フォーリアの日記
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雪のため交通機関が乱れに乱れ、今日の外出は大変でした。 念のため早めに家を出たものの、電車はいつ来るかわからない。 来た電車には積み残される、次の電車も満員。 体が斜めになり、支える手が痛くなり、胸が圧迫されて苦しい。 行き先が変更になって、途中で乗り換え。 (これはかえって超満員の車両から開放されてラッキーかも。) 乗り換えた山手線も、線路に人が降りたとかでしばらく止まる。
いったい間に合うのでしょうか。
雪道を歩くにの黒のパンプスでは無理なので余分な荷物も増えます。
ようやくたどり着いた西小山駅から円融寺というお寺まで歩きます。
前にここを通った時もコーラスのメンバーのお葬式でした。 行きには路地から広い道へ出るのでわかりやすいのですが 帰りには路地へ入らなければならないので迷いました。 そのときに、道を案内してくれたのも今日の故人だったなぁと思い出し それだけで涙がでてきてしまいます。
多少遅れたもののお焼香には間に合いました。 商店街の人気者なので参列者がたくさんいます。 正面の写真を見るとまた涙が出てしまいます。 コーラスのメンバーたちは「泣かないで歌おうね。」と励ましあいました。
でも、最後のお別れで顔を見たらみんな泣いてしまいました。 そのまま出棺の前に歌って送ったのですが 歌っているうちに何とか皆気を取り直しました。
雪はやみそうにありません。 ----
雪のお葬式といえば、母の時を思い出します。
母が倒れた日は長野でも近年まれな大雪で5、60センチ積もりました。 脳外科のある病院まで通常30分のところ、1時間半くらいかかったそうです。 危篤状態のまま10日間ほど入院していました。 その間、ほとんど毎日雪が降り続きました。
病院に泊り込んでいたのですが、家のメンテナンスもしなくてはならないので 交代で帰りました。 夜の間に積もった雪が朝方凍り、朝には玄関のドアをふさいで開かなくなります。 サッシの引き戸から庭へ出て玄関へ回り、それを取り除きます。 雪下ろしをさぼったら車庫の屋根がつぶれてしまいました。
お葬式の当日ははらはらと舞う程度の雪でした。 当時は田舎に葬祭場もなく、お葬式は自宅でした。 人が来ても大丈夫なように玄関の氷をつるはしでかち割って取り除き 庭の通路には人が歩けるようにダンボールを敷きました。
この日を境に天気がよくなってきました。 本当に母の危機を象徴しているように感じた雪でした。
モーツアルトが母親の死を聞いて作曲したといわれるピアノソナタK.310は その冒頭を聞くと、いつもこの時の雪が降りしきる光景が浮かびます。
普段はチャイコフスキーの情感たっぷりの音楽が好きなのだけど このときばかりはモーツアルトしか耳が受け付けませんでした。
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