「静かな大地」を遠く離れて
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2002年03月12日(火) 君は生きのびることができるか?

よく晴れた週末、奈良に居た。生駒山の中腹の、修行者が籠もる滝で真言を唱えたり
しつつ、日曜の昼前には京都市役所そばの本能寺境内に居た。鴨川沿いで鴨茶蕎麦を
食べて新幹線に飛び乗り、睡眠の中をたゆたいながら、巨大な富士の山体を遙拝した。
新横浜から、あんまり天気が良いので横浜の元町へ出て、港が見える丘公園まで散歩。
いくら何でも歩き過ぎだろうか、鍛え方が足りず、週明けには疲れが出てしまった。

とはいえ世間の人が風邪や花粉症に呻吟しているのを後目に、全く元気なものである。
身体が強い方ではないのだが、低位安定型というかシブトイというか、今年は風邪も
ひいていない。風邪で寝込んだり休んだりしていないというだけではなく、熱っぽい
とか喉が痛いとか鼻詰まりがするとか、そもそもそういう症状とすら無縁に過ごして
もはや春を迎えているというのは世間から見れば“非国民”にも等しいような…(笑)

食生活には気を遣っているつもりだが、それは食事を出来る時のこと。菓子パンとか
ウィダーインゼリーとかを「食事」と見なさないとしたら、例えば先々週などは平日
の食事の回数は計3回だ。もちろん朝昼晩トータルで。来週もそれに近くなりそうだ。
勝負はテーブルについての「食事」以外で、いかにモノを口に投入するかなのである。

一時、自分内でサプリメント・ブームが起こったのだが、さすがに“飲み合わせ”が
悪いだろう、というくらいあれこれ手を出したのと、総量が多すぎると思ったのとで
今はほとんど止めている。そのかわり、状況と体調に合わせて飲むものを変えている。
そういう人工的なものは口に入れたくない、という原理主義的態度を選択できるほど
「正しい」食生活を実践できている現代人は、そう多くないはずだ。食品の生産流通
システムからして、すでに我々にそれを可能とさせないシステムになっているからだ。

そこで“効く”のが、まず野菜ジュース。普通のカゴメ野菜ジュースの缶を朝晩1本
欠かさず飲む。昔の野菜に比べて、“旬”でもなければ、生育土壌も悪いと来れば、
いくら食べてもロクに栄養を摂取できない、青いまま採られたトマトが、スーパーの
店頭に出る頃に赤くなる、そんな野菜ばかりである。しかるに、カゴメさんの製品は
完熟トマト4個分だかを使用していて、採れたてをジュースにして封入しているので
これを飲めば、下手にマトモな食事を心がけている人よりも栄養摂取効率は良いのだ。

それから、絞り込んだ常用サプリメントの主軸は、「ASAHIスーパービール酵母Z」。
ビタミンBとミネラルとともに、ポイントは「Z」。「Z」のついてるのは少し高い。
これは亜鉛のZで、風邪対策とか味覚異常対策とかに効く。微量元素は軽視されがち
だが、実のところ身体の機能維持の鍵を握っている。精製塩=塩化ナトリウムでなく
海から採れた天然塩や岩塩を料理に使っていれば摂取できるのだが、いかんせん外食
ばかりしている身では、こうして意識的に採るのがいい。以前は天然塩を舐めていた
ことさえある。特に真夏の暑い時期、汗とともに体内の微量元素系のものが外に排出
されてしまうので、いわゆる夏バテの原因になる。ちなみに僕は夏バテもしなかった。

あと、食事でもお茶や間食でも気をつけるべきは、とにかく“少量多品種”の摂取。
栄養学の先生を小一時間問いつめて、要するにどうなんだと詰問したら、きっと答え
は「種類を多く、量を少なく」というところに行き着くらしい。とりあえずいろいろ
投入しておけば、あとは身体がなんとかしてくれる。ただし過剰な量の食物は体内で
老廃物となって最大の毒となる。この原則を実践するのは難しいようだが、外食でも
心がけ次第で結構品数は稼げるものである。増して居酒屋など自分で発注できる時は
ヴァリエーションの稼ぎ時だ。調味料や食用油の類もカウントすべき大事な要素だ。

そして最大の極意。無理しない。疲れたら仕事やサービスの質を落としてサボること。
食事さえも、毎回“ちゃんと”しなければならないという強迫観念を捨てて実を取る、
そういう不真面目さが肝要。風邪ひいてサボるより、ひかないでサボる方が得だし♪

というわけで…でもないのですが、ここ数日間サボった分の「静かな大地」日録です。

題:263話 栄える遠別23
画:コテ
話:何かに力を注いで、天が翻意するのを待とう

題:264話 栄える遠別24
画:綴じ針
話:天は稲の分を減らして雪乃さんの分を増やしたのですよ

題:265話 栄える遠別25
画:ホネ貝
話:農業や牧畜についての新知識を広めるのも三郎の仕事だった

題:266話 栄える遠別26
画:燐寸
話:チコロトイは本当に困った時に頼るところであった

チコロトイ=遠別コンミューンのサバイバルは、出来ないのか、なぜ出来ないのか、
未来においても出来ないのか、そういう脳内チャランケを宗形兄弟としていくこと。
御大の新聞連載三部作(<誰も言ってないって 笑)の“未来篇”を構想すること。

身体も精神も含めて、ひとりひとりのプチ・サバイバルの手段を探る努力が必要だ。


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