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■ いつの間に秋になるのか曇り空 冬日を思う まだ早きしに
ああ、なんか字余りを無理やり処理した感満杯のタイトルです。 別に短歌を気取っているわけではないのですが、縛りがあったほうが、タイトルをつけやすいというだけのことです。
練ちゃんの血尿は治りました。おそらく夏の工事のストレスでしょう、と。 あれだけ、手を変え品を変え抗生剤を投与しても改善しなかったのに、工事が終わった途端、薬など飲まずに治ったのですから、そうとしか思えません。
とはいえ、腎臓の値は少し悪化していて、年齢を考えるとそれは仕方ないことなのですが、練ちゃんには結石もありますし、心臓弁膜症もあります。何を優先するのか、フードはどうするのか、バランスが難しい事態となっています。 とりあえず悪化した腎臓の値を最優先に、療法食で様子を見ていくことになりました。 心臓への負担を考えると、皮下点滴もリスクが大きいのです(その辺が、キラやニャンや茶々と違うところ。彼らについては心臓に問題がなかったので)。
そして私にとっても術後の疲れやすく思いに任せぬ体と、これから控えている手術。 明日、死ぬなら不要だけれど、まだ生きていくなら、必要な手術です。
その間、練ちゃんは行きつけの獣医さんに預かったもらう予定です。 もう老齢の練ちゃんにとってストレスになるかもしれない、とは思いますが、心臓のために薬の投与が欠かせず、腎臓や結石や心臓を患っている練ちゃんにとって、一番安心して預けられる先です。
もちろん練ちゃんが老齢だから見送ってからの手術、ということも考えたのですが、とにかくここ1年ばかり悪化の一途を辿っている股関節、このまま放置すると、それこそ練ちゃんのお世話もままならなくなりそうです。 とりあえず、練ちゃんは20歳ぐらいまで長生きしてもらう予定で、股関節の手術を決断しました。
今日はそういった諸々の相談と、練ちゃんの検査のための通院でした。
大変は大変ではあります。 でも、先日読んでいた漫画だったから小説だったか、はたまた見ていたアニメだったか、忘れましたが、「大変は不幸ではない」という言葉に出会って、思わず頷いてしまいました。
大変なことは、たくさんありました。 出産を経験した方には自明のことでしょうが、出産した当初は大変でした。眠くて眠くて、ひたすら眠くて、幸せなんて感じていられる暇などなかったです。 離婚したあとは、もちろん、もっともっと大変でした。
子どもが小さければ小さいなりに、大きくなれば大きくなったなりに、大変はことはありました。 子どもなどいなくても、人ひとり生きていくには、それなりに大変なことがあると思います。
その大変の時々に、猫の姿が混じるようになりました。 猫たちは、大変に拍車をかけてくれたことも多々ありました。 でも、大変を和らげてくれたことも、たくさんありました。
ニャンをはじめとした猫がいなければ、リュウの部屋の扉は開け放たれることなく(猫の出入りを自由にするために、我が家の各部屋の扉は、トイレと浴室を除き、すべて開放されることを余儀なくされました。一応、リュウの部屋にはのれんをかけ、部屋に入るときには声をかけました)、引きこもりになっていてもおかしくなかった、と、これは最近、リュウ本人が言ったことです。私も、そうだろうな、と半分ぐらい思います(半分の理由は、そこまで人生捨てている子どもではなかったと思うから。でも、まあわかりません。子どもを信じることと、子どもをサポートすることは別物ですから)。
ジュリナ、ポッポ太郎、あみ、ショータロー、キララ、ニャン太郎、チャチャコと見送ってきて、最後に残った練ちゃんは、なんだか急におしゃべりになりました。 起きていると私の隣にどっかりと座り、あおあおと語りかけてくれます。 「うんうん、そう」「なあに」「いいこね」と相槌を打ちながら、もし練ちゃんがいなければ、私が声を発することもなくなるのかな、と思ったりします。 今の仕事は、メールでのやりとりで終わってしまうので。
数年前に、はまった深夜アニメを思い出します(あれを機に、深夜アニメを見るようになりました)。最近、そのアニメのコミカライズを読んで、とても懐かしく思い出したのでした。
当時、リュウは大学生で(しかも理学部だったからか、基本的に授業や講義をフケルという技はなし、でした)、我が家からは一時間余かかる大学近くのダイニングバーでアルバイトをして深夜に帰宅する、のが我が家の生活習慣のころでした。私もフルタイムの仕事をしていましたし、朝も早く起きてリュウと自分の朝食と弁当を作っていたので、あの頃は出産後と並んで大変な時期だったなと思います。
そのアニメを見るために、仕事から帰宅し仮眠をとって、夜半に起きていました。 リュウの夜食の支度をして、半分ぐらいは寝起きのぼんやりした頭で見ていたアニメと、それが終わるか終わらないかのうちに、帰宅するリュウの靴音。
もう50歳を過ぎていた私にとって、そんな生活はすごく大変だったはずなのだけど、何度思い返しても、それはとても幸せな記憶でしかないのです。 毎週、子どものようにワクワクしながらアニメを待っていた自分、遅くに帰宅するリュウのために夜食を作る自分、それが何も矛盾することなく自分のなかで一致していました。
大変と不幸は、関係ないのだな、と。
猫の介護も同じです。 仕事の合間を縫って、なんとか理由をつけて早退や外出を繰り返したこともありました。というか、そうしないと介護できませんでした。もっと、落ち着いて介護できればと思ったことはありました。が、経済的には、それだから可能だったのだとも思います。 仕事先を出ると急いでタクシーを拾い、そのまま家の前で待ってもらって、獣医さんに通っていました。
そうやって、みんなを見送ってきました。
練ちゃんはママ大好き猫なのに、来た時から先住猫がいて、その後は先住猫ばかりか、新顔のチャチャコが病気になったりして、なかなか満足できるまで甘えられないまま、きたのかなと思います。 最近の、とりあえずおしゃべりするよ、とか、とりあえず甘えとくよ、といった感じの練ちゃんを見ると、うんうん、いくらでも甘えればいいよと思います。
が、案外、ひとしきり、あおあおと騒ぐと、さっさと寝床に潜って寝てしまいます。そういう意味では、猫らしい猫、と言えるのかもしれません。
猫がいなくなった生活を憂える前に、やることがたくさんあるので、落ち込んでいる場合ではないのです、と自分を叱咤する、今日このごろ。
2018年10月23日(火)
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