すっぴん



■■ しつこいようだが ■■
2001年10月31日(水)

しつこい!そう言われてしまうかもしれないが、昨日考えた呼び方について、もうちょっと考えてみると”照れ”でも無い事がわかった。

仕事中、急に修羅さんの事を考えた。
そう言えば修羅さんも別の呼び方で呼ばれている事が多い
が、やっぱりアタシは、未だに修羅さんは修羅さんだ。
理由は明確
私奴が、修羅さんの事をさん付けせずに、っちと呼ぶなんて事、恐れ多くてとても出来ない。ということだ。

さかもんは、最初はなんとなく照れと言うか、抵抗があったにしろ、いつのまにかみんなと同じくさかもんと呼んでいた。

ゆぴさんは、『う』の発音が聞こえづらい為、比較的スムーズに移行出来た。

よーく考えると、規則性なんてどこにも見あたらない
つまり、いつも同じ理由で呼び方を変えないのではなく、その時その人によって呼び方移行をする・しないの理由は違うのだ。と言うことがわかった。

そう言えば思い出す。
昔、川村が会社の後輩だった時、私を『あやさん。あやさん』と呼んでいた。
お互いその会社を辞め、元々年が上だった川村は、私を呼ぶ時なんて呼んだら良いんだ?とうだうだと考えていた。(様だった)
最初は今まで通り『あやさん』と、呼んでいた。
そのうち、自分の中で矛盾が出てきたのであろう
私を呼ぶとき『あやゴニョゴニョん』なんて感じで語尾がもにょもにょしていた。

そこで、ヤツの単純な馬鹿頭なりに考えた呼び名は『あやぴょん』だった。
数日間かけ、やっと私をはっきり呼べた事を考えると、さすがの私も冷たく『何それ〜!!ガハハ』とは言えなかった。
とても私はぴょんってな顔でもぴょんってなキャラクターでも無いのだが、川村がそう呼ぶと決めたのだ。
それはそれで仕方がない
きっと彼なりに色々考えたのだろう。
私はそっと、その似合わないぴょんを受け入れた。

まぁ、又長くなってしまったが、結論は『照れがあったからではない』と言うことに達した訳だ。
全然有意義では無い様な事に思われるが、なんとなく結論に達したので、私の中では結構満足している。


『今日の韓国語』

またまた続けてtagtakさんからのリクエストです。

『ごちそうさまでした』= (マシッケ)チャ モゴッスニダ
ごちそうさまでした 

ひとこと *−*−*−*
”マシッケ”とは、美味しくと言った意味
マシッケを入れなくても入れてもごちそうさまでした。
なのですが、気持ちがこもっている様な感じがします。




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