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2003年07月14日(月) なぜ人を殺してはいけないのか

少年犯罪への厳罰化に反対する人権屋どもを見ていて、
この連中は例えば政治腐敗の防止については、何と言うのだろうと想像した。
おそらく、法規制や罰則の強化を唱えているのではないか
(社民党の福島、お前の事だよ)。

勿論、政治と子供とは全く別問題だ。
ただ、もし他にどうしようもなければ結局、法によって罰するしかない事は認めるだろう。
では、政治家と違って子供は本質から「悪」なのではないのだとしても、
子供をそのように「善」なる人間(少なくとも人殺ししない人間)に育てるには
どうしたらいいのか。

例によって、「ゲームの悪影響」などということが言われている。
そこまで原因がはっきりしてるのだったら、ゲーム禁止令でも出したらどうかと思うが、
そんなことはできない。
そもそも親の世代自身、散々「テレビとマンガの悪影響」などと言われた時代に
育って来たわけだが、でもたいていの人間は凶悪犯罪などとは無縁に無事大人になっている。
つまり、確かにゲームにもテレビにもマンガにも、危険な要素はあるにしても、
それ自体が問題ではない。
問題はやはり、教育であろう。

これに関しては、俄に「命の大切さ」を説く教育の重要性などと言われ出している。
だが、具体的にどういう教育をするつもりなのか。
例えば私が子供の頃、殊更そんなことを教わった覚えはないが、
別に教わらなくても、人を殺そうなどとは全く思いもしなかった。
理念や理屈で「命の大切さ」を説くのは、無意味である。

数年前、いわゆる「酒鬼薔薇」世代のガキどもの凶悪事件が多発した頃、
ある討論番組で「なぜ人を殺してはいけないのか」と高校生に問われて
答えられなかった醜態を晒した評論家がいたそうだ。
だがこんなことは、倫理や道徳問題として根源的に考えても絶対、答えはでない。
そもそも、道徳とは社会秩序を維持するシステムのために必要なのである。
従って、人殺しは「命は大切」だからいけないことなのではない、
法治国家の原則として罰せられるから「いけないこと」なのだ。
子供の頃の事を思い起こしてみよう。

「悪い事」は、そのため親や学校から「怒られ」「罰せられる」から「いけないこと」
だったのではないか。
それは理屈ではない。
有無を言わせず、「いけないからいけない」として罰せられたのである。
それはある意味、理不尽なことだが、だが社会規範とは、頭ごなしに押し付けられるものだし、
また、押し付ける事で成り立っている。
そこに存する理不尽さや矛盾は、少し大人になった時に考えればいいことだ。
その時には「人殺し」を相対化する理性やモラルは身に付いているだろう。

今回の事件の衝撃とは、犯人が12歳少年だったことではない。
12歳少年なら人を殺しても構わない(罰せられない)という、法治国家の秩序が破綻してしまったことだ。
だから子供たちは、今後も人を殺し続けるだろう。
それはゲームのせいでもなければ「命の大切さ」を知らないせいでもない。
単に、罰せられないから殺すのだ。


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