武ニュースDiary


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2020年07月16日(木) 「南方人物周刊2017-4-24」金城武インタビュー・2

たくさんの喜怒哀楽が引き出しに

――画以外に出演することは考えませんか?

金城武 基本的に映画ですね。

――以前、映画の道に進むと決めたとき、歌は自分からやめたのですか?

 はい、あの頃は映画の方がもっと面白いと感じていました。
音楽も、演技も、ぼくはできない、勉強したことがないんです。
チャンスをもらっただけで、人が、多分、顔がよければOK、
この仕事はできる、と考えて、それで始まった。

その頃は映画が面白いと思っていて、
演技がすごく面白いというわけではなかった。
演技をすることで、ぼくは映像制作の過程に参加できるチャンスが
もらえるわけなんです。
そしてウォン・カーウァイに出会い、よけい面白くなったんだと思う。
現場で起こることは何でもすごく興味がありました。
監督でも、カメラマンでも、道具係でも、美術でも、録音技師でもなんでもいい、
映像制作ってどうしてこんなに面白いんだろうと思いました。

――そういう人たちと話をして、いろいろ理解したのですか。

 そうですね。
若かったので、好奇心旺盛だったというのもあるかもしれません。
本当に楽しかった。
ただ観客として見ていた頃には、
その裏側でこんなに様々なことがあるというのは知りませんでした。

CDを作るのが面白くないというのではないんです。
でも、ぼくが本当に得意なものでもないし、
それにみんなで一緒につくりあげるものではない。
当時は両方並行してやっていたので、くたびれてしまって。
例えば、1日に2本の映画の撮影をして、
その後CDの宣伝に行かなくてはならなかったりして、ああ、もうだめだと。

――あなたは、かなり初期の頃に、演劇学校に行って
気持ちや表情のコントロールを勉強しようとは思わない、と言っていますね。
基本的な技術をつかんだら、あとは自分自身の具体的な感覚で演じたいと。
今でもそう考えていますか?


 ぼくは現場で経験する中で技法を学びました。
そのうち、やっぱり俳優1人1人の違いが見えてくる。
すると、あの人はどうしてこんなにうまくできるのだろうと考えるようになり、
観察するようになります。

演技の先生や学生と話をして、彼らの方法や理論を聞くと、
わあ、すごい、と羨ましくなりますよ。
もし、こういうしっかりした基礎があれば、どんないいいだろうとも考えます。
けれども、ぼくにはそれがないからこそ、今の自分があると思うんです。
それが悪いことともあまり思えないんです。

正直言って、ぼくには人生経験も多くない。
例えば、様々な感情、ぼくらはたくさんの喜怒哀楽の引き出しが必要で、
どの引き出しも更に何層にも分かれている。
自分の記憶をその中に収めていて、
これを演じる、というときに、引き出しを開けてそれを取り出してくる

でも、ぼくの人生がそんなに豊富なわけがないでしょう。
そこで、家族が死ぬこととか思い浮かべたりする。
後で、思うんです、どうして家族の死なんか考えなきゃいけないんだろう、
呪ってるような感じじゃないですか。

あるいは、辛かったことを思い浮かべる。
でも、ぼくは性格的にそういうことはほじくり返したくないし、
忘れたいと思っていることを仕事のために使いたくもない。
やっと心の奥にしまい込んだものを、なんで又出してこなきゃならないのって。
(続く)


   BBS   ネタバレDiary  21:00


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