まめごはんつうしん
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2006年01月12日(木) |
3月を待たないまま(後編) |
11日付からの続きです。13日に書く12日付(爆)。 でも、かくして12日の出来事です。
うーんと、単刀直入に書くと。 こんなことを言われました。
事務局の予算案を(常任委員会に)諮らないといけないんだけど、人件費の予算立てがねぇ……ふたり専従を置きたいんだ
(はぁ……)
って、まめももさんを前にして言ったりして(*^▽^*)ゞ
…………え、え、ええええっΣ(ノ°▽°)ノ! ホント、謙遜でもなんでもなくて、はっきり言って予想外の展開。 全く思いもしないことで、肯定的な反応も否定的な反応も咄嗟にはできませんでした。ちょ、ちょっと待ってって! と言いつつも、私自身は実は「専従」と「半専従」が果たしてどう違うのか、ということはあまりよく判らないし、考えたこともありません。たしか、拘束される時間によって週の勤務時間が30何時間かを越えると専従で、半専従というのは20時間台とか……はい、それくらいよくわかってないんです(苦笑)。 でも、今の私の置かれている状況というのは
半専従にしては働き過ぎ。 でも、専従ではないことは間違いない
というところで、現状では勤務時間の調整をすることで、全体の勤務時間をひと月の手当てに見合う状態にするしかないんだけど(だから、今だって不満はないんですってば)、4月に小学校に上がるまめ子の学童保育がちゃんと決まれば、もうちょっと手当ての金額を上げたうえで、専従の事務局員としてきちっと座ってほしい、ということ……だと思うんです、一連の発言をまとめると。「だと思う」じゃないよな、かなりはっきりと
まめももさんにも上がってもらって、ふたり専従体制にしたい
って……ほんとに私でいいのか、なんですけど。 今、うちの事務所で専従なのは事務局長さんひとりで、そこへ私もということになれば、県内では例のないことになるけれど、そういうことを彼女が考えていた、ということを、初めて知りました。いや、「まめ子が学童保育に入れる」ことと「構成員を増やすことで財政的な余力を持たせられる状態にする」ことが条件として付きはするらしいのですが。って、どっちも難しいよなぁ(^ ^;)。 うん、だから、まめ子の学童保育はちゃんと決めてほしい、と言われました。うむむ……
絶句しました。 だって。 この2年間のぐだぐだっぷりを見ても、そんなふうに言ってもらえる条件なんて、どこにもないと私は思っていたから。あまりに唐突すぎて本当に私でいいのかとか、無理なんじゃないのかとか、そんなことさえ言うこともできなかったけれど……本当に、私で務まることなのか。1期目の2年の間に、私を見ていてがっくりするような思い、たくさんしたんじゃないかと思っていたのに。
夜の会議に出られない(*)からって専従じゃないとは言えないから大丈夫よ
って言われたけど、私が狼狽えた理由はもちろんそんなことじゃなく。 (*)もちろん、まめ子がいるから、です。子どもが優先だもの。
これまでの発言が、実は私が思っているのとはむしろ逆の方向だということに、ここで初めて気がついた私。どんなにぶつかっても、どんなに私がなさけなくても、ぐずぐず泣くことが多くても、それでも私なんだっていう、そのわけはいったい何なんだろう。いや、理由なんか必要ないんだよね、ホントなら。でも、いつもその部分が、つながるようなつながらないような。 そうなると、ペースダウンなんて、考えるべくもないのか。どうなんだろう。だからもっとがんばろう、そういうことなのかなぁ。 もう一度、いつぞの星占い(1/5の記事参照)を読み返してみる。
誰かに正しく手を貸したとき その相手が、とても強い人である場合があります。 にっこり笑って貴方の援助が受け取れる人は とても強い人と言えないでしょうか。 フツウ、誰かの手を借りたりしたら 「ごめんなさい、メイワクかけて、ごめんなさい」 と言いたくなることがほとんどだと思うんです。 (中略) だれかから手を借りることがきちんとできる人は 本当は、強い人なのです。
これをまんま、当てはめて読んでしまえるなんて、出来過ぎな気がするけれど。でもこれ、どう見ても、私から見た事務局長さんのことだとしか思えないくらい、言い当てられてしまっている気がして。私が、事務局長さんに援助を求められているなんて考え方は、もちろんこれまでしたことがなかったけど。ううん、今だって恐れ多い。何を助けてきたというのだろう。いや、アンタ、正しく手を貸したことなんか、あった? (爆)
「大きな方向転換があるかもしれない」という、3月。 何かが動き出すということは、何となく予想がつく。まめ子が小学校に行く。家の中に大きく環境が変わる人がいれば、ましてやそれが自分の子どもならば、私を取り巻く人間関係だっておそらくは大きく動き出す、そのくらいの予想はつくけれど。 でも、あんなことを言われてしまって、その3月を待たずに、大きく物語が動き出していくんじゃないか、そんなことを思ってしまった。でも、だからといって私がどこに向かっているのか、それは見えてこないけれど。自分を失って、あわや心を病む寸前に陥るほどのめり込んでしまうことへの警戒は、今でももちろんある。でも、その一方で、ここにいることの意味も、少しずつ分かってきたような気がする。醍醐味というか、それに伴う困難も「あって然るべきこと」という受け止め方ができるようになってきた、というか。 この先にある道は、どんな道なんだろう。もちろん、一波乱二波乱どころじゃなく、いろいろなことが行く先にはあると思うんだけど。なんだろう、何が動いていくんだろう。ああ……勢いよく変化するもの。いったいなんだろう。
でも、不思議と、今抱えている気持ちは、今のところ「恐怖心」ではない、気がする。わくわくするというのとも、もちろん違うけど。 ただ、ここなら、私がどんなにぐだぐだでも、泣いて暴れても(……(−−;)。暴れたことはないですが)、前を見つめて進むことを諦めなければ、受け止めてくれる人が、ちゃんといるんだな、って。 一番近い気持ちをあえて言葉にするのなら「安心感」なんだろうなぁ。
甘えるのでなく、身を任せて。 不格好でもいいからまっすぐぶつかって、ちゃんと「わたし」になろう。 どんな私になるのかは、その上で見据えていけばいい。
それにしても、だ。 去年の今頃、たしか私は保育所を探していました。この保育所探しは計算外ではあったんだけど、1年後の今、「学童を探しなさい」という事態になるとは……早いなぁ、1年。
まだ1月だけど、日脚は少しずつ長くなっています。 春を待つ、今の季節が、実は好きです。 (なんて、この冬は厳しすぎて、そんなことを言うのも申し訳ないんだろうなぁ……)
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