にゃんことごはん
ごはん



 戦争が始まり終わり いま平和 世界のどこか鳴いてる猫が

今日は終戦記念日です、戦争を知らない世代なので、かつて自分の親とか祖父とかが戦っていたのか、という思いしかない私です
が、終戦記念日近くになると放映されるドキュメンタリーを見ていると、胸が痛みます

たとえば広島長崎の原爆は、実際に投下したアメリカだけの問題だとも思えない、けれど、アメリカを責めてどうなるとも思えない、でも被爆者の苦痛にも目を背けることはできない、でも、ばかりで、何ができるかわからないけれど
要するに、自分には何もできずに悶々とするわけで、まったくもう、って感じではあります

紛争地域に野良猫はいないのかしら、いたとしたら、彼らは生き延びていけるのだろうか、なんてことは考えます
かつて、どこの国だったかがエジプトと戦った時(昔々の話)、猫を神と崇めるエジプト兵に対抗して、盾に猫を括り付けてエジプト兵の士気を削いだなんて話を聞いたことがありますが
もし、そんなことを本当にしたんだったら、私が百代たたってやる、と思ったものです

我が家は猫たちも私も、共同生活にようやく慣れた感じです

ネネちゃんの毛づくろいは、少し落ち着きました
自分で毛づくろいしなくても、私にねだれば、ポンポンもナデナデもしてもらえると学んだようです、まあ、まだ完璧乗り越えられた、というわけでもないみたいではありますが

ジンジンは、むしろマイペースにくつろいでいます
ときどき、廊下に落ちてます(落ちている、という表現がぴったりな感じで寝ています)
そういうとき、廊下が一番涼しくて快適なんです、さすが

昨日、夕方の涼しくなったころ合いに、ジンジンを抱っこしてベランダに出てみました
最近、割と落ち着いて抱っこされてくれるので、そのすきに、涎で汚れた毛を拭ったりとかしているのですが、ベランダで抱っこしていたら、ことのほか、ゆったりと、ちょっと顔を上向けて、風の匂い?方向?を感じているような様子
「気持ちいいねえ」と言いながら、私はせっせとブラッシング

部屋に戻ると、さすがに疲れたのか、水を飲んで寝てしまいましたが

見送った猫たちも「わあい、新しい仲間だ」とばかりに、様子を見に来ているような気がしてなりません
なぜなら、うっかり私が転寝してる間に、ジンジンの水がなくなっていたら、猫に起こされる夢を見て目覚める、とか

最近、見送った猫の夢をよく見ます
なんか、みんな、キャラキャラしていて、幸せそうなので、よしとしています

いつも終戦記念日には、父が落ち込んでいました、同級生をたくさん戦いで見送ったわけですから
でも、今の日本は平和だよ、猫たちが安心して暮らしているよ、私は無力だけど、少なくとも猫が安全に暮らせるように努力はしているよ、と伝えたいです

ま、ささやかな努力ではありますが
ささやかな努力が、でも、今の日本という国の平和の礎になっているんじゃないかな、と思ったりしています

2022年08月15日(月)
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