隠喩と暗喩の対話

日々の心象を抽象的な言葉で。隠喩のはけ口、いわばポエム。

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2003年08月06日(水) :アフガン

今日は、戦争に対して恐怖や怒りを感じる日ではなく、お米ちゃんに対して恐怖や怒りを新たにする日。日本の戦争を振り返る日ではなくお米ちゃんのトンデモっぷりを考える日。「原爆怖い核戦争怖い戦争怖い戦争こりごり平和が良いよ平和サイコー平和マンセー」とみんな口々に言いますけど、なんかちょっとそれにはとてもとても違和感を覚えるわけ。何か違うんじゃないか。と。

原爆は戦争遂行とは別次元で投下された。当時、日本に戦争続行の意思はなく(お米ちゃんはそれを知っていたけど知らぬふり)、お米ちゃん軍首脳部も戦争終結のために原爆使用は不要不要と判断していた。けれども、戦後の力関係を睨んでソ連を牽制するという政治的な理由だったり人間に対して使用してデータを収集する人体実験目的だったりでうんじゅうまんの日本人をぬっ殺した。戦争のどさくさにまぎれてとんでもないことをやってのけたのだ。これは事実として押さえたほうが良い。そしてとんでもないことをやってのけた国は今でも輪をかけてとんでもない国。

テレビでは平和宣言の『しかし問題は核兵器だけではありません。国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代は正に戦後から戦前へと大きく舵(かじ)を切っているからです。』という台詞が取り上げられる。これも違和感を覚えますけど、くどくど語るのは止め。戦後のヘタレ日本人より、戦前の先祖たちのほうが遥かに立派だったと思います。とんでもない国にへこへこへこり続ける人たちと、とんでもない国に立ち向かった人たち。そういうことを思う日は8月15日。

今朝の8時15分はふじみ野あたりを通過していたでしょう。私は折鶴が折れません。「折鶴が折れない」は「猫踏んじゃったが弾けない」と価値が似ているような気がする。ええ、猫踏んじゃったも弾けませんが、何か。


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下駄不落斎(ふらくやん) |メイル諸悪の根源自己嫌悪(復刻版) profile


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