「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月23日(日) ボストンから出撃せよ!(6)

題:101話 札幌官園農業現術生徒11
画:こはげ
話:「クラーク先生がおっしゃたのは、開拓は崇高な事業であるということだ」

「ホントに極私的G−Whoアメリカ旅日記2000」

 2000年10月13日

 DCでもシャツにアイロンをかけて、翌朝それを着て出かける。
 NORAに入る時にフリースでもあるまい、とジャケット・コートも持参して
 スミソニアン博物館群をにらむ。
 朝、地下鉄でチャイナタウンの写真「取材」。
 昨夜撮れなかったのでスターバックスの漢字の看板を撮っておく。まじめ。
 ついでに朝食。『満州の誕生』を少し読む。

 National gallerlyも見逃せない絵が沢山ある。印象派好きな日本人趣味を
 充たしつつ、今回トクしたのはラファエロとフェルメール。
 あと別棟でやっていたアールヌーヴォー展がおトクだった。満腹。
 それにしてもFine artってどうしてどのように存在するものなのだろう、と
 Bostonからまた思っていたことが復活する。Parisなんかだと必要不可欠な
 ものとして受容されていることだけはわかるけど。
 同じくScienceというやつもわからない。
 面白い、と結構広範な人々が思って触れるのは妙なことのはず。
 一部の錬金術師や異端の魔術師や王宮のお抱えの研究者が血道をあげるなら
 ともかく。そんな感慨を自然史博物館が裏打ちする。
 なんであそこまで…といいつつ、展示がちゃんとしているので編集の行き届いた
 TV programのように、カキワリの裏が見えない感じ。Harvardの赤レンガの中
 の方が、生々しく基礎科学の欲望が視えた気がする。
 世界の支配者、アメリカの首都らしい。
 つづいて隣のアメリカ史のMuseumも入ってしまう。
 だいたい朝イチでNationalArchivesに行ってるんだからマニアックな喜び方だ。
 アメリカ文明と文化とテクノロジー。
 スチーム・パンク・アメリカとかつぶやきつつ、
 Edisonの“メンローパークの魔術師”な伝記を読みたいと思う。
 なにせ子供のころ唯一読んでいた偉人伝はEdisonだったりしたのだ。
 昨日の航空宇宙博物館でもJFKの演説が流れていたけど、本当に彼の残像は
 どこでも濃厚だ。
 そして日本と交戦国だった歴史。日系人の歴史。黒人の歴史。フム。
 万次郎は琉球に帰着したりしている。
 いつもフロント・ラインになるオキナワ。
 イロクォイの展示だのアラスカの展示だのポリネシアの展示だの、
 アイヌの展示だのいろいろ想いがとぶ。

 ワシントン記念塔からホワイトハウスへ。
 そこからデュポン・サークル。
 暗くなって待ち合わせ。NORAへ向かう。内装も素敵で、すべてオーガニック。
 ワインも美味しい。一緒に食べる相手もいい。
 南米某国の高速道路が不良債権化しているのをどうリストラクチャリングするか、
 みたいなプロジェクトで今日プレゼンを終えて一息ついたところだという。
 未消化な旅の感慨をワインにまかせて話す。
 一応本気で考えている自分の仕事についても話す。
 僕は今ここにいる、という座標になる。これくらいバックグラウンドが異なりつつ
 話が出来る友人がいるというのは楽しい。御三家の本のセットをプレゼントして
 彼女の人生観、世界観に少しだけ微妙な影響を与えてみようというイタズラをした。
 ペッピーノごっこ。もしかして将来僕の人生のBest jobになる可能性だってある。
 全地球的おせっかい。
 


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