「静かな大地」を遠く離れて
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2001年06月08日(金) 「すばらしい新世界」の誘惑again

あらためて書くのもなんだけど、「静かな大地」の新聞連載は6月12日にはじまる。
それまではこの日録も助走というか、テスト飛行の状態。
この時点でこれを僕が書いていることを知っている人はほとんどいない。
連載開始とともに僕のやる気が失せなければ、もう少し告知の範囲を広げるつもり。
そして連載との「並走」のペースがつかめてきて、なお意欲が続き意義が見出せたら、
そう7月7日あたりに然るべき場所で情報リリースすれば届くところには届くはず。

1999年の春に読売新聞で連載されていた「すばらしい新世界」の時は、
ネット上のBBS=掲示板で何かおもしろいことが出来るのではないか、と思って
サイトを立ち上げ掲示板を設置し結構真面目に世間に「呼びかけ」なんぞもした。
そのころ、ほんの2年前には僕が立ち寄っていたサイトはどこも掲示板などという
猥雑なメディアは採用していなかった。以下はその時の気負った「呼びかけ」の文章。
なんか企画のプレゼンしてるみたいで気恥ずかしい文章です。一応ファンらしいネタで
釈明すれば「真昼のプリニウス」の門田青年みたいになってしまう癖がありまして(笑)
海外に旅行などに出かけると自分を「夏の朝の成層圏」のヤシそのものだ、と思ったり
もするのですけど。ま、2年前に嘘でもこんなこと考えてた人間が、これからはじまる
21世紀初頭の池澤御大のライフワーク(<と言ってよかろう)「静かな大地」を読み
ながら、つらつら思うことを孤独に書いていこう、というわけです。


<以下、過去文より引用。題は、「すばらしい新世界」の誘惑>

 池澤夏樹さんの小説、エッセイの愛読者の方、あるいはまだ読んだことはないけれど
 興味のある方たちへの呼びかけです。

 池澤さんは詩、紀行エッセイ、書評そしてもちろん小説などの創作活動を通じて多く
 のファンをもつ著述家です。地球の各地を旅した見聞や世界文学から理科年表に至る
 まで膨大な読書量を背景に、理科系的感性と地球上のヒトの営みへの鋭い批評をもり
 こんだ、平易かつ味わい深い文章を私たちに発信しつづけてくれています。
 88年の芥川賞受賞作「スティルライフ」の、まるで結晶のような静謐な言語空間が
 放つ輝きに魅了された読者も多いことでしょう。私も、その一人です。

 ここ数年の間ホームグラウンドとされてきた「週刊朝日」の連載エッセイ「むくどり
 通信」が、98年いっぱいで終了。93年のスタート以来、沖縄への移住にともなう
 基地問題への積極的な発言や、「同志」であった故・星野道夫さんの急死とそれに
 まつわる顛末、そしてさまざまな国々からの興味深い、また美味しい話題の数々が
 記憶に残ります。この6年の歳月、世界、日本そして自分には何があっただろうか?
 ・・・そんな感傷に浸る間もなく池澤さんからのメッセージは、さらに日刊の全国紙
 への初の連載小説へと舞台を移します。
 99年1月16日朝刊からはじまった「すばらしい新世界」が、それです。

 世の多くの池澤夏樹作品の愛好家にとって、新聞連載小説というスタイルは馴染みが
 なかったり、少なからず意外だったりしたのではないでしょうか?
 作品テクストの完成度への強いこだわりからか月刊文芸誌への連載すらしない小説家
 ・池澤夏樹がなぜ今、新聞連載なのか?

 読者にとっても年々歳々さらにいや増す繁忙感が募る世紀末、新聞連載の小説を日々
 フォローして読みつづけるのは、いかな大好きな池澤さんの小説でもカンベンしてほ
 しい、ついては単行本化の暁に買い求めてしっかり池澤ワールドに浸るとしよう・・・
 そう思われる向きも多いことでしょう。
 でもちょっと待ってほしいのです。

 池澤夏樹と新聞連載。
 この一見似つかわしくない関係にメディア=媒体への見識を人一倍もっている池澤さん
 の戦略が潜んでいないわけはない・・・。
 正直なところ、私も連載開始を知ったときには、何故?・・・と思いました。
 あの人のことだから連載開始一回目で、すでに実は最終稿まで入稿済みなのではないか
 と冗談で勘ぐるほどに不可解でした。

 しかし連載開始とともに疑問は氷解。
 まず開始に際して掲載されたインタビュー構成の囲み記事(尾崎真理子記者による)で
 環境問題や国際情勢、インターネットによるコミュニケーションの変容などジャーナル
 な関心を、これまでになく構えのない(・・・かに見える)文体で綴るとともに、
 1999年の日々更新されてゆく最新の時事やデータを積極的に盛り込んで、環境問題を
 読者とともに(!)考えていきたいという意図が語られていたのです。

 作家というシェフが薦める食べ方。
 すなわち日々の朝刊を開いて揺れ動く国際情勢や、環境問題をめぐる新たな報告、資本
 主義のたくましさを感じさせる雑多な広告などを眺めながら、一回一回の連載を楽しむ
 が最も美味しい味わい方・・・というわけです。
 実際、掲載が始まってみて日々のコピーをスクラップしていると週刊誌のドギツイ見出
 し、宗教の祭典の告知、パチモン臭い通信販売の広告などと並んでイケザワ・ワールド
 が細長い長方形に収まっているさまは、なかなか面白い奇観と言っていいでしょう。

 そうしてよく考えてみれば、池澤夏樹さんは「ジャーナル」な関心をふんだんに持ちあ
 わせた著述家であったことを思い出します。
 「スティルライフ」の株投機、「タマリンドの木」のNGO、そして沖縄移住直後に
 勃発した基地問題の再燃・・・。いずれも決して時事を泥縄で追いかけたのではない、
 「予言的」ともいえるタイミングではなかったか?・・・それはとりもなおさず「正し
 い情報を正しいやり方で処理する」明晰さと賢明さの証明に他なりません。その彼が、
 長年関心を抱きつづけてきた環境問題について、いよいよ正面切って私たちの生活レベル
 の話題から説き起こした小説を書きはじめたのです。
 環境について、うすぼんやりとでも関心を持たない人が珍しいような世の中になって既
 に久しいにも関わらず、たとえば自然保護運動の現場の方々と、文明の果実を享受する
 生活者との間の谷間に落ち込んでしまうことのない、説得力のある思想、コトバ、実践
 の試みを、私たち哀れで無知な羊たちの多くは未だ知ることができないでいます。

 思想、コトバと実践の現場との間にある、気の遠くなるような距離・・・、池澤さんが
 大田前沖縄知事の応援演説までされたと「むくどり通信」で読んだ時、97年の初春に
 北海道・鹿追町へ聴きに行った、星野道夫さんについての講演会での彼の肉声を想い起
 しました。
 御自身を「所詮は机上でものを考える人間」と、自嘲と覚悟と誇りを綯い交ぜにしたよ
 うな言い方で「フィールド」の人・星野さんと引き比べた池澤さんは、星野さんが自然
 について、そして宇宙の中のヒトの居場所について教えてくれようとしていたことを、
 コトバでとことん考えている・・・、星野さんの生と死の意味も。
 冷静な理知の人・池澤夏樹さんが、目の前で畏友の喪失に声を詰まらせている・・・。

 「星野道夫の仕事」という、簡潔な講演の題が、その「仕事」という語感が、炎のような
 覚悟を伝えていました。池澤さんも若いころから悩み、考えつづけ、真摯に生を楽しみ
 ながら世界を見つめ、コトバの力をたくわえ、友人を沢山つくり、自分の居場所を築いて
 そうして今にいたって社会への「反撃」に出られたのだろう、御自身の「仕事」をまた
 一歩進められるのだろう・・・。

 「地球環境問題」という、ヒトが抱えてしまった最大の矛盾・・・。
 それはもしかすると最高の賢者にも解くことのできない難問なのかもしれません。
 でも世界がこんなザマに至っているのには、それなりの理由とシステムがあるはずです。
 そのシステムに抗する・・・、少なくとも理解するには、慎重かつ粘り強い理性の力が
 必要でしょう。小さくとも自分の目の前にある「フィールド」を闘いつづけること、
 そしてそれが誰かと遠くで交わるなら、ヒトはまったく孤独ではない・・・、少なくとも
 甘えないで闘う覚悟をするフリくらいは、たとえヤセ我慢でもしたいものです、
 ・・・たとえば星をみるとかして、ね。(あ、盗作だ。)

 ささやかな実践として「すばらしい新世界」に触発されてみよう・・・地方紙のベタ記事
 の中に、近所の犬のたたずまいの中に、海外へのヴァカンスで見た朝焼けの中に、大好き
 な本や音楽や食べ物の中に、愛する人の視線の彼方に、ヒトが必要とする「精神の食べ物」
 の断片が沢山みつかるかもしれない、それが互いに触媒になって錬金術のように素敵な知恵
 のアラカルトに化けるかもしれない、日常生活そのものが詩と冗談と音楽の歓びに満ちた
 ユートピアに一歩近づくかもしれない、そんな理想が少しずつ夢物語ではなくなっていく
 ことを願いつつ・・・。

 というわけでこのHPは、池澤夏樹さんの巨大メディアを舞台にした果敢な試みを「補完」
 しつつ時には愛をもって茶化し、茶化しつつ「補完」することを目指します。読売新聞紙
 や池澤夏樹さん御本人とはまったく無関係に、管理人の責任で運営されます。趣旨に賛同
 される方のご参加をお待ちしています。特定の思想、運動団体の宣伝や布教活動は、その
 ままだと歓迎されません。
 読売新聞さんの販売促進活動にも与しないかわりに、好き勝手に立場を越えて楽しめる場を
 作りたいと思っています。そこにいつしか本当の「力」が宿ればメッケもんということで
 ・・・。 何より類まれなる知のエンターテイナー池澤夏樹さんと、その作品につながる世界
 を愛する方々、そしてまだ読んだことはないけれど、「すばらしい新世界」的なフィールド
 をお持ちの方々と、二度とない1999年をライブ感覚で楽しもう、という場所です。

 そこのあなた、美味しい「精神の食べ物」を持ちよってライブ・パーティーに参加しません
 か?もしかすると大世紀末のポトラッチの狂宴になるかもしれないのですぞ!
 これは結構あなどれません。

<引用終わり>
で、まあ新聞連載小説「すばらしい新世界」と、連動する掲示板をやったことそのものは
なかなかに面白かったと思っている。全国屈指に「すば新」を読む日々を楽しんだ部類の
人間に入るだろう。そのことと↑この文章のアジテーションをどう総括するのか、という
のはまた別の問題としてあって、だからこそ今またこんな日記をはじめていたりもする、
そして簡単には「総括」できないことがあるから作家さんは物語を紡ぎだし、読者はそれ
を読んで作品世界と対話するのだろう。
連載がはじまれば結構おちゃらけそうなので、とりあえず「原論」篇として過去の文章を
掲げておいた、というところ。楽しようとしてかえって大変だったな、今日は(笑)
こんな文章量や生真面目さで続けるつもりはありません。
むしろ「つっこみ」の鋭さが本芸のつもりなので♪


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