「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月29日(土) 近現代史の見取り図がほしい

題:107話 札幌官園農業現術生徒17
画:髭剃り
話:頭では言葉を学び、手と足はわざを学ぶ

この日録、昨日の最後で急に北海道のことから満州に話が跳びました。
福田和也氏の新刊を買ったせいもあるんだけど、もう少し敷衍しておいた
ほうがよかったかな…と思ったり。
#よく考えたら福田氏って『作家の値打ち』書いた人だったりする(笑)
ぜんぜん忘れてた、っていうか別にそんなことは気にしちゃいられない。

で、昨日の補足。
『武揚伝』を大宣伝して煽ったのはいいけれど、とある読書好きの女性の
読後第一声は、

 下巻の裏表紙を閉じて「こんなの知らな〜いっ!」。

…だったそうで、学生時代にフツーに日本史の授業受けてたはずなのに、
こんな大きな出来事がまったく「初耳」だったことを痛く“不当”なこと
だと受け止められたようです。もっともな話でしょう。
ことほどさように、前提となるべき“幕末史”“榎本武揚像”そのものが
茫洋として曖昧な霧の中にあるのが、一部の歴史オタク以外の若い世代の
アベレージなのかも。ちなみに彼女は「ともかく、本として面白かった」
と言ってくれたので、薦め甲斐もあったというもの。未読の方、是非(^^)

総じて「近現代史に無知」な国民、というのは幸福なことかもしれなくて
インドシナ半島やバルカン半島や朝鮮半島では「無知」じゃいられない。
そのへんの感覚を田口ランディ氏がカンボジアへ行かれたあとだったかに
うまく言い当てていたと思います。「現代史に詳しい日本の男」にはイヤ
な奴が多かったとか…。冷戦期まではそうだったのでしょう。
でも90年代を越えて2001年9月11日に迎えた21世紀は、流石に
80年代とは違う歴史認識が必須アイテムになるでしょう、否応なく。

『英語できますか?』(新潮選書)の井上一馬氏が英語習得について上手
な状況説明をしているのが参考になるかもしれない。すなわちこれまでは
日本の人々が英語を習得するメリットがコストに見合わなかったがゆえに
「日本人は英語が苦手」と思われてきた、しかしここ最近の状況の変化は
英語をコストに見合うメリットを生み出す道具に変えた、従ってこれから
日本人は英語を本気で習得する(できる)ようになるだろう…なる趣旨。

近現代史の知識も同様であるのではないか、というのが僕の見方。
言ってみれば近現代史の知識というのは、会社の中の「申し送り」みたい
なもんで、「困りますよぉ、先輩!言っておいてくれないと。取引先で
恥かいたじゃないですかぁ。今回は私が恥かいたくらいで済みましたけど
下手したら取引先ひとつなくすとこでしたよ!(怒)」…みたいな感じか。

歴史教科書(と課程)に関する具体的な提案は、先日ここで書いた。
16世紀以降の「日本ーインドネシアーオランダ」三地域の関係史に集約
した叙述を骨組みとし、あとはそれを説明するための背景と割り切る。
歴史の複眼性と“アカウンタビリティ”を養うための「実用型」教科書を
実現する意味で、記述は英語を採用する。以上♪

さて下の「******」以下は、僕が1999年3月に書いたものです。
文中、オキナワのことに触れかけて未消化になってます、ちらちらとリンク
はしてるけれど。このあいだ掲載したアメリカ観光旅行メモでも寸止めで
オキナワそのものには触れていない、というか避けている感じもある。
ラストの一言がウルトラセブンなのはオキナワ・リンクだけど(笑)
ま、そのへんの話題はこれから9月30日づけ日録で書きますか(^^;

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日本の近現代史の見取り図がほしい、とずっと思っている。

琉球と満洲は、そのミッシングリンクだと思います。
樺太や台湾となると少しずれるし、朝鮮となると視点を上手くおけない。
在日のことか、サハリンスキーカレーエツ(サハリン残留朝鮮人)ならまだ
勉強すれば視点はとれそうだが・・・。北海道なんてのもある。

以前に福田和也「魂の昭和史」という黄色い表紙の本を読んだ。湾岸戦争後
の90年代も後半になった今だから、アメリカという補助線も相対化できて
わかりやすく見取り図が描けそう。沖縄もバブル経済も竜馬も含めて。

仕組みはこうです。
竜馬の時代、日本は・・・というより薩長はイギリスのゆるやかな統治下に
入ったのです。関税自主権などいろいろ国としての条件が不備で、明治が長
らく不平等条約のもとにあったことはご記憶でしょう。薩摩も長州も英国と
戦争して負けているのです。そして友好関係を得て、有り体に言えばテコ入
れしてもらって、幕府を倒したのです。グラバーの動きなど研究して見れば
面白いはず。

そして最近の仮説では竜馬を殺したのは、イギリスの意を受けた薩摩の手の
ものだと言われています。竜馬は英国と対等に張ろうとおもったし徳川慶喜
もそう思ったでしょう。フランス式の陸軍を作ったりして幕府はフランスに
頼ろうとしていた。その辺の機微は未だに明瞭な見取り図ができていないが、
明治維新の日本の若者たちをあまり英雄視するよりも国際情勢から解説して
もらった方がほんとっぽい。ことによると落合信彦になっちゃうけど。

で、明治から第一次世界大戦まではパックスブリタニカのもとでひたすら、
イギリスのような通商国家を理想のモデルとして頑張って、日清、日露戦争
を闘った。それはイギリスの覇権が自由貿易体制を保証してくれていたから
こそ可能であった。ゲームのルール。

それが世界帝国イギリスも斜陽になって、時勢はロシアに革命が起こるまで
至って、世界の運営の枠組みがむちゃくちゃになったわけだ。
1902に対ロシアの日英同盟を結んで、ベルサイユ会議後の1921だかに解約
されている。自由貿易体制を支えきれなくなったのだ。

そして時代は1920年代から30年代。シベリア出兵の泥沼と関東大震災など
ありながら経済恐慌の時代へ突入する。せっかく頑張って一等国の仲間入り
するために邁進してきたのに、気がついたらその体制の枠組みそのものが
なくなっていたという状態。

列強が既得権益を抱え込んで日本を閉め出すなら、日本は日本の権益を確保
するしかない・・・といって満洲に手をのばす。ズルズルと。
そして大陸に踏み込んでいって、挙げ句の果てに、東南アジアの英米仏蘭の
権益と衝突して太平洋戦争に至る。なんともどうしようもない話だ。

ヴィジョンの消え去った後にバブルに踊って戦線を広げすぎてどうしようも
なくなって破滅。バブルの前までは登り調子で、いよいよ頂上もみえようか
という気分だったのに・・・。結果的になにもかも無くなってしまった。
・・・おわかりのように、戦後50年と全く同じなのです。

もしかしたら違うのは、まだまだ崩壊がこれからかもしれないというところ。
冷戦集結から湾岸戦争あたりがまだ1920年頃で、日本はこれからジリ貧に
満洲進出していくのかもしれない。「アメリカの平和」の果実は今のところ
まだ私たちのところに届いている。
でもいつかは世界の経済システムが保たなくなって、今のように富が回って
こなくなるかも知れない。

米中関係とかがおかしくなって、日本が何か変な役回りをあてがわれるかも
しれない。今後も予断を許さない情勢。・・近代文明は魔物です。

ハワイ併合を果たしたアメリカがフィリピンを手中にして日本と対立し始め
たのは20世紀の初めのこと。沖縄の米軍基地の映像など見るにつけ、あれ
こそが日本のほんとうの姿だと思います。
日本国の現状。軍事占領されたまま50年を経た極東の島国。

パックスアメリカーナの優等生はアメリカを夢見て、やっとそれっぽい生活
ができるようになったころには、世界システムが変わろうとしている。
またしても「創業の奇跡」は神話に、そして桎梏になろうとしている。
経済成長神話は戦前の大艦巨砲主義なみに国を誤らせるものになりつつある
のかも。成功の要因に縛られて国は滅びる。法則である。

関東大震災くらいのフェイズは終わっているのだろうか、阪神大震災で。
すると今は昭和初年、いよいよマジで暗い時代が始まってしまうのかねえ。
芥川龍之介が不安の中で死んだりしたような。ヴィジョンがない。
でもつくろうと思ってもきっと満洲国なみにイケてない、姑息なグランド
デザインしかできないんだろう。
そのうちまた「チクショウ毛唐め」とか思うんだろうか?・・みんなで。

結局システムを構想したり作ったり支えたり、そういうある種あざといこと
に参画する特権と義務が「ビジネス」の精神を支えていたりしたのかもしれ
ない。そういう意味では夏目漱石「それから」の代助が何故働かないか、
その理由を日本の国際社会の中の位置に言及しながら小理屈をいう場面が
あるけどこうして考えればよくわかる気がする。代助の父や兄がやっている
のはビジネスではなく商売に過ぎないのだろう。

ビル・ゲイツとかはどうだろう。孫正義はどうだろう。そういう意味では坂本
龍馬がやっていたのは、あの時代のまちがいなく「ビジネス」であり、海援隊
の遺産を使って三菱財閥を起こした岩崎弥太郎がやったのは商売だったのだろう。

僕は・・・サマージャンボを当てて、家庭教師を雇ってヨーロッパを贅沢に
グランドツアーしようという程度の不届きなヴィジョンしかない。「和製」は
なぜ貧乏くさいか・・・を考える学問とかあってもいいと思う。
F1見て回りながら欧州文化を勉強したい。そして日本では鎌倉を散歩する。
一方でバリに入れ込んでみたりする。

まあこういうことに、さらにヒトと自然との関わりとかが入ってくるんだよな。
沖縄とかアラスカとか北海道とかだと割と見えやすいだろう、経済活動の醜さが。
でも「ワタシ感覚の小物たち」に入ると見えないんだよな。
「クロワッサン」誌のようなプチ生活資本主義。なにせクマとヒトは遠い。
クマちゃんのぬいぐるみと、獰猛な野生のヒグマくらい遠い。
沖縄やアラスカの方が豊かだ・・・と言うと、とたんに上条恒彦オトコが出現
してしまう。困る。別に上条さん本人に恨みはないが・・。

星野さんはニューヨークのような都会とアラスカの原野を同じように愛した。
ヒトにとっての「自然」があるからだろう。中途半端なイナカというパブリック
プレッシャー空間を「国家」と呼ぶならば、それは醜く危険な魔物だ。
巨大な無責任の体系。それを嫌う人間とそれを利用する人間・・・。

まだしも「もう戻れないから、システムのバッファーを作り続けながら加速し
つづけてこのまますすむしかない、それが偉大なる人類の実験だし、生きている
実感の拠り所なのサ」…とかなんとかサンタフェ研究所のそばのサンドイッチ屋
かなんかで、浦沢直樹マンガに出てくる白人のような顔の研究者に言われちゃっ
たりしたら「私あなたを支持します!」って感じでしょ?

満洲建国とか大東亜共栄圏には、ケチなレベルだけどそうしたヴィジョンめいた
ものの臭いはあったようだ。どっちかというと商売に近いけど。
F1に魅かれるのは、あれが最前線だからだ。アップルのMacもそうだけど。
零戦はきれいだったんだろうな。
結局何をどうしたらいいのかわからないまま、ポトラッチの狂熱に落ちていった
のかな?・・そんな気分まで掬いとらなきゃ歴史なんてなにも見えてこない。

「もののけ姫」も「エヴァンゲリオン」も、神経症的に深刻な話だった。
「インディペンデンスデイ」を日本人が作りうるとしたら・・・?
アメリカのヴィジョンを無理なまでに愚直にやるとああなるわけで、日本でやる
ときはこの国のヴィジョンを過剰に類型としてやらなきゃしょうがない。
なんだろう?
「ウルトラセブン」か?・・・わからん。宿題にしておこう。


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