すっぴん



■■ 呼び方を考える ■■
2001年10月30日(火)

私は友人の昔からの呼び名をよっぽどの事が無い限り変えない

例えば、ガジさん
今となっちゃーケーコさんだったりヘータだったりするが、私はなんとしてもガジさんと呼び続けている。

ハモさんだってそうだ。
誰もが別の呼び方に変わってしまっても断固として変えていない

『ゆり』に至っては、中学校の時には、呼び名が既に『おおいけ』と変わってしまっていたが、もうすぐ28歳になるであろう今に至っても『ゆり』で押し通しているし、『ゆりの弟達』が子供の頃、くりくりとまぁるい頭があんまりにも可愛らしくてドングリの弟、の弟と命名
そんな恥ずかしいであろう呼び名を、彼らが大人になった今に至っても『ヨッ!ドングリの弟!ただいま〜!昨日帰って来たのさー。で、牛乳ある?無かったら下から持ってきて〜』だの『ちょっと〜栗の弟〜ぉ、寒いから毛布一枚頂戴』だの、人ん家に泊まりに行ってお世話になっているとは思えない位ずうずうしい事を言うついでに呼んでいる。

とまぁ、具体例を挙げればキリが無いほど盛り沢山出てくる。

こういった現象は何故だろう?
私的に色々考えてみた。

出会ったタイミングによるのか?
いやいやそうでも無い。大体『ゆり』や『よ〜こ』は小学生の頃からの友人だ。
ガジさんやハモさんとは、出会った時期がまるっきり違う
愛着のある人と言うか..大好きな人に対してそうなのか?
ウーン...そうかも!

いやいや...考えてみた結果、そうでも無い事がわかった。
例えば、『ちり姉』は、ちりちりさん(オエッ今呼ぶと)から”ちり姉”に移行した。
最初、若干の照れの様なモノはあった様な気がするが、なんとなく移行していったのを覚えている

おっ..わかった。(パンっ!)←手を叩いた音
これを書いていてわかった!
照れだ!照れなのだ!
照れが呼び方を変えさせないのだ。

そうか...そうなのか。照れだったのか!

私は毎日、そんな他の人から見たらくだらないであろう事を、自分の自由時間をフルに使い、考えたり悩んだり想像したりしながら生きている。
時々、時間が勿体ないなぁ〜とも思うのだが、どうにもこうにもやめられない
仕方ないのだ。

それと、今日はおじおじさんの所のこのページを読み、理解したり、それについて喋り好きの彼と話し合い、考えたり、貶されたりする事にも時間を注いだ。
これについては結構有意義だったと考えている。

本日は、結構沢山の人の名前を勝手に登場させてしまった。
怒ったりせずに、きっと許して貰えるだろうと信じている。


『今日の韓国語』

続けてtagtakさんからのリクエストです。

『おじゃましました』= ペ マニ キチゴ カニダ おじゃましました。 

ひとこと *−*−*−*
中にいる人に向かって『さようなら』は、アンニョンヒ ケセヨ
外に行く人に向かって『さようなら』は、アンニョンヒ カセヨ




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