日常喜劇

2002年10月19日(土) 「2分前に戻れたら」


(昨日と一昨日の日記の続き小説です。未読の方は「2分前のためらい」と
「2分後の…」を読んでからお読みください。)


…どのくらい口付けしていただろう。
その柔らかい感触が唇から去っても、まだ都筑のそれには
暖かさの余韻が残っていた。しびれのような甘さが全身を満たす。
嬉しくて、胸が痛い。
都筑はゆっくりと目を開いた。
それさえ唇に触れそうな長い睫毛がすぐ近くにある。
都筑は陶然と目を細めて、その睫毛の下に隠された瞳と視線が合うのを待った。
しかしやっぱり恥かしいのか、視線を伏せたまま密が身を引いた。
「…都筑」
「なに?」
「その…マフラー…」
そこでぶつりと言葉が途切れる。
何を言いためらったのか解らない都筑は、マフラーの裾を掴んで見てみた。
「うん。これがどうした?すごく綺麗に編めてるよね。密って器用だねぇ。
…、…あれ?」
そこで都筑の動きが止まった。
よく見ると、そのマフラーは黒一色ではなかった。
毛糸の模様かと思っていた白黒のまだらは、何かの細かい文字だったのだ。
「…こ、これなぁに?」
密はまだ俯いたまま答えた。
「古代キリル文字」
「…。」
今までほのかに満たされていたものが消え、都筑は一瞬で外気が冷えたのを感じた。
まさか、マフラーにA・Tとかイニシャルを編み込むのと同じ要領で、この文字を
職人芸顔負けの細かさでびっしりとマフラー全体に編み込んでいったのか?
「…まさかこれ、編み込んだの?」
「秘密の呪文唱えながら一串ずつ編んだからけっこう時間かかったけど…」
そりゃーそうだろう。この細かさなら。…ってゆーか秘密の呪文?!
聞き捨てならない一言に、都筑は声にならない悲鳴を上げた。
J・U・S・O−?
焦燥のあまり、頭がとある漢字2文字の変換を拒絶する。
冷えた上に、氷塊が背中を滑り落ちるような悪寒が走る。
「…ちなみにこれ、なんて書いてあるの?」
「古代キリル文字の神聖魔法で"セ・クンフト"。意味は"首ったけ"」
「そ、そっかぁ…」
だったら、日本語で「首ったけ」って編み込んでもいいような…いや、
デザイン上あまりよくないかも。都筑はどこにツッコんでいいのか解らなかった。
−しばしの沈黙。
密が下からおそるおそるといった表情で見上げてきた。
「…気に入らないか?」
「え、いやっそんなことないし!てゆーかいいよねウン。
古代キリル文字なんて変わっててサイコー」
我ながら寒いと思える空々しい声で弁解したら、密がちょっと笑った。
「…自分でもやりすぎかと思ったんだけど…これ。ちょっと広げてみてくれ」
言われるままに都筑は、首に巻いたまま伸ばした裾を広げてみる。
そのままさらにフリーズした。
「うっそ…」
都筑は絶句する。
目が痛くなるような古代キリル文字の上に、それとは違う図案が見えた。
都筑が絶句した理由を勘違いしたのだろう。密がはにかみながら告白した。
「…古代キリル文字の上に愛染明王の曼荼羅を組み込んでみたんだ…」
夜空に透かして見れば、確かに護符で使うような梵字が描かれている。
そして、その梵字を囲む円と名前のわりにゴツイ愛染明王の姿。
J・U・S・O−?
またしても、漢字を拒絶したとある単語のスペルが頭をかすめる。
古代キリル文字の上に愛染明王の曼荼羅を編み込んだマフラー。
愛が深すぎて、なんだか息苦しい。ってゆーか
もしかしてこのマフラー、一度首に巻いたら二度と外れないんじゃ…?
元々迷信深く、気の弱い都筑は一瞬で青ざめた。
動物愛護協会が眉をしかめる首輪より、数段恐ろしい凶器を
首に巻いてしまった気分だ。
そして更に都筑は、重大な問題に気付いて目眩を起こしかけた。

…俺、密へのプレゼント…!

なんか、どんなスペシャルなプレゼント用意していたとしても
このマフラーには敵うはずがない。断言できるがムリ、絶対ムリ。
こんな呪詛がかった(ような)愛に満ちたプレゼントに敵うはずがない。
ってゆーかむしろ敵いたいと思わない。
どうしよう…。
密がためらいがちにこちらを向いている。
恐らく都筑がプレゼントを渡すのを待っているのだろう。
本来ならばこちらが本番、誕生日の人に当日誕生日プレゼントを渡す、
至極まともなシチュエーション。しかし、渡せないのは決定的だった。
お手製でもないし、時間もかかってないただのモノだし。
何より愛の深さからして敵わない。
ってゆーかむしろやっぱり敵いたいと思わない。
「…都筑?」
小首をかしげて自分を見上げる密は相変わらず可愛い。しかし、わずか2分前だったら
確実にメロっていただろう姿が、都筑にはとてつもなく恐ろしいものに見えていた。



オワリ


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