「静かな大地」を遠く離れて
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2001年09月19日(水) ボストンから出撃せよ!(2)

題:97話 札幌官園農業現術生徒7
画:ヘアピン
話:札幌は北緯四十三度に当たるのだが、
  これはアメリカで言えばボストンという都と同じ

「ホントに極私的G−Whoアメリカ旅日記2000」

 2000年10月9日

 曇り空から冷たい雨の港町。フリースでは寒い朝になった。
 明け方から起き出して長い睡眠でも保ちきれない時間を洗濯で潰す。
 …っていうかツブす必要はなくて本読むなりガイドブックみて思案するなり
 いろいろやりようはあるのだが、ホテルの部屋に入るなり「アイロン!」と
 思ったくらいだからしょうがない。以前フランクフルトでバリ島に備えて
 アイロン三昧したことがあって、殊の外楽しかったりしたのだ。
 かくして記念すべきアメリカ最初の朝はアイロンと格闘しているうちに明けた。
 ダンキン・ドーナツでオニオン・ベーグルとブルーベリー・マフィン。
 9:00OpenのNew England Aquariumという「バイカルアザラシに会うまで」
 風のチョイス。

 横浜にも似た港町、大西洋に開けている。
 あのアイルランド西岸の、どんよりした空と海の“つづき”のように、ここに来た。
 流れはいい。巨大水槽のウミガメなど見ているとジョン・マンのことを想う。
 ホエールウォッチ船が出ていたり捕鯨の歴史があることは港町・室蘭を思わせる。
 天気の悪さ、寒さ、疲れを考慮して、それとBostonをわが手中のものとする?ために
 今日は遠出を避けることにする。
 懸案はホテルがもう一泊分しか確保出来ていないことくらいか。

 夕方眠ってしまって、つい夜明け前に目覚めてしまう。
 日本時間の早朝から午後という最もだらしない時間帯。
 昨日はMuseum dayだった。Aquariumのあとボストン美術館mfaへ。
 ここはフェノロサゆかりの、ジャポニズムの拠点となったところで、
 オリエントからモダンアートまで置きつつも、白眉は印象派だろう。
 オルセーでさんざn見た身にとってもミレーやモネの数には圧倒される。
 ずいぶん多くの日本人観光客がいることにも気づく。あと西洋人のツーリストも。
 ギリシアみたいにツアー・バスに乗ろうとまでは思わないが、白人のおじさん、
 おばさんの観光客ぶりには安心させられる。休日の鎌倉のようだ。

 体調が思わしくないのか、地震などあるべくはずもなく、微妙な目眩にフラついている
 ということか。たどりついたゴーギャンの大作の前のソファを占拠する。
 「われわれはどこから来たか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」。
 絵画として云々という以前に是非見てみたい大作であり、強いこだわりを喚起する作品。
 これがBostonにあることには直前まで気づかなかった。「日本娘」なども見て楽しかった
 けれど、いつかタヒチへ行こう、とか『ゴーギャンの世界』再読しなきゃ…とか含めて、
 やはりこの巨大ゴーギャンこそ得がたい体験である。

 街で寒さ対策として上着を物色する。
 アクアスキュータムの服屋さんでハーフコート・ジャケットのネイビー・ブルーを購入。
 ウールとカシミア。これでトウキョウの冬もOK。
 持ってる水色のダッフルは毛玉も出てるし、時に大げさ。かといって長年来ていた
 ダウン系も処分してしまったし、冬物がなかったのだ。
 そこそこ活動的で良いテイスト感もある。
 Y々木の新居を整えるのとパラレルに、都市に住む楽しみを見出そうとしている秋。
 そのスプリング・ボードとして今回の旅行を使いたい。
 自分の中にストイックさと欲望と美意識。その総体と正体。
 
 サウスステーションで明日からの戦略を練りつつ、ナンタケット島をどう攻めるか、
 フェアヘイブンへは行くのか、思案する。10.9は市内、10.10、10.11を
 使い切ると次はもう10.12の移動日だ。ナンタケット島へとにかく行って飛行機で
 でもボストンへ戻るという手はある。ホテルくらいはあるだろう。アイルランドで
 あれだけ行き当たりばったりにアラン島へ行った人間だ。
 そういえば今回の脳内BGMは、なぜかアイルランドの曲。アルタンのインスト曲が
 頭の中で回りつつ、時に「歩いていこう」に化ける。
 
 小雨の中、まだ日が落ちるまで楽しめる場所…と思って地下鉄でHarvardへ。
 キャンパスを当てずっぽうに歩きつつ、自然科学のセクションと思しきゾーンへ。
 ガイドブックで見た自然史博物館=ナチュラル・ヒストリー・ミュージアムを見つけて
 中へ入る。キャンパスといい建物の雰囲気といい、まさに北大!と一人ボケをかましつつ
 マサチューセッツ直輸入の北大の歴史を思う。
 だいたい旅の最終日にワシントンDCのスノッブなオーガニック・レストランでデートの
 約束をしている人間が、捕鯨の歴史と日米交渉史の関係の深さを思いつつ、
 ニューイングランドの主知主義、世界獲得の意志を見物している図、というのは面白い。

 実際“文明の配電盤”(司馬遼太郎)たる本郷の東大とか上野の博物館をこれくらいの
 気合いを込めて「観光」すれば、ちゃんと同じような図式は見えるのだろうけど、
 そこはもう少し原型としてのアメリカという“意志”を見切ることにする。
 英国なり大英博物館へ行ってしまうとまた世界史上に拡散してしまうので、
 「原住民」との接触という問題を含みつつ、文明の「移植」という自覚性と実験性を
 持ち合わせたアメリカ北東部を源基とする。
 20Cとなると問題はアメリカに集約されるのだ。

 にしても博物学的欲望の肥大という19c、一方で奴隷を使い、一方で49’sの
 金鉱掘りがあり、ナンタケット島を拠点にクジラ(の油)を捕りまくり、
 後に「自然保護」のスタンスをとる「知」の軌跡とは一体なんなのか?
 わずか150年。ウォールデンも150年。
 鉱物標本、太平洋諸地域を中心として南米、アフリカをカヴァーした民具の数々、
 ディノサウルスや原初の馬などの骨の化石、哺乳類の膨大な剥製群…。
 荒俣宏御大の本の世界。19c感覚のコレクション。レンガ造りの建物の中で膨大な
 標本と向き合う。ここは小ぢんまりとしているが、博物学的欲望というものが、
 小さくともトータルとしてヒューマン・スケールでまとまっている分、
 なおさらにそうした欲望とは一体なんだったのか、という想いにとらわれる。
 19cにはまだこうした具体物のカタチと格闘しながら、神の意志の忖度から派生して
 世界と時空の中の我々の居場所をデッチ上げようという与太話に執心していた。
 それがノスタルジックにも見えて、現在の目から見ればわずか150年にして
 「捕鯨王国アメリカ」くらいにアナクロニズムに映るのは、隣のモダンな建物が
 ケミカル・バイオロジーの研究棟であったりもするからなのだ。
 イノセントな大学街の基礎研究の持つ、計り知れない大きな巨きな力。
 スウィフト『ガリヴァー旅行記』の科学者カリカチュアなど、遠く及ばないほどに。
 そこでようやく今回の旅のカゲの目的とクロスする。
 ダートマスには行けないものの、紅葉の大学街で意味なくトートバッグを肩から提げて
 形而上めいたことを考えてみたいのだ。
 リン・マーギュリスさんの啓蒙書もちゃ〜んと持ってきてある。
 
 アラスカともネパールとも通底しつつ、カウンター・バランスとして選ばれた
 ニューイングランドという旅先。ここはアイルランドの「彼方」にして、
 20cの首都ニューヨークを間に挟みつつワシントンDCを睨む、世界軸の導線。
 ジョン万次郎ー坂本龍馬にとって間違いなく“味方”であった、古き良きアメリカの物語。
 ベンジャミン・フランクリンからトーマス・エジソンへ。そしてJFK@上杉鷹山ファン。
 一貫して流れる日本への視線。ボストンと日本の接触点。
 1905ポーツマス条約@ニューハンプシャーあたりを分水嶺にして離反していく日米の
 歴史を、帰途の飛行機で『満州の誕生』をテキストにして考えることにしよう。
 なにはともあれ御大あこがれ?のナンタケットである。アラン島に相当する旅の極点、
 島に行かなきゃはじまらない、Bostonも“わが街”にならない。宿泊して翌10月11日
 の早めに飛行機でBostonへ戻ってこよう。その日にFairheavenに行ければそれもいい。
 


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