隠喩と暗喩の対話

日々の心象を抽象的な言葉で。隠喩のはけ口、いわばポエム。

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2001年11月10日(土) :軍歌

ヤフーチャット初心者1(初壱)が大荒れです。

誰かがボイスチャット(声茶)機能を使って発言しようものなら、「黙れ」「迷惑だ」「音声禁止」「氏ね」「どっか別な場所逝け」「いちいち無視するのがウザイ」と袋叩き。

そんなに声が嫌なら「ボイス停止」ボタンを押せば一発で解決するのに、どーして押さないんですか?あんた馬鹿ですか。そこラ変納得しかねて観察を続けるわけ。

すると。


声茶をヒステリックに糾弾していた奴らの一人に、こんな声がかかる「昼間の音ちゃ楽しかったね〜♪」。


アンタ(・∀・)イイ!

納得。この一瞬の出来事で全てをお察しできますね。つまりそういうことなんです。ごくごく予想通りの結末。

以上。












納得しなかった人への蛇足。

事実

  • 彼らの多くはは、日本の音声導入以前から、アメリカでユーザールームを作って音声チャットしていた。
  • 同時に「初壱の常連」である。
  • つまり、声茶と文字茶を住み分けている。


邪知

  • 彼らは、音声チャットが本当は大好きである。
  • でも、他人の音声は大嫌いである。
  • 自分が参加しない音声は騒音である。
  • 他人のナンパ行為には反吐が出る。
  • でも自分も似たようなことをやっている(アメリカで)。
  • 一応日本でもターゲットを探すため「停止」ボタンは押さない。


単純に私利私欲を剥き出しにしているだけという、つまらない考察結果でした。そんな私欲を持つことは自由。だけど、ある程度強調が必要で、ある程度公(おおやけ)の場であるチャットで傲慢な個を垂れ流すのはいかがなものか。ある程度真摯な態度が必要だと。

ある程度ってのは、ほら、「完全に強調して秩序が取れた平和なチャット」って不気味でしょ?ある程度なのよある程度。ある程度の平和。ある程度の無秩序。ほどほどのアラシ。どの程度をある程度と感じるかってのは、人それぞれ価値観の問題で、またやっかい。あくまで、あっしの立場では、一部常連の叫びが「ある程度の無秩序」で許容できない範囲だなあという前提でお話申し上げている候わかめ。

音声に対し、目をギラギラさせながら反対・禁止!と糾弾する姿は、どっかのトピックで「常連の弊害」として非難されていた姿そのものだ。楽しいからガンガン狂ってもらって構わないけど、さり気なく被害を受けている初心者とか声茶をしたかった人とかいるわけ。

そんな暴走した一部常連さんの姿は、昨日書こうとした「自衛隊海外派遣反対」と騒ぐ人たちの狂気と重なり合って見える。なんだかなあ。悲しい。ペリーも悲しむわ。そりゃ。

で?

不落は?さあ。どうなんでしょう。あっしは声茶が「苦手」。好き嫌いは別として苦手。だから此処で槍玉に挙げた常連とはちょっと立場が違う。それはまた機会を改めて。明言回避の常套句。

蛇足終了。



「蛇足」部分を長々と解説しなくても読み取ってもらえるのがベストだけどね彡サッ


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下駄不落斎(ふらくやん) |メイル諸悪の根源自己嫌悪(復刻版) profile


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