父、登る 3 2009年08月09日(日)

念願の富士登頂が成った父であったが、下りの七合目付近にて自宅に救助要請の連絡をし、母の働きによりバスの待ち合わせ場所である五合目まで馬で下山したらしいが、その後の連絡はなく、バスに乗ったのかどうか、怪我(腰と膝)の具合はどうかなのか、さっぱりわからないまま夜となる。

8月3日(月)午後7時30分
まあ、連絡はないから無事にバスに乗って、帰ってきているのだろうと思われたが、腰と膝を痛めたのであれば、身動きがままならぬ筈で、旅行そのものよりも二番目に好きな買い物が出来ないなんて、ちょっと可哀想だねなどと母(ちなみに一番目に好きなのは写真撮影)。それに、下山後の風呂にも入れないだろうし、汗まみれのどろどろ状態で、痛む腰を抱えて長時間バスもきつそうだしと、心配もする。
旅行のちらしによれば、帰りのバスが近所のスーパーに到着する予定時間であるが、たぶん遅れるだろうと予想。無論、11時が五合目集合時間であるのに、10時半に七合目から救助要請をしてきた父のせいであろう。馬で五合目まで降りるのにかかる時間はどの程度かわからないが、父が集合に遅れた時間が、そのまま帰宅時間の遅れに間違いはないだろうと、恐縮する母と私。

午後8時30分
1時間は遅れるだろうと覚悟していたが、やはり帰ってくる気配はない。ツアーを企画したのは家族経営の小さな会社で、営業時間を過ぎると留守電になってしまい、状況を知るすべはない。唯一、救助要請時に教えてもらっていたガイドの携帯番号にかけても繋がらず。
何より、父のことだから、携帯電話で連絡してくるとは限らないし、そもそも既にバッテリーが切れているかもしれないし、しかしその場合、痛む腰と膝でバスから降りたあと、重い荷物を抱えてどうやって帰ってくるんだろうと、母は心配のあまり、時間もわからないのに、停留場所を見てくるなどと言い出すので、バッテリーが切れていたとしても、添乗員に頼んで電話するぐらいの知恵はあるだろうと言っても聞かず、気付けば出かけている始末。しばらくして帰ってきたが、当然父の姿は無かったとのこと。
取り敢えず、父の携帯電話にかけてみると、一応呼び出し音が鳴るのでバッテリーは生きているらしい。しかし、鳴らせどもやっぱり出ないので、切る。またしても出方がわからないか、寝てしまっているか、父のことだから、携帯を入れた鞄をトランクボックス側に入れてしまっているかであろうと、母をやきもきさせる。

午後10時30分
予定時間を3時間オーバーするも、連絡なし。一応、車で停留場所を見に行くが、父の姿は無い。
再びツアー会社に電話し、留守電に取り敢えず連絡をもらえないか吹き込んでおこうと思い、メッセージを最後まで聞いたところ、最後に緊急連絡先が吹き込まれていたので、その番号に掛けてみる。
電話に出た女性がまず「あら? 連絡が行ってないんですか?」と問うので、「そちら(ツアー会社)からですか? うちにはないですが」と答えると「いえ、行かれているご家族からの連絡ですが」と返され、グウの音も出ない私。
さらに、女性の話からいくつかのことが判明。
そもそも帰宅予定時間の7時30分はチラシを作った時の古い情報で、実際の予定時間は9時であること。現地の出発が予定よりも2時間遅れていること。
なんだ、予定は9時だったのか、と思ったが、慰めにはならず、内心おそるおそる、表面上は何気なく、遅れている原因を訊いてみたところ、「それが、降りてくるのが遅くなった方がおりまして」との返事。
う。
やっぱりか。おやじ、やっちまったな。2時間遅れか。他のツアー客の顰蹙を買っているだろうな。おまけに、汗まみれで、腰が痛くて身動きも取れず、休憩に入ってもバスから降りられず、糖尿病持ちだというのに食事も摂れないし、もしかしたらトイレにも行けていないかも。これは、えらい姿で帰ってくる悪寒。
と、様々に不吉な予感が頭の中をぐるぐる回っている中、ツアー会社の女性が確認してくれたところによると、あと1時間から2時間ほどかかるという。
ということは、結局2時間30分から3時間30分の遅れになる。おやじ、いったいどんだけ遅れたんだ。
取り敢えず、待ち続けて心配で憔悴していた母は、いつ頃帰ってくるかわかって安堵したらしいが、父が迷惑掛けまくりの状況を想像し、顔を引きつらせていた。

午後11時00分
取り敢えず帰ってくる時間のおおよそがわかったので、風呂に入り、そして見逃すところだった、『ガンダム』1日1話配信を見る。この日は第15話「ククルス・ドアンの島」で、見ても見なくても、まあいいか的な回であった。

午後11時30分
携帯で連絡があるかどうかわからないので、取り敢えず停留所近くのコンビニでスタンバっておくことにした。
待っている間、ボロボロであろう父の状態への心配と、周囲に迷惑掛けまくりの状況への申し訳ないような、実に日本人的な気持ちが入り交じり、陰気な気持ちになる。

8月4日(火)午前0時10分
車で待つこと40分、自宅から連絡が入り、父からあと10分ほどでつくから迎えにきて欲しいとの電話があったという。実に、富士山七合目で遭難してから14時間ぶりに連絡があった時には、日付が変わっていたのであった。

午前0時20分
観光バスが幹線道路を通り過ぎるのを見て、追いかけ、停車したところを後で待機。
この停留場所から乗ったのは父一人であったので、降りてくるのは当然父である。
どんな様子かと固唾を飲んで見守る中、ぎこちないものの、一人で歩けるようで、夜目に見ても想像したよりも元気でひとまずは安心。
「待ってたのか」と父。ああ、待っていたとも。
ていうか、近づいてみると妙にこざっぱりしているし、荷物も若干無理しているらしいが自分で持てるようである。あれ? バスの運転手も添乗員も特に苛立った風もなく、私にも愛想良く挨拶する。
というか、この行きよりも多い荷物の量は何?

以下、父の証言
「え? 風呂? 入ったよ。買い物? したした。いっぱい買った。いやいや、腰も膝も大したことはないし。ゆっくりなら歩ける。え? 集合時間に遅れたかって? うん、遅れた。それが、五合目に10時集合なんだけど(11時集合は母の勘違いだった)、10時半になってもまだ七合目で、しかも腰は痛いし、膝も痛いし、だけど、ゆっくりだったら降りられたんだよ。でももう集合時間過ぎてるし。こりゃ間に合わないと思って(既に間に合ってない)、慌てて電話したわけ。だって周りに誰もいないから、遅れるって連絡できないし。で、たまたまその時、馬が来て(別の人の救助要請でだ)、乗せてもらったんだ。いやあ、乗馬が上手いですね、何かやっていたんですかって言われたよ。馬に乗ったのは、鳥取砂丘で撮った記念写真以来だっての。わはは。で、五合目についたのが11時半頃かな。だから1時間半の遅れ。でもさ、降りたら誰もいないの。ガイドに訊いたら、ほとんどの人が降りてきてないって。結局、皆バラバラで降りてきて、一番遅れた人がなんと集合時間の4時間半後。わしは早かったほう。だからもう、ずっと待たされて、その後行く予定の観光地が一つ無くなったし。え? バスの中で寝てたのかって、それが、いつもなら寝てるんだけど、珍しくバスの中で流している映画を見入っちゃってさ。ほら、『おくりびと』、あれやってて。いやあ、あれはいい映画だな。お前も、見とけ。携帯鳴らした? いや、知らん。まあ、とにかく、行きは酷い天気だったけど、帰りは、ここ最近では無かったってガイドの人が言うほど良い天気で、最高だった!」
…………。
父は富士登山ツアーを満喫したようで、まあ、その、なによりである。

モドル   目次   ススム
ふね屋
 My追加