「静かな大地」を遠く離れて
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2001年07月01日(日) 詩人・金子みすずのトポス

あらすじ引用部分、後日校正いたしました。
ご指摘いただいた方どうもありがとうございました(^^)
ー*−

題:20話 煙の匂い20
画:唐辛子(カラー)
話:待っても待っても春が来ないところへ

桜の季節、4月13日の船出。北海道に桜はあるのか、とささやき
交わす人々の心細さたるや、大変なものだったのだろう。
季節のめぐりの進み具合は緯度によってまるで違う、そのことを
身体で飲み込むことはなかなかに難しい。4月の瀬戸内地方なんて
空気がとろとろと春の甘さを孕んで天上界のようなところなのだし。
香川、兵庫、山口、広島の4県で18歳まで育った僕が言うのだから
間違いない。人間が甘くなるくらい穏やかな気候風土なのだ(^^;
『時をかける少女』の映画の季節設定が4月の中旬だったはず(笑)

南北の緯度差による季節感のズレに関しては北海道に住んでいるころ
にしみじみと身体で実感した。トウキョウとの行き来も頻繁だったし
以前書いたようにオキナワと往復したこともある。
冬なんて気温差40℃の移動になってなかなか面白かった。
道楽や仕事でジェット機に乗って移動する現代人には、
北海道へ「移民」した内地の人々の不安は理解できまい。

石炭船の煙の匂いの記憶の、「異国風のいい匂いだった。」あたりは
御大の幼少期のSLへの記憶を重ねているのかしら、とか思ったり。

さて、父の話はいよいよ船出まで来た。ちょいと今朝のを引用。
≪あらすじ≫
 三郎、志郎兄弟の父親、宗方乾は淡路島の稲田家の家士だった。
 明治維新のあと、徳島藩士が稲田家側を襲撃した稲田騒動のとき
 の血と煙の匂いは、幼い兄弟に強烈な印象を残した。明治4年に
 北海道の静内に一家をあげて移った経過を、約40年後、志郎は
 娘の由良に語りきかせている。

いろいろはっきりしましたけど、本文の記述からは知り得ない情報
がずいぶん入っているような…(^^;
宗方乾(むなかたけん)って名前、結構剣の使い手みたいな印象の
名前ですな、さもなくば漢学者か医者(笑)
あと重要なのは、完全に明治末の設定であることが判明したこと。
なにゆえにそう設定したのか、今後の御大の「差し手」が楽しみ。

明治末だと既にポーツマス条約の結果、南樺太が日本領になっている。
帝国主義日本の資源基地として北海道の延長上に位置した樺太。
三島由紀夫の祖父・平岡定太郎が樺太庁長官として赴任したのは
いつごろだっただろう? 猪瀬直樹『ペルソナ』(文春文庫)参照。
樺太の産業的価値としては石炭と紙パルプの供給あたりだろうか?

北海道にいくつも工場を展開していた王子製紙などの製紙会社の工場
が大泊、真岡などいくつかの都市に建てられ森林を消尽していった。
それが大正期の国家運営や出版事業など都市文化のインフラを支えた
という連想は、あながちウソでもないだろう。
石炭で走る鉄道のネットワークが地方の各地を東京にコネクトした頃。
そんな波が日本各地を覆った大正期の物語を、今日舞台で観劇した。

大藪郁子・作「空のかあさま ー童謡詩人 金子みすずとその母ー」。
知っている人には説明不要の金子みすず、どちらかというと僕の関心の
枠からすると外れる存在だった。95年に放送のNHKスペシャルは
見た気もするのだが、今日彼女の生涯を辿ってみるとあまり記憶に
残っていなかったようだ。そもそも詩そのものが守備範囲外だし…、
って一応「池澤夏樹ファン」だと言ってる僕が言っちゃいけないか(^^;
#近代文学に関心が薄いのと同じように詩にも興味がない少年時代を
 送っていて、読んでたのは小室直樹『ソビエト帝国の崩壊』とか、
 栗本慎一郎『パンツをはいたサル』とか、現在の悪文書きの元凶に
 なるような、曲者の学問通俗書ばっかり(笑)

その僕がなにゆえこのお芝居を観たのかというと、「ちゅらさん」に
出てらっしゃる丹阿弥谷津子さんが出演されていたことや、僕が作品
を読んだことのある数少ない“詩人”の斉藤由貴さんが出てることも
ありつつ、ある種ブームを巻き起こした金子みすずの「トポス」を
測ってみたかった、というのが実のところ。そして上でも触れた通り
彼女が生きた山口県は、僕の故地の一つでもある。

演劇には、新劇とか小劇場とかいろいろジャンルがあるらしいけど
「空のかあさま」はいわゆる商業演劇というやつ。役者さんが初出
したときや、ちょいいい場面で暗転するときはいちいち拍手が起こり、
幕間が25分もあってロビーで幕の内弁当を販売してる、お客さんの
年齢層が高く、それに合わせてかマチネ11時半、ソワレ16時開演
という、普段僕が新宿や下北沢でよく観る芝居とは勝手が違う。
実録みすずストーリーがどう「日本の正しい人情世話物」になるか、
非常に勉強になりそうな舞台だという期待もあった。
よって、ちゃんと監修者もついているとはいえ、以下で金子みすずに
関して僕が書くことは今日のお芝居で得た情報だけに基づいています。

まず時代と場所の設定で一気に引き込まれた。
って、実録なんだから本でも読んでればすぐわかることだったのだが、
主な舞台は、大正末期の山口県下関の大きな書店。
だいたい下関ってのが既に地政学的な地名。
舞台冒頭で、既に日韓併合寸前に暗殺されてこの世にない伊藤博文公の
名前が出てくる、小森陽一『ポストコロニアル』を読んだ僕は身構える、
…って、そんな見方してる無粋な観客いないって(笑)
港湾都市・下関から、天津だのシンガポールだのアジアの都市へ書籍
を卸している。言ってみれば東京発信の文化のアジアへの流通インフラ
の結節点にカメラを置くようなもの。なるほど情報の流通はこのように
「地方」を組織化していったものか、そして若い人たちはみんな鉄道の
彼方のモダン都市・東京に死ぬほど憧れたのか、と納得できる。

時代は大正末、本編には登場しないが芥川龍之介の時代である。
時代劇のことを“髷もの”なんて言うが、僕はこの“袴もの”とでも
言うべき明治末から大正期を描く映画や舞台が妙に好きだったりする。
近代文学には興味がないが、風俗としての時代の雰囲気は面白い。
#まぁ『帝都物語』とかキャラメルボックスの芥川さんが出てくる演目
 あたりのこと。『サンタクロースが歌ってくれた』の上川隆也さん
 がクライマックスで芥川さんに叫ぶシーンは、もろ琴線で歴代1位(^^)
 主宰の成井豊さんが元国語の先生だけのことはある(笑)
 あと森田芳光・筒井ともみ・松田優作の映画『それから』も好き。

で、面白いのは金子みすずが元祖「投稿少女」だったこと。
トウキョウから鉄道で送られてくるモダーンとしての雑誌を心待ちにし、
そこに投稿した自分の詩作品を見つけて狂喜する場面が印象的。
地方の新興事業家の「家」の係累として、あの時代に女学校を出ていて
西条八十に憧れていた文学少女が、20歳になって詩を発表しはじめ、
それが評価される。明るく突き抜けたモダンの調べに踊るような青春。
それが「家」と血縁の重力に深く足を捕られて、悲劇へと墜ちてゆく。
…なんとなくどこかで聞いたような哀切なストーリーではないか?

宮澤賢治。それもリリカル方面ではなくて、吉田司『宮澤賢治殺人事件』
で喝破されたような、宮澤賢治のトポス。すなわち東京でもない、花巻
でもない、虚空間のようなワンダーランドに意識を遊ばせるしかなかった
地方金満家の子息としての(この強引サマリーの文責G−Who(^^;)、
その時代には全く以てレアだった詩人の“立ち位置”、とそこから見える
一種ヴァーチャル・リアルな異空間の風景。
それが1990年代の人々にとっては、ようやくはじめて広く共有される
問題であり琴線であったからこそ、の再ブームだったのではないか。
で、これ、金子みすずを“代入”しても成立するのだ。

まぁ、そういう構造的なことと、それを越える詩の生命みたいなこととは
また別の問題なんでしょうけど、もちろん。
こうしたメディアとか流通インフラと近代の文学との関係に関しては、
今やってるNHK教育の人間講座・猪瀬直樹『作家の誕生』テキストが
超ベンリで面白いです。
あとポストコロニアル研究とやらのお勉強本も買ってきてしまいました。
『越境する知6 知の植民地:越境する』(東京大学出版会)ってやつ。
こういうお勉強が秀才学者さんたちの間で流行ったあとで何が残るのか、
次代の誰かの幸福につながるのか、というのは難しいところでしょうが。

…けど、それは小説家さんのお仕事だっておんなじサァ、ちばりよ〜♪


※あの〜、なんだか“クローズド”とか言いながらカウンター1000も
 回ってるんですけど、読んで下さってる方、おもしろいですか?(^^;
 結構疑問に思いつつやってます。だからといって芸風は変わりませんが。
 ご意見ご感想、疑問、苦情、叱責のある方はメール頂戴下さいますよう。


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