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2018年06月15日(金) 父と私と息子達の生き方

私の父は中卒ですが自分の力一代で東北電工の協力店となる光電工という会社を設立しました。私は小さい頃は父は高卒だと聞かされていました。何かのキッカケで実は父は中卒だった事を知りましたが、私はそれを知り逆に父をさらに尊敬するようになりました。学がなかった父は会社を設立するまで本当に苦労したと思います。ですが父は仕事は誰よりも早かったです。私は子供の頃から何度も父の手伝いに行っていたので、父が働いている姿はよく見ていました。父は誰よりも仕事が早く一生懸命でした。仕事に対して几帳面で繊細で従業員さんへの気遣いも行き届いていました。ですが怒る時は凄く怖かったです。父は仕事も喧嘩と一緒だと言っていました。私はそんな父の姿を見て人の上に立つ人間というのはこう言う人なんだろうなと思いました。これは母から聞いた話ですが、父は一つの仕事を請け負う際もその仕事はどの位の期間がかかり、旅館代、ガソリン代などの経費がいくらかかるか、従業員さんの給料を引いて、どの位のお金が会社に残るかを大卒で東北電工の社員になった人が計算した明細を見て、その場で頭で計算して訂正していたそうです。そして仕事が終わると父の計算が必ず正しかったそうです。私が父になぜそんな事ができるかを聞いたら、父は「長年働いていればそんな事は分かるんだよ」と言っていました。でも私は父の仕事を継ぎませんでした。それは私は父のようにはその仕事を出来ないと思ったのと、父の後を継いだら私は一生父には勝てないと思ったからです。そして何より自分の道を自分で決めたかったのです。父が一代で何かを築いたように私も自分で何かを築きたかったのです。菅野秀雄二世ではなく、初代菅野秀行になりたかったのです。そして両親はその私の我儘を許して私に沢山の力を貸してくれました。自分の行く道は自分で決めると啖呵を切ったくせに結局私は両親の力をたくさん借りて今を築く事ができました。だから私は息子達に自分の仕事を継がせる気持ちはありません。自分の行く道を自分で決めて欲しいと思いますし、私の父の孫で私の子供なので、必ず自分の行く道を自分で決めてくれると信じています。そして私が両親にして頂いたように、私も息子達の行く道に協力してあげたいと思います。


kanno

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