「静かな大地」を遠く離れて
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2001年10月31日(水) 「経済動物」の叛乱

題:138話 鹿の道 人の道18
画:ハンコ
話:ほぼ十年ほどのうちに狼は一頭もいなくなってしまいました

赤木駿介『日本競馬を創った男 エドウィン・ダンの生涯』(集英社文庫)
を未読の方は、副読本としてお読みになることを再度オススメします。
「開拓使はストリキニーネという舶来の毒を配って…」というくだりを
実感をもって読めるエピソードが描かれています。

「“害獣”は文明国の恥であるから絶滅させよ」と本気で主張する学者が
いる時代があったし、いまだって「生物多様性の保全」なんて難しい理屈に
賛同しなければ「野蛮」な人間だと思われかねない、自然に優しくするのが
良識ある人間のとるべき態度だ、という基本思想が刷り込まれていればこそ、
自分の子供が歩く通学路にヒグマが出没するかもしれない土地で暮らしても
“害獣”を絶滅せよという声は聞こえてこない。
「春熊駆除」という施策が行政の「公共事業」として行われていたのは、
ほんの少し前の話だったりはするわけだが。

さらに「経済合理性」の圧力には勝てない。
あらゆる家畜も競走馬も「経済動物」である。
人の都合の集積である「経済合理性」で生かされもし、殺されもする。
ヒグマだって生かそうと思えば広大な森を保全、復活させればできる。
そのコストを一体このご時世で誰が払うか、というと誰も払いはしない。
むしろどうにかして公共事業のひとつも誘致して開発しなければ人が死ぬ。
ヒグマがいない地球、ヒグマがいない北海道は寂しいな、では払えない額。
不可逆的に失われる「遠い自然」の値段はプライスレスなはずなのだが、
この価値をエコノミーの中に「回収」することは極めて難しい。

エコノミーの原義、オイコノモスとは、すなわち共同体の理法。
いわゆる先住民族のオイコノモスの中にヒグマの生死の循環までも容れた
「経済理論」はあっただろう。
しかしそれを取り戻すことは、少なくとも気合いだけでは無理だ。
すでに絶滅した、させた種だって沢山ある。
その業は背負わざるをえないだろう。

半村良御大の作品の中に『寒河江伝説』とその続編『人間狩り』がある。
これは確か世界の家畜に突如病原体が蔓延して、食用に出来なくなると
いう状況を背景に、日本の東北に出来た独立自治区を描いたSFだった。
その自治区の戦略武器は、安全な食用技術の独占と先端医療技術では
なかったかと記憶している。

ヒトと動物の関係もまた、過去から未来に渡って安定的なものではない。


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