「静かな大地」を遠く離れて
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2001年07月22日(日) 懐かしき「和製」のナゾ

題:41話 最初の夏11
画:麦の穂
話:函館で三味線の師匠だった母・弥生さん登場

なんかカラーの日は「山本容子」作品って感じの版画になるのね(笑)
きょうは母上・弥生さんが登場です。三味線のお師匠さんなんですね。
“移民”たちは故郷の音楽を持って移動し、また新しい歌を作り、
そうやって生きてきたのでしょう。
音楽がヴァナキュラー(<これの日本語訳がわからない(^^;)な形で
所有されている状態。
のちのち流行歌がメディアと結びついて、なんだかわけのわからない
「音楽シーン」みたいなものが形成されて、それがまた拡散してみたり。
佐藤良明先生の『J−POP進化論』(平凡社新書)の世界ですな♪

さて今日は今日とて、下北沢の本多劇場で観劇。
作・松原敏春 劇団岸野組『まだ見ぬ幸せ』

テレビドラマのシナリオで活躍していた松原敏春さんの脚本、
最近故人となられたばかりとのことで「人は去り作品は残る」の感慨。
序盤はイッセー尾形氏の一人芝居を見る如き、ディテールの可笑しさ、
後半は男女のディスコミュニケーションの“痛さ”がラストの切なさに
つながる、細やかな大人のための芝居、という感じの作品。
お目当ては、スーパー・エンターテイナー戸田恵子さんのお芝居(^^)
期待に違わず、全然キャラの異なる二役に、歌まで披露して下さった。
「油断のならない」という誉め言葉が似合う魅力的な役者さんです。
一昨年のクリスマスに中尾隆聖さんとやられた舞台も最高でした。
歌謡史、芸能史みたいなのを視野に入れた舞台作品って面白いです。

では、今夜のインチキ更新ネタ。これも1999年に書いたもの。
すでに多少、例が古いのが何とも言えない(^^;

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  「懐かしき『和製』のナゾ」

「和製***」と呼ばれるものって何なんだろう?
いきなり問われても困るわけだが、語義としては外国の優れた人や物事に
なぞらえて日本のものにありがたみをつけ加えるということのようだ。
「和製ビル・ゲイツ」みたいな感じですな。

この和製というコトバ、なかなか含蓄が深くてクセ者だという気がする。
そしてワールド・スタンダードを彼岸に見ているだけの国だからこそ定着
している概念だ!と村上龍が怒りそうな、足腰の脆弱さと貧しさを連想させる。
あとワールド・スタンダードが近づいてきたような90年代になってくると、
かなりベタで使うのが恥ずかしい常套句。新聞社でデスクが見出しを「和製〜」
とかにすると若手記者が失笑しそうな時代遅れ感も募っている。

そのへんを昔ズバリ言い当てていたのが、古館伊知郎氏。
「夜のヒットスタジオ」で「1986年のマリリン」を歌っていたデビュー当時
の本田美奈子の紹介して曰く、「まさに和製山本リンダ!」(笑)
ネーミング・マイスター・古館の至芸である。
本田美奈子のことはともかく、トウの立った「和製」という概念の鮮度を
余すところなく料理に生かしたレトリックであった。

かくも和製はパチもん臭い。そして時代がかってきている。
平尾昌明の「ダイアナ」のような音楽はいま必要ないだろう。
「ケアレスウィスパー」のカヴァー曲「抱きしめてジルバ」を西城秀樹が歌っていた
のだってかなり昔のような気がする。石井明美が「ランバダ」を歌っていたのは・・・
例にしてもしょうがないので引っこめる。
ベンチャーズなんかは面白い。和製ベンチャーズが本物のベンチャーズそのものだ
というセルフ和製化の往還運動の例である。他に例を見ないわけではあるが…。
#佐藤良明「郷愁としての昭和」(新書館)

日本には「見立て」の文化がある。日本アルプスなんてのが典型的。
箱庭的な国土の中で、何でもひっぱてきて見立てようという発想。
これが今の時代になると「全国テーマパーク争奪!世界の国さきに穫ったもん勝ち合戦」
で日本中にカナダだのスペインだのオランダだの…と国の奪い合い状態になるわけか?
経営努力はそれぞれだろうが、全体としてはゲンナリとした脱力度を競うハメに
陥っているようだ。和製おそるべし。

いま私たちの周囲の生活全般を覆っている倦怠感のもとは和製だという気がする。
和製という以上、日本風そのものではなくてイミテーションであり、
パチもん的な貧乏臭さがついて回る。すなわち遠く遠くに立派な本物があって、
その果実を日本人にもお裾分けしてあげますよ、という発想。

まあ純粋に日本風・・・などと言い出すと、そんなもんどこまでさかもぼっても
ないわけだが。たとえば日本民謡やいわゆる古い楽器で演奏される邦楽みたいなものは、
むしろいまの日本人にとっては違和感のあるものに感じられてしまう。
そのへんに「問題」の一端があるような気がする。

楽器といえば西洋音楽、クラシックでピアノやバイオリン。
さもなくばエレクトリックギターやシンセサイザーか。
いずれダイアトーンで書き表せる音楽を「音楽」として認知し、特別な趣味や仕事として
でないかぎり、邦楽や和楽器になじんでいる人はいない。考えてみれば妙なもので、
ここまで自らの音の文化を喪失した人たちは、世界的にも珍しいのではないか?

楽器や音楽はまず習うもの、であってクラシックはカルチャー、
ロックならカウンターカルチャーの枠に閉じこめられてしまう。
聴覚という原初的であるはずの感覚が、外から押しつけられる音律に支配されている。
「調律される身体」とでもいえば、現代思想のキャッチフレーズっぽいかもしれない。

かといって普段着で手に取る楽器や音楽を自前でもっているわけでもない。
いきおい突然モンゴル音楽だの、琉球民謡だの、キューバ音楽だのに出会って
ノックアウトを食らう人も多い。
それらの音楽に感激したとして、さて日本民謡に向き直ってみても、それはそうした
民族カタログのひとつにしか感じられないだろう。
まばゆいくらいにエキゾチック・ジャパン、というわけである。

身体の外部から押しつけられる音の暴力。
それはバイオリンのスパルタ教育を受ける子供のことだけでも、街の騒音のことだけでも、
小室サウンドの洗脳効果のことだけでもない。
それら全体、さらに聴覚だけでなく味覚も視覚も含めての話。
ファクトリーで作られて供給される五感・・・。
安くて便利でみんなと同じ、それが「和製」のもつ属性ではなかったか?

いきなりだがシュタイナー教育というのがある。
子安美智子氏の本で、その音楽への取り組みの枢要さが紹介されている。
そこでは徹底的に子供の身体感覚の成長に心を砕くという。
そして幼少期はペンタトニックだけを発する発弦楽器ライヤーだけを使わせる。
不協和音がでないこと、よって身体感覚から弾く音が立派に音楽になることが理由らしい。
徹底して内から出てくる音への欲求を育てた上で長調短調の音階へ移行する。

ご存じの通り、日本の邦楽や琉球民謡などを含めて世界の音階の基本はペンタトニックだ。
コテコテのドイツ人たちによるシュタイナー教育の場で、ここまで配慮したメソッドが
組まれているにもかかわらず、日本の音楽の授業では「お江戸日本橋」が暗くて辛気くさい
印象を残すだけで、明治に作られた唱歌というやつは全部賛美歌のパクりらしいから、
そこから我々の身体の調律は始まっていたわけだ。
ペンタトニックだと軍隊は組めない、とかあったのだろうか?

手触りのあるペンタトニックから出発することもなく、出来合いの音を外部から
注ぎ込まれてわれわれの耳は育つ。それが和製。
イミテーションな見立ての中で本物は文物としてしかやって来ない。
柄谷行人『日本近代文学の起源』(講談社学芸文庫)のような仕事を、
音楽や視覚表現や都市や建築まで、広範にわかりやすく展開した本が待たれるところだ。

しかしいったいこの吸収力といおうか、あるいは吸収力のなさとでもいおうか
、いっそ赤瀬川原平風に「和製力」という造語でもしようかと思わせる、
日本の文化ってなんなんだろう?
実は遣唐使廃止のころからの国風文化の美風の名残だろうか?
すなわち日本特殊論、島国文化論。

まあそういう議論のウソ加減は、高山宏『江戸の切り口』などで展開されている
キメラ的日本文化像によって、これから跡形もなく塗り替えられて行くだろう。
だいたいアイヌの楽器として民族音楽関係の人たちにお馴染みのムックリという
口琴の一種は、江戸時代に本州でも大流行したことがあるらしい。
江戸にも民族音楽好きはいたのだ。

もはやエキゾチシズムでもオリエンタリズムでもなんでもいい。
モンゴルもアイルランドもハワイもレキオもリミックスして耳を鍛え直してみよう、
というのが、この期に及んでわれわれの採りうる、残された道なのではないだろうか?
個人がその力を持ちだしたとき、ようやく「和製」は歴史的使命を終えて退場するだろう。

思えばパチもんのアチラ文化を誤解して作ったスタイルも文脈の中ではなかなかに
カッコいいものだった。北鎌倉から横須賀線に乗って東京に出かけてきた笠智衆が、
白い麻のスーツと帽子で資生堂パーラーに入って、フォークの背にライスを載せて食べる姿
など想像すると、和製っていい時代があったんだな…と思う。

懐かしき和製に、サヨウナラ。


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