テニスとゴルフの日記

2002年06月04日(火) やはり

もう少しだけ自分のテニスを取り戻したいのだろう。
正直、年間のツアーの中ではダブルスが圧倒的に多い。
シングルスは多くて3試合だが2試合の時もあるし、その全てに出られるとは限らない。
だから実際は年中ダブルスをしているようなものなのだ。

前にどこかに書いていたかも知れないが、やはり試合していて楽しいと思えるのはシングルス。ダブルスはA級トップの試合を見ていても楽しいと思えないことのようが多い。
ダブルスではすごいショットよりもうまいショットの方が決まるようだが、そのうまいショットを「せこい」と思ってみてしまう俺がいる。
別にダブルスをうまくなろうとする人や勝とうと思う人を否定はしない。
でも自分がそうなることを目指すつもりはないな。

スクールに通っているときにもダブルスには有効なショットの練習ばかりが続くと非常に窮屈さを感じていた自分がいた。

本来の自分のダブルスをしているときのスタンスはシングルスで使うショットの応用を使ってプレーする、という形だった。
これがダブルス中心のシーズンを過ごしているうちにこの大前提が崩れてきていたのだ。
もちろんダブルスをたくさんしていたからだけではなく、アスリートとしての基本的な能力の低下も大きいと思う。
でも動き悪くなってきたり、脚力の低下を自覚したとしても「走り込もう!」と思うかどうかはテニスに対するモチュベーション次第であると思う。
ここの部分で自分に対する理想とダブルスが要求するテニスは違ったようだ。
けれどそれはA級ではなくやはりB級であるからだと言う人もいたし、当時はそう思っていたこともあった。
しかしこれは過去の話で今は自分自身でもA級で通じるとは思えなくなった。
色々理由があるが少なくとも試合に勝つために自分のテニスを変えることは二度としないと決めた。
それと本来のスタイルである「勝てる算段をしてから試合に出る」ということも徹底することにしたい。

少なくとも自分の中で納得できるレベルを100とすると、今はせいぜい20がいいところ。
この状態でも誤魔化しながら試合すればある程度の結果は残せると思う。
でも俺が求めているのは勝つこと、結果を出すことではなく、自分らしいテニスをすることであり、自分らしいテニスをすれば結果がどうであろうと基本的には関係ないのだ。
だから、今の状態のように自分が打てないと思うショットが多すぎるのでは試合に出ても自分のテニスは出来ないし、自分自身に失望するだけだ。
今俺に必要なのは基本練習による基本の習熟であって試合に出ることではない。
全てのショットに完璧を記するのは難しいが少なくとも昔は出来たと思うショットが出来ないうちに試合に出ることは無意味なのだ。


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ビンセント