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2019年02月16日(土) 歴史を学ぶ

空手道は、自分が一生をかけて極めようとしているものであり、自分の生業として私や家族の生活の糧にさせて頂いているものであります。なのでこの空手道と言うものが何処から来て、誰がどんな思いで、この空手道の先に進めてきたのかその歴史を学ぶようにしています。大山倍達総裁、松井章奎館長の著書を始め、極真空手の諸先生方の著書は若い頃から読んでいましたが、今は沖縄から本州に空手道を初めて紹介された船越義珍先生の著書や伝統派と言われる先生方の著書も読んでいます。空手はもともとは唐手と言われていたそうです。唐はもちろん中国の唐の事で、中国の唐から技が伝わってきた事で唐手と言われていたのですが、日本で研鑽し高めて来たものだから、唐手という名称で唐のものだと思われるのは不適当だと言う事で、空手と表記したそうです。その中には徒手空拳で身を護り身を修める術であるの「空」。空手道を学ぶ者は明鏡の物を映すが如く、空容の声を伝うるが如く、我意、邪念を去り、中心空虚にして只管受くる所を窮めなければならぬの「空」。かの猗々たる緑竹の如く中は空しくして外は直く、そして節がありたいの「空」。そして宇宙の色相は観じ来れば一切空にきする。しかし空は即ちこれ一切の色相に外ならぬ。柔、剣、槍、杖、武術の種類はかずかずあるが、詮じ来れば悉く空手道とその揆を一にする。即ち空手道は一切の武術の基本である。色即是空空即是色の「空」の意味があるそうです。空手道の歴史を学ぶ事で、自分がその方々の研鑽の末端にいて、その精神や技術を学ばせて頂いている事、自分が生きる事に意義を持たせて頂いている事、自分と自分の家族を養わせて頂いている事に感謝をして、またこの空手道をさらに研鑽して、次の世代の人達に正しい形で、そしてさらに前に進め受け渡したいと思っています。


kanno

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