| 2001年10月15日(月) |
痛恨!三連続ダブルフォルト |
試合速報! 今期最終戦、初めてにしてついにベスト4進出、銅メダルゲットしました。 と、ここだけ見ると喜んでいるようだが半分は反省が多い。 少し前から追って見ましょう。
先月末から再発した腰痛のため先週末の大好きなシングルスもスキップ。 腰痛再発と同時進行し体重も10%増量していたうえ、会社の課外活動が活発化していたので練習時間もとれずはっきり言って過去最悪のコンディションで試合に参加することとなったのが今回の試合である。 実は腰の方もパーフェクトにはほど遠いために禁断の痛み止めを飲んでの出走だった。 それに加えいつもと違ったのがモチュベーションの置き方で「出るからには勝つ!」と言ったスタンスを今回は最初から持っていなかった。 様々な要因があって準備不足だったのだ。 今までさんざん兄貴にあーしろこーしろと言っておきながら言い訳がましいが故障の場合は動けるか動けないかの瀬戸際ではっきり言ってテニスどころではないのだが、棄権だけは避けなければならなかったのだ。
試合当日は久しぶり♪、に俺の寝坊から始まった・・・、でもみんなに話題を提供するために寝坊したのよー、みんなこれでひと笑いしてリラックスできたでしょー嘘です、ごめんみんな。来年は遅刻はちょっとだけにするよ。<ちょっとはやる! まー学校から一番近い奴が一番遅刻すると言うが正しい意見である。我が家はテニスコートから5分程度の場所にある。朝に弱い俺が30分早起きしてアップなんぞやっても大して意味はない、その分寝た方が俺は幸せなのだ。 で、家を出てコートの駐車場の入り口で兄貴を発見、なぜそんなに急いでいるのだ?まさか第1試合なのか?・・・・第1試合でした。
第1試合 VS 力士さん&もしもピアノが弾けたならコンビ
この人は僕のお得意さまである。一時は独特の粘り、ペースの遅さに苦しんだのだが、相手のチャンス時の攻撃的なボールに驚異を一切感じないので今ではドロー表で彼らの名前があるととても嬉しい。しかも寝起きの第1試合である。ナイスアップはここで終了した。このときは未だ今回のドローが超♪ラッキーなものとは考えていなかった。 特筆すべき事はほとんどないのだが、第1ゲーム 30−30の時にファーストフォールとしてセカンド打つときに「やべぇ、ダブりそうだ」と思ったのだが、たまたま運良く隣のコートからボールが入ってきてポイントレット。ファーストを打ち直して、リターンミス。 いつの間にキープしてました。<未だこのときは寝てる、俺。 そこから何ゲーム取られたのか記憶はないのだが、今トーナメントを通してサービスゲームのキープが非常にスムーズで安定していたので「負けはないな」というスタンスでゲームできたと思う。サービスキープが危険だったのは俺の方だけだったと言っても良いだろう。スコアは6−2か6−3だろう。
第二試合 VS 学生ちゃんペア
あれ?記憶がないぞ・・・。 釧路のトーナメントには結構学生ちゃん達が出てくるがとびっきり生きのいい奴はすぐにA級に上がってしまう。 残った子達はB級で出てくるのだが一言で言って「若者らしくない」のだ。 俺が考える「若者らしさ」が間違っているのかもしれないが、常に全開でミスしてもフルショットする、とか、思い切りよくプレーしてくるイメージを持った子が少ない。 はったりでサービス練習の時に打って来る子がいるのだが、試合になると一転し、弱気と言うか丁寧に大事に入れてくるサービスを打ってくる。 若いんだから思い切り振り切ってセンターでとらえれば入るだろーよ、俺なんて腰痛いからサービス練習なんて出来ないんだぞーと心では思うのだが、言ってもしょうがない。 ただの繋ぎプレーをおじさん達に仕掛けてきても通じないぞ!という老獪さを見せて煙に巻いた、様な記憶がある。たぶん6−3か6−2。2勝0敗
第三試合 VS ちょっと元気な若者達
なかなかセンスはありそうだった。でも明らかに経験不足の様に見えた。 フォームは綺麗でボールも良かった。一番安心して試合をしたような気がする。 あまりへなちょこなプレーはしてこなかったので自分本来のリズムに近いペースで試合が出来ていたので、中盤から久しぶりにプロスタッフを投入。 フラットサーブを打ってみたが・・・ほとんど入りませんでしたね。 でも兄貴曰く「入ったらとれねー」という顔をしていたらしく、はったりとしての効果は有ったようです。 中盤でフォアハンドのスイングが狂いかけてリターンミスを二本連続でやってしまいましたが、いつの間にか勝っていました。 予選リーグ初の3勝0敗。そして不本意ながら二度目の決勝リーグ進出となりました。 (二試合目と三試合目はどっちが先なのか記憶が怪しいです。)
なぜラッキードローだったのか?それは三試合6人の中でサーブアンドボレーで攻めてきた相手は一人しかいなかったからです。 ほとんどが雁行陣主体のペアで、雁行陣主体と言うことは前衛にいてもボレーに自信がないはずなので、当然ポーチの危険は考えなくても済むからです。 今回のドローがラッキーだったとしても、相対的に見てペースが遅いペアは必ずいてこの遅いペースに付き合いながら如何にミスをせず、相手にミスさせるか?ということは予選突破にかけて重要な戦術であることを再確認しました。 俺も兄貴も何度か幽体離脱しそうになりましたが、お互い我慢して繋ぎ続けたり、あえて相手に打たせたりして予選リーグを突破しました。 王様曰く「てきとーに繋いでいれば相手はミスる、ナイスショットは捨て」という考えをやっと理解できた気がします。ま、これは自信が有ればこその発言だな。
決勝リーグ 一試合目 VS 学生ちゃん達パート2高木バージョン
高木というのはおいらの友人で同級生である。若いくせに風貌は親父、そのものである。当然頭頂部も後退または著しい減少が見られる。 そのペアの一人がまるで高木を思い出させるような風貌だったので高木バージョンとした。決して馬鹿にしているわけではない。楽しんでいるだけだ、ごめん高木。
サービス練習でいきなり速いサーブを打ってきた。「おーはえーなー」と思ったがファーストサーブが入ればリターンの確率が落ちるのは当然なので最近は全く気にしてない。怖いのは確率が高くファーストサーブに見合ったスピードを持つセカンドサーブなのである。
どっちのサーブから始まったか分からないが練習のサーブははったりだった。 二人ともそうだが試合を通して2本だけだろう、入ったのは。 序盤、サービスキープを基本としながら如何にブレークするかに焦点は絞られたのだが、とにかく相手のセカンドサーブがひどい。 ダブルフォールトがないから無駄なミスはないのだが一切の攻撃力を持たない。だがここでムキになってエースを狙ったりしてこっちのミスがかさみ出すと突然ファーストを打ち出してそれがバンバン入ってくると逆襲されてしまうので、まずセカンドサーブを羽子板式で打ってくる方に関しては打つ振りからドロップショット気味に浅く返し拾わせて小技のみを誘うことにした。 当初うまくミスを引き出せていたが、小技中心の「がさい繋ぎ合い」になるとこっちもミスする可能性が出てくるので、中盤から打ちやすいところにリターンしてあげて、打ってきたボールをボレーで返し続けてプレッシャーをかける戦術に変更。1,2本は続けられても3本目はほとんどなかったでしょう。 コースは一切つけずにとにかく鬱陶しいくらいに返す。この戦術がうまくいったのか想像以上に相手が弱気だったのかは分からないが6−2で勝った。 ベスト4ゲット。
第二試合準決勝 VS I69さん、勝美君ペア
よく知った相手である。はっきり言って軟式のペアのような硬式ペアである。 I69さんはボレーの達人である。ストロークは今ひとつだがひとたび前に出てくれば驚異である。勝美君はボレーはほとんどない人だ。しかしストロークがすごく伊達公子の様にライジングでフラット系のボールをがんがん打ってくる。 実は今回の試合が始まる前から不安があり、それが今年の目標である「遅いペースにも惑わされずつなぎのテニスを徹底する」というプレーをしていると速いペースに合わせられないのではないだろうか?というものだった。 本来僕の考え方は「速いボールに合わせておいて、遅いボールにも対応する」というスタイルだったのだが、そのスタイルではストレスが堪りすぎる、のだ。 だから最初から遅いペースに合わせ、繋ぎのテニスをベースにしたのだがそこからどうやって速いペースの相手に合わせるかということが課題のままで研究する事が出来なかった。 心の中でもっとも当たりたくなかった相手のうちの嫌な方と当たってしまったのだった。
案の定、第1ゲーム勝美君のリターンエースを食らってブレークされた。 (幽体離脱度50%)
第二ゲームすぐさまブレークバックし、兄貴、I69さん共にキープで2−2。 ここで今日のテーマのゲーム、三連続ダブルフォールト・・・当然ダウン。 なぜ練習していないフラットサーブを打ちにいったのか?幽体離脱度も深く関係しているが、本来相手のベストショットを切り返して勝つ!のが本来のスタイルで当然それに対し準備を行っておくのだが、今回は良いボールを切り返せる状況になかった。自分自身「勝てない」と思ってプレーしてしまった。 最初のサーブを打つときにもすでに冷静な自分はいなくておぼろげながらに「勝つ!」とより強く思っている方が最後には勝つんだろうなー、なんて考えたことを思い出す。で、そこで「勝つ!」と思えなかった自分を記憶している。 だからサーブでばくちに出たのだ。結局ファーストサーブは一本たりとも入らなかったはずだ。 ゲームカウント 2−3
(幽体離脱度90%)
その後勝美君にもキープされ2−4。兄貴もブレークされ2−5。 すでにあきらめモード。 自分のリターンサイドに歩いていく時に立ち止まり「粘っていこう」と声をかけるもすでに幽体離脱は始まってから久しく、何とか引っかかっている程度の状態。 二本良いリターンを沈めブレーク。3−5 ここで自分のサービスゲームだがさすがにさっきのように練習していないサーブを 打ちまくって自爆するわけにもいかないし、入る気もしなかったので今まで通りにスライスサーブを入れボレー勝負に変更。30−15から「ポーチに出るか?」と兄貴に聞かれたがリスクが高いと思ったし、ようやく幽体離脱度が下がってきて「なんだ、サーブで押さなくてもボレーで勝負できるじゃないかー」と思えるところまで回復してきたのであえて球速を殺し遅いサーブを入れていってボレーで勝負しつつキープ、4−5。
(幽体離脱度40%)
次取られれば負けだが、何とかブレークしよう!という言葉は口からでなかった。 心の奥底では「2−5から良いプレーしているからブレークできてきたんだぞ、自分を信じて行けよ」という声も聞こえてはいたがたぶん自分にプレッシャーがかかるのが嫌で「意気込んでつまらないミスをするのは止そう」とだけ思った。
ファーストポイント、リターンダッシュから攻める。 チャンスボールが上がってきて僕がスマッシュしたが、返されてしまい、詰めてきた兄貴がボレーミス。このときは兄貴のボレーミスよりも「何であんなチャンスボールを一本で決められないんだ、俺はー」という気持ちになった。 この大事なファーストポイントを取れば一気にブレークできて5−5から兄貴のサービスゲーム。6−5での逆転勝利があったのだが、やはり最初から「ブレークしに行く」という気持ち、そしてこの試合自体「勝てる、勝つ」という気持ちを持って入れなかった自分自身が許せなかった。
二ポイント目、兄貴と勝美君のアドコートでのストローク合戦になる。 最後は兄貴のショットがコードにぶち当たって取られた。 しかし良いラリーだった。兄貴は最初からストローク合戦では自分の方が分が悪い、と思っていたらしく彼なりに何か思うところはあったようだ。 でも、ロブで逃げなかったので俺のリズムは狂わなかった。 「ナイスファイト」と思った。来年もここでロブで逃げる事とかスライスでかわすことはしないで欲しいなー、大丈夫だ、あんたのストロークだって悪くないぞ。 同じラリーが来年もあったら勝てる様に練習しようぜ、勝てるはずだ。ベッカーが伊達にうち負けるか?それはないだろう。
三ポイント目、例のごとくリターンダッシュから前に詰めるが一本目を沈められ集中力を切ってハーフボレーをI69さんに決められる。 ミスする瞬間にラケットから力を抜いている自分がいてこれまた自分にむかついた。普通ならなんてことないハーフボレーだがこれが今年の俺だったのだ。 最後まで自分自身を信じれるプレーは出来なかった。
四ポイント目、兄貴の渾身のリターンを勝美君がフォアで回り込もうとして回り込めずストロークミス。一本返す。
最終ポイント、またもリターンダッシュから前に詰める。 なんて事のないミドルボレーを集中力の欠けたプレーでネットにかける。 ゲームセット。 準決勝 4−6 で敗退。
試合後の飲み会で兄貴が「2−5」からでも未だ勝てると思っていたぞ、と言ったのを聞いてより悔しく思った。そして今年の最初の負債を見事に返してくれたと思った。 しかし、兄貴が正直言ってここまで安定してプレーできるとは俺自身が考えていなかった。やはり俺が何とかしてなんぼ、の気持ちはなくなった。 確かに相変わらずへなちょこミスはあるが少なくなったし、何よりもサービスキープが楽だ、予選の試合がそうだが自分のサービスゲームの記憶はほとんどない。 これは、自分たちのサービスゲームで如何に楽に、しかも良いショット無しでキープしている事の証明だと思う。だから相手のサービスゲームをブレークすることだけに集中できたんだと思う。 兄貴に最初に注文したサービスのカスタマイズは想像以上に効果が高く、リターンさえ帰ってこない事が多かった。俺が頑張ってポーチに行かなきゃキープできねーな、と思った事は一度たりともなかった。100%以上の答えをもらったと思う。
最後の試合で貸しを作ってしまった。 来年は倍にして返すつもりだ。
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