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■ 猫は楽しかったことしか覚えていない、という本があります
ほんとうにそうなのかどうか、わかりません 怖かったことも覚えていなければ、生きていけないと思うのですが
我が家の居間から桜が見えます ここに越してきた数十年前は、我が家の窓からは見えませんでした つまり、そこまで背が高くなかったのです
贅沢な花見ですが、それも最後です 私も楽しかったことしか覚えていなければいいのにと、思います
今でもショーちゃんのことを思い出すと、涙が出ます あの年の寒い2月、雪、ソチオリンピック、どれを思い出しても涙が出ます ソチの次の平昌が去年、終わっても、私はソチに引き戻されてしまいます
朝、仕事前にショーちゃんを獣医さんに預けました そのとき、私は何気なく「ばいばい」と言いました、「迎えに来るからね」と バイバイじゃなくて、「また後で」と言えばよかったんだろうかと、ずっと考えていました
でも、ほんとうはそんなことではなく、私はただ、死にそうなショーちゃんの傍にいたかった、仕事なんか放りだして、傍にいたかった、もしショーちゃんが人間の身内なら、許されたかもしれないそれが、猫だから許されなかったのが、いや、猫だから許されないと思ってしまった自分が悔しかった
あれから5年
ショーちゃんが覚えている楽しかったこととは、なんだったのでしょうか ガラス越しの出会いのあの日のことを覚えているでしょうか 私のトレーナーの裾にくるまっていた日のことだったのでしょうか
いつも、すくっとバレリーナのように美しい立ち姿を見せてくれていたショーちゃん
君と別れて5年、私はまだ立ち直れていないよ
2019年04月07日(日)
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