Espressoを飲みながら

2002年08月08日(木) 薪能を見に行った

 学校を休んで三宮に出かけ、先日も書いたラミティエ・コムシノワで
ランチを食べた。メニューは日替わりでバリエーションがあるみたいで、
今日はスイカのガスパッチョが格別においしかった。にんにくと塩で
ややしょっぱめに味付けされたトマトの冷製スープの中に浮かぶスイカ。
甘味と辛味のコントラストがなんとも言えなかった。

ガスパッチョは言うまでもなくスペイン料理に分類されているが、
地中海沿岸では広く食べられているような気もする。
元々ヨーロッパは歴史を辿ればローマ帝国に行き着くし、
陸続きなので電車や車、自転車でも外国旅行ができる。
食文化の伝播に高い壁など存在しなかったのかもしれない。

 夕方から薪能といふものを見に行った。
場所は大阪府豊中市服部南の住吉神社。舞台は大変由緒あるものらしい。
そんな由緒ある神社の舞台で行われる能を見に行く訳だが、なんと
空遊が能を観るのは一生でこれが初めてである。

演じられたのは、説明によると源氏物語に出てくる夕顔の亡霊が
花供養の時期に現われ、それをお坊さんが御払いするという内容。

はっきりいって観ていても台詞もわからないし、物語の進行具合も
不明であった。さすがにこの人が夕顔、あの人がお坊さん、くらいまでは
わかるのだが、後は全然歯がたたぬ。

「いよーっ!」というかけ声が繰り返されるのが印象的。
能ならではの独特の発声であり、腹の深いところから響き渡ってくる。
あとは不思議なタイミングで床を打つ足の音。ハーモニーと呼んでいいのか
悪いのかわからない一種独特の合唱。

怨霊払いという非常に感情的なテーマを扱っているにもかかわらず、
雰囲気は終止淡々としている。夕顔も激情に駆られているというよりは
なんというかのらりくらりとした感じ。ひょっとしたらそういう感じの
ほうが怨念として残りやすいのかもしれない。

動き、姿勢、動静の中に禅を感じさせる。
踊り手や歌い手を超えたところに存在する、別の次元が幽玄の中、
ほのかに現われる。点灯式の後は、左右に炎がゆらゆらと動いている。

神社で奉納されることもあり、ある種、儀式的。
観ているものがそうと気付かぬ内に、たまっている情念や負の感情を
浄化しているのかのようだ。

結構長かった舞台が終わり、帰路に着く。なんだか浄化された感じがした。






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空遊 [MAIL]

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