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2018年12月20日(木) あの日、あの時、あの試合

極真会館の機関誌であるワールド空手に「あの日、あの時、あの試合」と言うコーナーがあります。人の記憶に残っているだろう試合を当時を思い出して振り返ると言うコーナーです。私は何故かそのコーナーの取材を2回受けました。1試合は1998年の千葉大会の準決勝の野地龍太戦、もう1試合は2000年の第32回全日本空手道選手権大会3回戦の住谷統戦です。2試合とも私のベストバウトです。そして人生のターニングポイントになった試合です。数年前のことですが全日本空手道選手権大会の会場の東京体育館の休憩室でコーヒーを飲んでいると「菅野選手」と声をかけて頂き、「昔、試合を見ました、感動しました。」と言って頂いたり、またまだ選手の時に私が世界大会に出れずに会場で仕事をしていると「菅野選手、次の世界大会は出てくださいね」と声をかけて頂いたりしました。とても嬉しかったです。少しは人の記憶に残る試合をする事が出来たのかな?と誇りに思います。私にもこの試合を見て自分の人生が変わったりと言える試合が何試合かあります。それは極真空手を始めるキッカケとなった第4回世界大会の松井章奎館長VSアンディ・フグ、空手を始めた頃に膝の手術をし病室で見た辰吉丈一郎VSレイ・パショネス、人生をもっと頑張ろうと思わせられた試合は、アンディ・フグVSブランコ・シカティック、数見肇VSグラウベ・フェイトーザ、数見肇VSフランシスコ・フィリョ、数見肇VSギャリー・オニール、塚本徳臣VS鈴木国博、辰吉丈一郎VSグレグ・リチャードソン、辰吉丈一郎VSシリモンコン・ナコントンパークビュー、です。私が妻に「スポーツの試合とかを見て頑張ろうと思わせられた試合ってある?」と聴いたら、妻は私の試合を見て人生を頑張ろうと思ったと言ってくれました。その試合は2005年の第37回全日本空手道選手権大会の私の1回戦でした。私と妻はまだ出会って1年ぐらいの頃で、私の友達数人と一緒に私の試合を応援に来てくれました。私はその試合に負け試合中に靭帯を断裂し、試合会場から病院に運ばれました。その病院に妻や友達も来てくれました。その時は妻と会話はしなかったと思います。私にしたらとても不本意な試合でしたし絶望した試合でしたが、妻がその試合を見てそのように思ってくれていた事を知り、やはり嬉しく思いました。もしかしたら妻と結婚出来たのもその試合があったからかもしれません。そう考えるとその試合も私にとってベストバウトという事になりますし、その試合まで頑張った日々も無駄ではなかったという事になります。


kanno

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