「静かな大地」を遠く離れて
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2001年06月19日(火) 昆布が旅に出る理由

題:8話 煙の匂い8
画:昆布(だよね?(^^;)
話:勇気と分別は並び立ちがたい、と思い知った侍たち

きょうも書き出せばいくらでも書きたいことはある。
日高昆布についてはうるさい(笑)
浦河町の昆布漁師の老人の舟に乗せてもらったこともある。
水深が浅い岩礁には太陽が射し込んで肉厚で良質な昆布が採れる。
老人の家の目の前の海が正にそういう地形だった。
棒の先に鉤のついたような道具で昆布を引っかける。
あとは腕力で巻き上げるようにして最後は日本の腕で舟に引き上げる。
昆布産地で日高の名に勝るのは最北の島・利尻島くらいしかないだろう。
昆布の消費量で抜きんでているのが最南の沖縄県なのはよく知られている。
日本海を北前船の行き交い、コンブ・ロードを形成していたのだ。
そのへんは御大の『むくどり〜』でも詳述されていたとおり。

で、話はようやくなんとなく今日の「静かな大地」に結びつく。
江戸時代の水運と北海道、そして淡路島、とくれば、
今年ドラマにもなった司馬遼太郎『菜の花の沖』(文春文庫)だろう。
高田屋嘉兵衛という野心的な商人と、日露交渉史の接点の物語。
ヴァーチャルで200年前の蝦夷地に行ける気がする本、
主人公が竜馬なんかに比べると地味に見えるかもしれないが、
話のスケールは大きいし司馬作品の例によって、成り上がってゆく
プロセスがとても楽しいビルドゥングス・ロマンになっている。

『竜馬がゆく』をお読みになった方はご存じの通り、
幕末の志士たちの間では「北海道」というのは一つの争点になっていた。
およそ日の本の天下を憂えるものならば北海道のことを知らぬでは通らない、
そんな対象だったのだ。
一方で左幕か勤王かどっちにつくのか、諸藩の中で細分化された派閥争いが
展開された。時流に乗った者も乗り遅れた者もいた。
如何ともし難い流れの中で、無念の涙を飲んだ者も数多いただろう。
後の時代から見ると彼らの居場所は川の流れに飲み込まれる寸前の砂州の
ようなところでも渦中の彼らにはどうすることもできなかっただろう。

僕が偏愛している演劇集団キャラメルボックスにも幕末を扱う作品が何作かある。
本来ハートウォーミングでファンタジックな作風を臆面もなくストレートに
押し出してくるところに魅力がある劇団なのだが、最近は作品の幅が広がっている。
99年夏の「TRUTH」は、幕末の嵐に翻弄される信州上田藩の若者たちを描いた
素晴らしい完成度の芝居になっていた。長年キャラメルを見ているが、ある意味で
あれは起死回生の公演だったと思います。あんなに人気があってお客さんも入って
いるけれど、いつもある意味で危機一髪の綱渡りみたいなことをしている劇団で、
時々こういう「起死回生の一発」みたいなことをやってくれるのが好き。
創作に携わるって、でもそういうことですよね。
前作の成功の栄誉は次回作の出来を保証してくれはしないっていう・・・。
ま、小説だって、そうですな♪(また作家さんを恫喝するファンの図 笑)

今夜は「成層圏の宮澤賢治」という題で、“詩”に疎い僕がアプローチする
“池澤御大と宮澤賢治”のお話をたっぷり展開するつもりだったけど、
それをやっていると睡眠時間がゼロになりそうなので今日のとこは止めときます(^^;
う〜む、これくらい忙しいのが普通の状態なのが問題ですな。
こんな生活でいいのか?・・・という自省も込めつつ、
2年前北海道からトウキョウへ来た日のことを書いたG−Whoの文章を、
以下に引用して皆さまにさらしておきます。
これも僕の北海道体験を総括した文章の一つとして「原論篇」になるかと。
文中の“ミチオ”とは故・星野道夫氏のことです。
彼については池澤御大と同じく、沢山の時間を費やして考えてきました。
そのことは彼も憧れたという北海道のことを考える間に次から次へと
沁みだしてくるはず。
彼の存在がなければ、僕が今これを書いていることもなかったと思います。

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<1999年8月2日にG−Whoが書いたもの>

 僕らが旅に出る理由

浜松町で羽田からのモノレールを降りてからタクシーに乗った。
荷物も重いし、外は真夏の東京だ。
普段仕事で東京に来るときに常宿にしている目白ではなく、
渋谷のホテルに数日泊まる。
いつもは山手線で行くのだが、この際タクシー代くらいケチらずに渋谷まで行こう。
7月の終わり、梅雨明け間もない夏の東京。

タクシーのドライバーが白い髭を蓄えた温厚そうなベテランで、
金曜日で月末の都心をスイスイと抜けてゆく。
北海道では長らく見かけなかったような、モータリゼーション以前の区割りの
古い街並みをクルクルと方向を変えながら巧みに距離を稼いでゆく。
冷房の効いた車内で6年ぶりの東京を見ている気分になっていた。

大学時代と就職してからの合わせて6年、東京に住んでいた。
そのあと転勤で北海道に行ってからも出張や遊びで何度となく来た。
100回までは行かないかもしれないが、50回を下ることはない。
中には95年の秋のように4ヶ月もホテル住まいしてたこともある。
6年分の違和感、なんてものを感じるわけはない道理なのだ。

ところが今日からこの都会の住人となる、となると勝手が違う。
この暑さも信じがたい人混みもすべて他人事ではないのだ。
それだけじゃなくて、都会の暮らしの全体に巻き込まれるということそのものが
何か北の大きめの島で培われた僕の現在の感覚と微妙な違和感を奏でるのだ。
たまに来る立場で無責任に構えているわけには行かなくなったということだ。

北の島に住んでいたって、僕は都市的なライフスタイルが好きだし、
札幌のカフェで本を読んでいるのが最大の息抜きというような人間だ。
ただここ数年でものの見え方は変わったと思う。
たとえば横浜市緑区あたりの郊外住宅地。かつて第四山の手なんぞと呼ばれて
そこそこに所得の高い層が沢山住むベッドタウンの光景などを見ていると、
人々は直立二足歩行したころからすでに電車で通勤していたんじゃないかと
思いこんでしまうような盤石かつ野放図な広がりがある。
街がありショッピングセンターがありカイシャから銀行振込された給料で
衣食を購って、そうやって暮らす街がどこまでも平野の限り続くことが
自明のことのような気がしてくる。
しかし北の島の光景に眼が慣れると、街や人の暮らしの痕跡がない状態がまず
「地」としてあって、その上に原初的な経済活動の「図」が目に見える形で
展開されていることに気づく。

そのぶん見方によってはやり切れないほどに露骨で品のないのが地方の典型たる
北の島の人の営みだ。物事は剥き出しの形で横たわっている。
地下から燃料の石炭を掘り出して対価を得る、北洋に漁船団を繰り出して
漁獲を揚げる、じゃがいもや豆を育てて売る、牧草を植えて競走馬を育てる、
森を伐採してゴルフ場を設えて客を集める・・・。
大きな産業構造が変化すれば炭鉱町からは潮が引くように人が減り、
やがて町が完全に消滅する。
あまりに当たり前にあったはずの人の暮らしの集積が消えてなくなる。
他の産業立地も然りである。
そもそもほんの100年くらいさかのぼるだけで、すべてなかったものなのだから、
町があるほうが自然だなんて思えるわけもない。

そのうえアイヌの人々と自然との蜜月の関係を破壊して収奪した原罪まで
背負っている。鉄道や道路やトンネルやダムなど大規模なインフラ工事を明治以来
支えてきたのは歴史的にタコ労働者と言われる人たちだったりもする。
すべては隠蔽しようもなく露骨だ。
別に6年間住んでいたくらいでそうしたことに社会的な意識が目覚めたわけではない。
ただ東京に住んでいたときとはリアリティーが違う。

東京で電車に乗りながら、遥か北海道のヒグマのことを想像してしまうような精神は、
極まれにしか現れない。
彼の乗っている電車やレールやビルディングや高速道路や家並み、
そのすべてが遠く遠くに広がってもう視えなくなるほど彼方の前線でヒグマを排除し、
撃ち殺してきたのだと想像せよ!というのは無理な注文だろう。
でも北の島ではそれがわかる。
クマ牧場へでも行けば、ヒトが経済活動の利便性のために排除してきた誇り高い種族
(キムンカムイ)の哀れなまでの情けない姿をいくらでも見ることができるだろう。
まるで強制収容所、我々は勝者。

北の島に憧れた少年は、そこを飛び越して遥かアラスカへ旅立った。
そこで年々歳々紡ぎ続けた、かすかな希望の光の織り物を残して去った。
でもワタリガラスの神話を辿りながら、北の島のほんの手前まで戻ってきていたのだ。
早い「晩年」にはアイヌと南東アラスカの部族との関係やイヨマンテへの関心を深めて
いたらしい。もう少し、ほんの少し・・。
気の遠くなるような南の都会と北の自然との懸隔をたった独りで渡ろうとして、
ほとんどそれに成功しつつあった。彼は勇敢な戦士だ。

ミチオがニューヨークを愛していたことを思い出そう。
都会の緊張感はアラスカのフィールドにいるのに通じるものがある、
というような感覚。人は誰も長い旅の途上にいる。
都市で人は時空を旅している。人が出入りして情報と物流が奔流をなしていて、
そこで持ち寄られた沢山の人の人生の想いが練りあわされて物語が生まれる。
アラスカのことも北海道のこともサハリンのこともギリシアのことも記憶の中に
持ち続けながら、南の島の首都で日々を旅として生きる。

・・・次の日、僕はなかなか勇敢な面立ちの旅人と行き合った。
場所は劇場の舞台の上。性別は女性。
彼女は、いつだってどこだって旅の途上なのは当たり前でしょ?、
・・・というような顔をして笑っている。
「流線型に突っ走るスペシャル・ゴージャス・ハッピーな未来」、
かつて彼女が発したコトバは、都市を旅する覚悟と楽しみに満ちた予感を
いまも僕に与えてくれている。
結構あれで手強い戦士かもしれない。
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・・・この文章の題が「僕らが旅に出る理由」、だから今夜の日録のタイトルが
「昆布が旅に出る理由」・・・すみません、話題がバラバラすぎて思いつかなかった(^^;
上で話題にした浦河町の隣の三石町というところは幹線道路に立つ街灯のデザインが
コンブをあしらったものなんですが、この町には「コンブマン」というキャラクター
がいるらしいです。声優の三石琴乃さんがおっしゃってました(笑)
なんか「ゴーヤーマン」みたいですな(^^;
でね、三石町のまたお隣が「静かな大地」の舞台、静内町なのです♪

※追記 上の文章、僕版「静かな大地を遠く離れて」ってテーマにも読めるね。


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