方、立ち方、体の使い方、足の運び方などを定めて理論づけ、今日でいう基本稽古や約束組手の体型を作り上げたようです。この船越義珍先生から始まる空手の流派を、船越義珍先生の道場を船越義珍先生の雅号「松濤」をとり「松濤館」とした事から「松濤館流」と言われるようになったそうですが、船越義珍先生は自分の空手を松濤館流とは言っていなかったようです。あくまで道場と言うか建物の名前が松濤館だったようです。松濤館で行われる空手だから松濤館空手と言われるようになったのだと思います。
kanno
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