フォーリアの日記
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| 2014年03月04日(火) |
声がだんだん滑らかに・神曲「天国編」は難解 |
今日は晴れ。 明日はもう雨だと言っているので、貴重な晴れです。
今日は、朝から何かをしなくてはと思っていたのですが、 思い出さないので生協のネット注文をしたりしていたのですが、 しばらくして思い出しました。 お雛様をしまわなくては。
いつもしまうときには、 台所の引き出しに入れていた(障子貼り用の)はけでほこりをはらっていたのですが、 台所の引出が変わっていったいどこに入れたか忘れました。 でも別に台所用品じゃないからとよそへ移した気がするので 入れそうなところ・・・と思考をたどって探したらすぐに出てきました。
午後は、歌の練習をしました。 だんだん音が動いても頭の響きのつなぎが滑らかになってきた気がします。 とは言っても歌いだしてすぐにではなく、しばらく声を出して、ある程度なじんできて、 その後にゆっくりつながりを意識しつつ練習した時なので、 これからもっと慣れて、初めからその滑らかさに行けるようにしたいです。
午後、大阪の友人から電話。 またちょっと言葉の意味が勘違いされているようでちょっと不安。 (それがそうなのかどうかは次にその話題になった時までわからないのです。)
ところで、神曲「天国編」はなかなか読み進められません。 地獄篇と煉獄編のようにどんどん読み進めるような話題ではないのです。 煉獄編のあとがきに地獄篇が一番読みやすく、 煉獄編は難解で、天国編は更に難解だと書いてあったけれど気にしないようにしていましたが やっぱり本当みたいです。 もともと、地獄篇にしても煉獄編にしても イタリアの地名や(歴史的)人物やギリシャ神話を知らない日本人には 注がなければ読めないようなものなのですが、 それでもその注を読むのも面白く読み進んできたのですが、 天国編はそうもいきません。
地獄編だとまだユーモアも交えて表現されていたキリスト教的世界観が 難解というより、天国編ではやけに説教臭く感じられ、 天国の風景もほかの宗教が入り込む余地がないほど限定的で なんだかなじめません。 神曲の世界観ではキリスト教信者しか天国に行けないらしいので、 そういうことになってしまうのかもしれません。 それでも、もう少し宗教を超えて普遍的なものがあるかと期待していたのですが。 まあ、返すのは来週なのでもう少し頑張ってみます。
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