「静かな大地」を遠く離れて
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2001年06月28日(木) 呼応する時間の地層

題:17話 煙の匂い17
画:ちりめんじゃこ
話:よく覚えておけ。覚えた話は後まで残る。

集団的記憶喪失。歴史を喪失した人々。
この現代病を貧しいとは思うまい。
万世一系の天孫降臨神話に絡め取られるよりは、
物語の“すれっからし”となって世界中の記憶にアクセスできる
環境の方がずっといいだろう。
大切なのはクエストする能力を持つこと。
アップデート可能な、自前の神話を調達すること。
物語の汀を歩むのは、危険と悦びを伴う行為だ。

唐突だが、以下は去年の秋に小説家の寮美千子さんのBBSへ
僕がカキコミした文章。
掲示板での話題はアインシュタイン来日、寮さん自身が花巻へ
行かれたときだったはず。

<以下、引用>
呼応する時間 投稿者:G−Who  投稿日:11月28日(火)01時11分21秒

 そう、モダーンの果ての20世紀。物理学とアートは四次元の啓示を謳う。
 ロシアでは革命が起こり、各国はシベリア出兵の泥沼に足を突っ込んでいた。
 翌年、1923年には関東大震災が起こっている。
 昨日観たキャラメルボックスの芝居は、その時代を背景としていた。
 キャラメルボックスの主宰・成井豊さんだったら、
 宮澤賢治とアインシュタインの交錯する大正を、どう描くだろうか?

 僕がサハリンへ行ったのは1995年春、東京が悪夢を見ていたころです。
 阪神大震災の余波は消え去らないうちに起きたテロ事件のせいで。
 初めて花巻へ行ったのも、仙台でキャラメルが賢治を題材にした芝居を
 上演したのを観た、その直後のことです。
 だから僕の中では、どうにもそれらの事象が連なって見えるのです。

 日本時代の名残りを留める現実のロシア極東サハリン州は、
 重層的な時間の地層が褶曲した断面を見せつける異空間でした。
 サハリンに身を置いて「樺太」を幻視すること。
 そこから逆照射して北海道を、ひいては日本列島を観ること。
 戦争や経済や歴史の時間、ヒトやクマの時間、森や岩石の時間。
 それらが呼応しあう空間を縦横無尽に読み解くことができれば・・・。
 北の空には、そんな幻像が渦巻いて視えました。

 そうした希求を、同時代に力強く表現の形にしている人がいました。
 当時北海道に住んでいた僕は、その人の仕事に強く惹かれました。
 はるかな過去、北海道とも地続きだったという土地に居を構えて、
 北の空に時折り視える、時間が褶曲した地層の断面を写しとって
 そこから採集した標本を丹念に言葉に移し替えようとしていました。

 翌年、1996年にロシア極東カムチャツカで亡くなった、あの人です。

 どういうわけか花巻から届けられた強い蒸留酒のような「北」の空気に
 あてられて、サハリンから遙かアラスカにまで思考が飛んでしまいました。

<引用、終わり>
20世紀にはいろいろなことがあった。
それ以上に言えるのは、前の時代と後の時代の不連続性が際立った時代
だったのではないかということ。
そのなかで、どんな抵抗が可能か?
「開かれた個」を突き詰めること。机上で思考を完結させないこと。
重い。エキサイティングだけどキツい。
宮澤賢治や星野道夫を日常生活の中で読むことが出来ないのは
そういう想いがあるからかもしれない。
宮澤賢治は海外旅行へ行った帰りの国際線の旅客機の中が暗くなって
人々が寝静まったころによく読む。
星野道夫は北海道の空気の中でしか読んだことがない。

なんて言いながら、そんなに輪郭と手触りのある「日常生活」というものを
持ち合わせていないズボラな人間なので、なおさら危険なのだけれど(^^;
この日録、誰に向かって書いているのか、ひときわ不明なところがある。
言葉は広義のコミュニケーションを求めるためのものだが、
最もオーソドックスな日記の機能としての、未来と過去の自分を対話者と
するために書いている、というのが近いかもしれない。



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